4章-6


 酒場、〈正午の女ポルードニツァ〉亭で一番大きいテーブルに、次々と料理が並んでいく。小麦の香ばしい匂いをさせるチーズのピザ、揚げて塩とハーブをふりかけたアジやエビ、骨付きのまま良く焼いた鳥の肉に皮ごと焼いた芋、そして泡を弾けさせる麦酒、等々エトセトラ

 大きな卓にさえ乗り切らないそれらが、セレーたちの命の値段だった。


「で、なんでエクレールがあんなところに?」

「無論、かのアラン・スミシーも絶賛したというイッダ揚げを味わうためですわ」

「ちがくて」


 何かが違うのだが、どう違うのかとっさに説明できず、セレーは呆れ果てた声を出すにとどめてワインの搾りかすで作られたジュースを飲む。ほんのわずかに酒精の香り。透明な水より安い一杯だ。

 ギネヴィアから逃げ切った一行はイッダの街に戻った。追撃を警戒しなかったわけではないが、夜に準備もなく荒野に出るのも危険。おそらくはギネヴィア本人が街までは追ってくることはないだろうというベルの推測もあり、命の恩人であるエクレールの要望で食事会となったのだった。

 セレーたちの財布はすっからかんである。


「もぐ。んむ。やはり焼いた芋はたまりませんわ……! 鳥の油を吸って……嗚呼……!」

「…………」


 アスタリのお腹が鳴るが、エクレールには聞こえていないようだった。ベルが呆れた声をこぼす。


「これが、あのクレティエン傭兵銀行の娘とはな……」

「実家とはもう縁を切りました。今の私は、ただの星追いですわ」


 荒野において、まともな戦争を遂行できる組織が四つある。

 ビーネィアの帝下黒煙騎士団。ヘリーデン鉄道の警備課。南海の武装商船組合〈楽市楽座バザール〉。そして――荒野で最も多く銃を保有する組織、クレティエン傭兵銀行。エクレールの銃の腕前は傭兵隊長である父親から伝授されたらしい。

 エクレールは実家の話をしたくないのか、あるいは単に意識が食にしか向いていないのか、揚げたエビをさくりと齧って感動の声をこぼした。


「んー……っ!」

「…………」

「…………」

「イッダ揚げも中々でしたが、あれは油の質が出すぎますわね。もう少し美味しいものを出すお店を探していたら、なんとも乱暴な方々に絡まれまして……」


 セレーとアスタリのお腹が鳴るが、エクレールにはまるで聞こえていないようだった。従者の青年、テノワが補足する。


「〈戦線〉のならず者ですね。星追いを排除しているという」

「私たちを襲ったのと同じような連中かな……」

「そうだろうな。ギネヴィアは本気で星追いどもを殲滅するつもりらしい」

「適当にあしらいはしましたが、食事を邪魔されるのは私にとって耐えがたい苦痛。そこで首魁の方に話を通そうと探していたのです。襲ってきた方々から、彼女が街の北へ出たらしいと聞いたので」


 偶然に偶然が重なっての邂逅だったようで、セレーはその幸運に思わず吐息をつく。一方で必然でもあった――星追いの多くは道が交わるイッダに集まり、ギネヴィアは西への道を塞いでいる。この街で狩られた星追いは多いだろう。


「かつての英雄と聞いていましたが、ああも話が通じないとは思いませんでしたわ」


 骨付き肉にかぶりつきながら、エクレールは呟く。従者の青年が『お嬢、地が』と囁くと、口元をハンカチで拭い骨付き肉を皿に置いてフォークとナイフを手に取った。

 セレーとアスタリの視線が、ついベルに向く。


「……。……わかってるよ。ここまで来て隠すことでもない」


 ベルはため息をつき、麦酒に手を伸ばし――エクレールにぴしりと叩かれて手を引く。舌打ちを一つしてその場の全員から睨まれつつ、煙草を咥えてベルは話し始めた。


「昔の話だ。――荒野に平和を願った、馬鹿な連中がいた」


 煙を吐く音と、エクレールがフォークとナイフを使う音。夜の酒場の無秩序な喧噪の中で、この卓だけは少し静かだった。


「あたしと、ギネヴィアと、サンナって女だ。最初は三人から始めて、一番デカかった頃で十五人、馬車が三台。魔獣狩りやら護衛の仕事で稼いでた」

「食料を……配ったりもした?」

「ああ。サンナが……とびきり馬鹿な女が、そういうのをやりたがった。儲けを突っ込むどころか借金してまでな。どんくさくて、自分じゃウサギ一匹狩れないくせに」


 顔も知らないその女性が、ベルとギネヴィアを従えて荒野を行く姿をセレーは想像してみた。ベルはやれやれと言いながらだろうと想像がつく。ギネヴィアは――どんな顔で、平和のために荒野を渡っていたのだろうか。


「もう十年にはなるか。狂暴な魔獣が出てな。デカい犬だ。ひと噛みで家を崩しちまうくらいの」

「十年前……〈ラースタービのあぎと〉ですかしら」

「ああ、それだ」

「なんてこと。貴女方が討伐されたのですね」

「いいや」


 ベルは首を横に振る。力なく、自嘲する笑みとともに。


「こっちは三人やられて、五人が深手。それだけ苦労して、何とか西に押し返した、ってところだ」

「……その時に、サンナさんが?」

「…………」


 セレーの問いに、ベルはすぐには答えなかった。煙草の煙を深く吸い、ゆっくりと吐き出す。


「サンナは傷を負った。だが十分助かる傷だった。深手の五人も大当たりフォーカードを引けば生き残る目はあった。馬車を走らせて、ラースタービの隣の街へ行ったんだが……」


 苦笑がこぼれる。


「街の門を閉じられてな。魔獣に乗じた賊じゃないか、ってわけだ。その少し前には、隊商を助けて入ったこともある街なのにな」

「そんっ……な」

「……ひどい」


 セレーとアスタリが思わず呻く。エクレールの食事の手は止まらなかったが、麦酒のジョッキをひとつベルの方へ差し出した。

 ベルは遠慮なくジョッキを掴んで麦酒を呷る。


「……っぷは。……サンナは最期の最期まで、平和を願ってた。誰かを助けてあげて、ってな。腕がちぎれかけてるくせにそんな馬鹿を言う女に……任せろ、以外に、何を言えると思う?」

「それが……それがベルとギネヴィアの、約束……?」

「ああ。結局キャラバンは解散、あたしは東部へ逃げて……そのあとは護衛エスコートの仕事をしてた。ギネヴィアとはそれ以来だ。傷が元で死んだとばかり思ってたから、ウェストキャメルで名前を聞いたときは驚いたよ」


 アスタリの義腕が軋む。そちらに視線をやって、ベルは溜めた煙をふーっと吐き掛ける。本気で嫌そうな顔をしたアスタリが義腕で煙を払い、尋ねた。


「なぜ。堕ちた英雄は……平和を願いながら、【星】を狙う……?」

「さぁな。さっきの話……大陸を吹き飛ばしたって話も、あたしは知らない。この十年であいつが調べたんだろう。ただ」

「……ただ?」

「…………根拠はない。学者でもない、剣と銃を振り回すしか能がない連中の、ただの感覚の話だが――西

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