4章-7
卓の料理を全て平らげたエクレールは、従者のテノワを引き連れて颯爽と〈正午の女〉亭を出た。セレーがその背中に声をかける。
「エクレール。〈戦線〉に狙われてるなら、一緒に――」
「お断りしますわ」
緩くロールした金の髪を軽く払い、エクレールは半身だけ振り向いて切り捨てる。
「私は無用な戦争は好まないの。迂回して西を目指します」
「で、でも……ギネヴィアは【星】を壊すって」
「星追いは本質的に、全員が商売敵。彼女の願いが何であれ、直接立ちはだかるのでなければ立場は変わらない」
それに――と。エクレールはセレーに背を向けながら冷たい声で告げた。
「願いを見失った星追いに背中を預けることはできないわ」
「……え」
「貴女、そのままでは死ぬわよ。――では、ご馳走様。ごきげんよう」
セレーはその背中を追うことができなかった。重ねて呼びかけることすらできず、ただ夜なお明るいイッダの街に消えていくエクレールを見送る。
そのまま、しばらく立ち尽くす。店から出てきたアスタリが首をかしげて声をかけた。
「セレー……?」
「あ……ごめん」
「…………何があった?」
「大丈夫、何でもない。エクレールには……一緒に戦おうって言ったんだけど、振られちゃった。いやー残念残念」
あはは、と笑うセレーの声は小さく、喧騒に飲み込まれた。
ベルもアスタリも答えないまま、三人は宿へと戻る。宿に辿りつくまで、誰も言葉を発せなかった。
▼
夜中に目が覚めた。
セレーはゆっくりと寝返りを打つ。と、柔らかいものにぶつかった。
「……ん」
寝惚けた頭で思わず抱きつく。暖かく、柔らかい。その正体は、
(……アスタリ。そっか。狭い部屋に……)
エクレールに食事を振る舞って路銀が心許なくなり、ベッドがひとつだけの狭い部屋を選んだのだった。ベルは床に布を敷き、セレーとアスタリがベッドを使うことになったことを、徐々に覚醒してくる思考が思い出す。
闇の中、小さな吐息。
「……ん」
「……ごめん、アスタリ。起こしちゃった?」
「いい……」
お互いに眠そうな声を交わす。そのまましばし、無言で吐息と体温を重ねた。
ふと、闇の中に小さな赤い光。
その光を追っているうち、セレーの意識がはっきりしてくる。眠りの淵から這い出るように、ゆっくりと身を起こした。
「ベル……寝てないの……?」
「なんだ、怖い夢でも見たかお嬢さん」
窓際に立っているらしいベルの、話を逸らそうとするにしても下手な言葉。セレーが苦笑をこぼす。暗い部屋の中でも笑った気配は伝わったか、ふー、と盛大に煙を吐く音がする。アスタリも身を起こして、義腕が立てる鉄の音が加わった。
「ふぁ、あ、〜〜〜……」
セレーの盛大なあくび。ベッドに腰掛けた姿勢で、セレーはぽつりと言った。
「師匠の夢を見た。師匠ならどうするか聞きたかったけど、聞く前に目が覚めちゃった」
「……貴女の師……壮大なる開拓者は、どう答える……?」
「んー」
少し考えを巡らせたセレーは、浮かんだ結論に小さく笑った。
「『お前は私じゃないだろ、馬鹿』」
「……ひどい」
「正論だな」
苦笑の気配。どっちも全く正しいとセレーは真剣に頷く。
「そうなんだよ。師匠はほんとにひどい女で。……だから、聞かない」
必要なのは守り導いてくれる先達ではなかった。
馬車を共にする仲間が、ここにいた。
「怖いんだ。ギネヴィアが。ギネヴィアの言った……【星】のことが。西の果てに何があるかが……怖い」
ベッドの反対側に腰掛けたアスタリが、義腕を軋ませる音。
「ギネヴィアが嘘を言っているようには思えなかった。本当かもしれない、って思ってる」
「……あの女に、嘘をつくような器用な真似はできないよ。少なくとも、そういう情報があることは確かなんだろう」
窓辺に座ったベルは、煙草をくゆらせながら寝静まった街を窓越しに眺めている。
「私は……怖いんだ。見えない彼方に何があるか、憧れていいのか、憧れを抱き続けていいかどうかがわからなくて――」
声が震えて、消えた。
かつて師匠であるアリアと旅をしていた時のことを思い出す。夜の闇、魔獣の鳴き声、火と雨の悪夢、世界の全てが怖かった。ひたすらにうずくまって泣いていた頃を。
アスタリが、答えるでもなく声をこぼす。
「ボクは」
一度唇を噤み、続ける。
「……我が使命は停まらず。闇を知り、祓わねばならず……それを叶えるのは、【星】をおいて他にない」
「【星】が、危ないものだったとしても……?」
「そのときは――」
アスタリの脳裏に蘇る声。厳格な世話役のお説教。『巫女様は封印を司る血筋のお方。封印を保ち、そして人類を救うべき時には――』。声の震えを、義腕の軋みを、アスタリは隠さずに言った。
「それもまた、我が使命だ」
「……そう、なんだ」
ベルは煙草の煙を深く吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。二人の少女とは異なり、ベルの声はいつも通り低く落ち着いている。
「あたしは【星】はどうでもいいが。ギネヴィアが他人に迷惑をかけてるのは、止めなけりゃならん」
「約束が……あるから?」
「ああ。忘れたつもりだったが……」
続く言葉を封じるように、煙草を咥える。しばしの間を置いて告げられたのは、消えた言葉とは別だったのだろうとセレーは思った。
「ここで解散でもいいんじゃないか」
「……解散、って」
「あたしはギネヴィアを殺りに行く。仕留めそこなうつもりはないが……アスタリ、お前は別にギネヴィアの下についても悪くはないはずだ」
「使命を……優先せよと……」
「せよ、とは言わないがね」
「ベルは、ギネヴィアが……許せないの? 〈戦線〉は……もしかしたら、正しいことをしているかもしれないのに?」
煙草の赤い光は動かず、ベルが窓の外を見ていることを伝える。
〈戦線〉は容赦のない略奪者で、搾取する圧制者だ。一方で、星追いや一部の被害者以外には、ある程度の治安を守るものでもあるかもしれない。【星】が邪悪であるならば、なおさら。
ベルは小さく笑って答えた。
「正しいかどうかは知らないよ。信念もとうに犬に喰わせた。ただ、昔馴染みがトチ狂ったから止めてやるってだけの話だ――殺さなきゃ止まらない女なんだ、あれは」
ふ、と煙草の煙を吐く音。赤い光がわずかに煙る。
「セレー。お前の信念は立派だよ……皮肉じゃなくな。だが、今は……ゆっくり考える時があってもいいだろ」
答えられないまま、セレーは下を向く。暗闇の中、そこにあるはずの手を膝の上で握りしめた。
アスタリもまたベッドの反対側に座ったまま、何も言わない。ただ金属の軋む音が少しした。なんとなくセレーが片手を後ろに伸ばすと、狭いベッドの中ほどで冷たい金属の指に触れた。
大きくて硬く角ばった、鋼鉄の指。掴むように指を絡めると、力が抜けたのがセレーにも不思議と伝わった。
夜明けは遠い。
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