名古屋駅の底

野口澪

再開発の狭間で 1話

 名古屋駅は、中部地方最大のターミナルとして膨大な人と鉄路を飲み込んでいる。

JRをはじめ、近鉄や名鉄など多彩な路線が乗り入れ、県内各地へと延びる列車の出発点となっている。なかでも名鉄名古屋駅は、その狭いホームと複雑な動線のため「日本一カオスな駅」と揶揄されるほどだ。

 構内を抜けて地上に出れば、まず目に飛び込んでくるのは天空へ突き立つセントラルタワーズとゲートタワーである。コンクリートとガラスの巨壁が視界を覆い、人々を小さな影として歩かせる。夕暮れ時にはその外壁が光を受けて黄金色に輝き、都市の象徴であると同時に、圧迫感をもってそびえ立つ。

 その足元に広がるのが、名駅特有の地下街群だ。サンロード、ユニモール、ゲートウォーク――迷路のように張り巡らされた通路は、喧騒の地上とは異なるもう一つの街を形づくっている。飲食店や雑貨屋が軒を連ね、昼夜を問わずざわめきが途絶えることはない。名古屋の心臓部は、地上と地下とで二重に脈動しているのだ。


 サンロードを歩いていくと、明るい照明の下で人々が買い物や食事を楽しみ、地下街は活気に満ちている。だが、その賑わいも長くは続かない。さらに進み、ミヤコ地下街へ足を踏み入れると、景色は一変する。並ぶ店の多くはシャッターを下ろし、人影はまばら。わずかに残った古いカレー屋や呉服店がひっそりと営業しているだけだ。

 とはいえ、それは衰退の兆しではない。この一帯には、近いうちに新しいテナントが入る予定があり、再開発の波が静かに迫っているのだ。サンロードの現在の繁華と、ミヤコ地下街の空白の静けさ。その対比は、名古屋駅が抱える「過渡期」の姿を象徴していた。


 名古屋駅周辺では、地下街だけでなく地上でも大規模な工事が進められていた。セントラルタワーズとゲートタワーが完成してから数年が経ち、今なお新しいビルの建設が続いている。仮囲いで覆われた通りにはクレーンが林立し、昼夜を問わず工事車両が出入りしている。

 名古屋の玄関口は、便利さと華やかさを増す一方で、どこか落ち着きのない不安定さを漂わせていた。人々はその変化を当然のものとして受け入れている。新しい商業施設の開業を楽しみにする声もあれば、長年通い慣れた地下街の喫茶店が消えてしまうことを惜しむ声もある。賑わいと空白、期待と不安が、同じ空間に同居していた。

 駅を中心に広がる再開発の波は、地下から地上、高層階にまで及んでいる。サンロードの明るさとミヤコ地下街の静けさは、その対比を象徴する一場面にすぎなかった。名駅は今や巨大な変貌のただ中にあり、その喧騒と陰影こそが、この街を歩く者の心に不思議なざわめきを残すのだった。


 名駅一帯は、再開発のただ中にあった。地上へ出れば仮囲いで覆われた歩道が延々と続き、クレーンがビルの谷間に首を突き出している。完成したばかりのゲートタワーやセントラルタワーズの足元では、さらに新しい工事が始まり、街全体が絶えず形を変えているように見えた。

 川島真一は、その光景を歩きながら観察していた。東海新聞の生活部に勤めて三年目の記者である彼は、派手な特ダネを追うよりも、日常の片隅に潜む小さな変化に目をとめることを好んだ。

 道行く人々の表情は忙しない。足早に改札へ向かう会社員、土産を抱えた観光客、立ち止まって地図を見上げる外国人旅行者。街は膨張し、光に満ちているのに、その一方でどこか落ち着かない空気が漂っていた。

 新しいものが次々と建ち上がる影で、古くからの風景や人々の営みが押し出されていく。その均衡のなかに、川島は記事にはならない小さな違和感を見つけてしまうのだった。


 藤が丘駅は川島の最寄り駅だった。仕事帰りには、駅前のレトロな喫茶店に立ち寄るのが習慣になっている。木目のカウンターと分厚いソファ、壁に色あせた映画ポスター。夕方になると常連客が新聞を広げ、テレビの音に耳を傾けながらコーヒーをすする。

 その日も、壁に掛かったテレビからニュースが流れてきた。

「本日午後三時ごろ、名古屋駅の地下街で男性が倒れているのが発見され、病院に搬 送されました。警察は事故の可能性も含め、詳しい状況を調べています」

「おいおい、名駅で人が倒れとったんか」

 カウンターの中年客がテレビを見ながら声を上げた。

「発見されたって言っとったがな。ほんとにただの事故なんかね」

 奥の老人が首をかしげる。マスターがカップを拭きながら肩をすくめた。

「名駅は人でごった返しとるでなあ。ひとり倒れたぐらいじゃ、大ごとにはならんのだわ」

「でもよ、あんだけ人が歩いとるのに、誰も助けんかったんか? なんか妙じゃねぇか」

 別の客がぼやくように言った。

 川島は黙ってテレビを見つめていたが、思わず口を開いた。

「……現場検証が入ってるってことは、ただの体調不良じゃ済まない可能性もあるってことですよね」

「さすが記者は言うことが違うわ」

 マスターが笑い、常連たちも「東海新聞は怖いでかん」と冷やかした。

 店内の空気はすぐに日常の話題へと戻ったが、川島の胸には言葉にできないざらつきが残っていた。


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