千一識物語
御簾神 ガクル
第1話 ある暑い夏の日
あれは暑い夏の日、黄金に世界が染まる逢魔が時、俺は一人で歩いていた。
住宅の塀に挟まれ真っ直ぐ伸びる道のアスファルトの堅い感触が返ってくる。いつもの通り道、俺にとって代わり映えしない風景がパノラマのように流れていく。
「はあ~」
重い溜息の先に黒いハイヒールを見た。
ふと視線を上げると地面を切り裂くように伸びる影の先、靡かせる銀髪に黄金の色が透けている少女が立っている。
シャープに整った顔、腰まで届く癖毛のない銀髪、黒のゴスロリの服装から覗かせる肌はシルクの様に白く滑らか、全てのパーツに隙が無い画面の向こう側の住人のように感じる。
少女の自分を値踏みするように鋭く見据えるサファイヤブルーの瞳に魅入られ、時が止まってしまった。いや俺だけじゃない世界までもが少女の為に時を止め車の騒音すら響いてこない。
完全な静寂の時を進めるように少女は口を開き出す。
「あなたの常識殺します」
鈴の音のように心地良くスッと声が耳に入ったときには、胸に真っ赤に燃える衝撃を受けた。
「へっ?」
唖然と自分の胸を貫いたレイピアを見詰める。血がレイピアの刀身を滴り落ちていき、少女の白い手に赤い彩りを加える。
少女はレイピアから手を離す。
痛くなかった、ただ熱い衝撃に、ゆっくりと地面に倒れていった。
朝起きて朝食を食べつつTVのニュースを見る。
『今日も最高温度を更新する10年に一度の猛暑日です』
今日も暑いのか会社に行くのかったるいな。
このクーラーの効いた部屋は快適で人類の理想郷だと言うのに、なんで理想郷を飛び出して会社に行かねばならない。
金がないからだな。
自問自答の自嘲をして出勤する準備を整え出かける。
カッ
ドアを開け一歩部屋を出ただけで目が眩む日差しと暑さである。
早く駅に行って電車に乗ろう。電車に乗ればクーラーが効いている。
一歩歩く事に気温が上がっていく。
暑い暑い暑い
あまりの暑さに頭が茹で上がり世界が溶けてしまいそうだ。
ぐにゃ~
アスファルトが波打ち塀が暑さで溶けたチョコレートのようにしなった。
「なんだこりゃ?」
思わず叫んでしまった。
目を瞑ってゴシゴシしてもう一度見ても光景は変わらない。世界が暑さで溶けている。
とうとう、俺の頭も暑さでいかれたか。
多分そう見えているだけだ。実際には溶けていない。
俺の脳は冷静に合理的にこの事態を判断している。
うん、俺は大丈夫だ。
駅に行こう。電車に乗って涼めば治る。会社は休めない。
ぐにゅ、ぐにゅっと歩くたびに足がアフファルトにめり込み引き抜かなければならない。非常に歩きにくい。下手をすればバランスを崩して倒れそうになる。言っている側から踏み込んだ足が予想よりめり込んでいき体が傾く。
その際に思わず塀に手を付けばぐにゅーーーと俺が押す方向に塀が曲がっていく。
錯覚、これは錯覚で俺がそう感じるだけだ。
これは俺だけがそう見えているだけだ。
だから曲がった塀の先に民家の庭が見え、その先の居間で食事をしている家族の風景が見えるのも。
だから俺が歪ませたアスファルトに車が乗り上げ曲がった塀を飛び越えて居間に突っ込んでしまったのも、錯覚に過ぎない。
こんなこと現実でありえない。
軽い熱中症だろう。
それが証拠にクーラーの効く駅構内に入ったら視界が真っ直ぐになった。
コンコン
駅の壁を叩くと硬い音が跳ね返ってくる。決して叩いて凹んだりしない。
ふう~
熱中症、気を付けないとな。
電車に乗って目的地について階段を上がって地上に出る。
カッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日差しのストレートを食らった。
頭がクラっとする。
ぶるぶると頭を振って前を見れば。
やはり世界が蕩けてる。
一歩歩く事に歩道にめり込み、一歩歩くために足を引き抜く。
思わず顔を上げてしまいビルを見てしまえば、ビルがぐにゅ~と熱で炙られる飴のように曲がっていき溶けた窓から人が雨のように落ちていく。
ビルが倒れきれば道が塞がれる。俺は急いで通り過ぎた。
地面だけを見てガードレールにぶつかってぐにゃっと曲げても、それでも何とか会社に着いた。
高層ビルのフロアを借りてる我が会社。
自動ドアを潜って中に入ればクーラーがキンキンに効いている。
視界は再びまっすぐになる。
かつてこれほどまでに会社がありがたいと思ったことはなかった。
今日はバリバリクーラーの効いた事務所で働くぞ。
今日も狂とて忙しい仕事を片付けていき9時を回った頃だった。
当然パソコンの電源が落ちた。
そして非常灯が灯る。
「なっ」
「おいおい停電かよ」
フロアに残っている同僚達の溜息が溢れ、溢れた溜息で部屋の温度が上がっていく。
狂は熱帯夜
夜でも暑い
だんだんと視界が傾いていくのを感じる。
床が斜めになっていく。
ビルが溶けて傾いていっているんだ。
すーーーーーーーーーーーっと俺は窓の方に転がって行くのであった。
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