扉の向こう


 お盆が過ぎ、夏休みもあと少しとなった頃、凛太郎の予想通り、お祭りは開催された。二年ぶりの復活だ。長年愛されていただけあって、まだ明るいというのに、お祭りには大勢の人が集まっていた。真ん中には大きな大太鼓があり、周りには色とりどりの屋台が立ち並んでいる。

 陽菜はラインを開いた。お祭りに来るかというメッセージは、昨日まですべて未読。今日の朝にようやく、神社の手伝いがあるから行けないと返信が来た。

 そういえば、神主の息子だとか言っていたっけ。

陽菜は携帯を閉じて、屋台をぼんやりと見つめた。大勢の人のためになったというのに、この夏休み、陽菜は誰からも遊びに誘われなかった。誘えなかった。

「あら陽菜ちゃん、久しぶり」

「…あ、どうも」

 駄菓子屋のおばさんが、変わらないエプロン姿で陽菜に微笑んだ。

「今はまだ準備中なんだけど、開店したら、リンゴ飴渡してあげるわね。倫太郎くんも来るの?」

「いえ、神社の手伝いとかなんとかで…」

「あら、忙しいのね。凛太郎くん、お祭りはせめて、楽しい時間になってほしいのに…」

「何かあったんですか?」

 陽菜は勇気を出して聞いた。地元の人達とのつながりに、神主の父に、やたらと繋がりが多いのに、なぜ自分からは何も言わないのか、ずっと疑問に思っていた。

「そうねえ、あんまり言わないほうがいいかもしれないけど…」

 おばさんは躊躇った後、口を開いた。

「二年前の火災の事故の時、最初、実は神主さんが疑われていたのよね。放火したんじゃないかって」

「え?」

「神主さんは真面目な方だし、そんなことないとはわかっていたけれど、誰かが神主さんだと言っちゃったみたい。それで、あまり神社に来なくなっちゃって」

「…はい」

 おばさんは顔を手に当て、ため息をついた。

「原因は老廃化した木々のせいだって判明した後でも…なんの腹いせのつもりなのかしらね。凛太郎くんに当たる人もいたのよ。虐待とか、そこまでは聞いていないけれど」

「…そうなんですか」

 陽菜は曖昧に頷いた。まだ良く飲み込めていなかった。しかし凛太郎は過去に何かあったこと、陽菜がそれを知らなかったことは、はっきりとわかった。

「あ、呼ばれちゃったわ。じゃあ気を付けて。また後でね」

 陽菜はおばさんに手を振り、また前を向いた。あまりにぼーっとしていて、足元に尻尾が当たっていることに気づかないほどだった。足元を噛まれる。痛みが体を鮮明に駆け抜けた。

「いたっ!?…あ、神様?」

 キツネは足元を抜け、一目散に階段を駆け登っていく。陽菜は思わずキツネを追いかけた。ふと後ろを振り返ると、日はもうだいぶ沈んでいて薄暗く、灯籠の火がちらついて見えた。

「待って…!」

 石段を駆け上がりながら、陽菜は鮮明に考えていた。どうして、凛太郎は陽菜に話さなかったのか。地元の人とそんな関係だったら、お店を回ることだって嫌だったかもしれない。お父さんが疑われていた中、お祭りを復活させようとは、したくなかったかもしれないのに。

 石段を抜け、鳥居をくぐる。キツネは本堂へは行かず、裏の奥の方へ回り込んでいった。その後を必死に追いかける。それは、私が復活させたいと言ったからなんじゃないか。

 そういえば、最初は嫌だって言ってたっけ。

 奥にはまた石段があった。登っていくと、小さな小屋のようなものが建てられている。陽菜は登り疲れて立ち止まった。奥に人がいる。何か聞こえてくる。

「だから俺じゃねえって!」

「お前が行った小屋で引火したんだ。反省しろ、反省!」

 凛太郎と、あの時のおじいさんの声だ。陽菜はひっと声をひきつらせ、側の茂みに逃げた。キツネが後から入ってくる。おじいさんはドアをバタンと閉め、陽菜たちの方に向かって走ってきた。陽菜は恐怖で震えそうだった。

 怖い、怖いよ、神様。

 陽菜が声に出さずにそう言うと、キツネは穏やかな顔で陽菜を見つめた。澄んだ瞳が陽菜を見据える。陽菜の鼓動は、次第に落ち着いていった。

 おじいさんが石段を降りていく。陽菜は茂みから這い出した。小屋に向かって走りながら、陽菜はもう何も考えていなかった。

 ドアの前に塞がれた木箱や板を脇に放り投げ、陽菜はドアノブに手を掛けた。幸い、鍵はかかっていなかった。それでも、重さで出られないほど置かれた木箱と板。陽菜はおじいさんのいやらしさに奮闘しそうだった。

 取っ手が開く。中に立っていた凛太郎は目を見開き、焦ったように言った。

「陽菜、引火したのは俺じゃなくて、ほんとに…」

「知ってる」

陽菜は息切れで呼吸が苦しかったが、それでも確かに、凛太郎を見て言った。

「話、聞かなくて、ごめん」





 凛太郎は目を瞬いた。途端、つんとした焦げ臭さが、二人の鼻を襲った。

「逃げよ!」

 地面に散らばった板を避け、二人は石段を一目散に駆け下りた。後ろを振り返りたい衝動を抑えながら、参道を抜け、鳥居をくぐり、また石段を降りていく。

 真ん中辺りまで来たところで、屋台の甘い匂いが頬をかすめ、陽菜はホッとした。灯籠の明かりに向かって掛けていく。火に気づいたのか、みんなももう逃げ始めているようだ。階段の下にはまだ人がいて、何人かが陽菜たちを見上げている。

 陽菜は背筋が凍る思いがした。降りてきた所を見られてしまったら、自分たちの放火が疑われてしまうかもしれない。陽菜は思わず足を止めそうになった。だが、凛太郎は迷わず、陽菜の横を駆け下りていった。

 陽菜たちが地面についた途端、むぎゅ、と大きなものに押される感覚がして、陽菜は横にのけぞった。

「全くリンゴ飴貰いに来ないし、一体どこで何してたの!」

 駄菓子屋のおばさんが、お母さんのように涙ぐみながら、陽菜と凛太郎を抱きしめた。

「えっとね、実は…」

「ああもういい、無事ならなんでも良いのよ!」

 おばさんはぱっと二人から離れ、代わりに手をがっしりと掴み、むんずと引っ張っていった。凛太郎がおかしそうに笑うので、陽菜はとても驚いた。

「ふふ…」

 つられて陽菜も笑みがこぼれた。なぜだが知らないが、周囲から放火犯だと罵られても、全く問題のないように思えた。

 ぼすっという音が、隣で聞こえた気がして、陽菜は振り向いた。男の人が、凛太郎を抱きしめている。

「父さん」

「消防車、来たみたいよ」

 おばさんがほっと安堵の息を吐いた。遠くから、サイレンの音が響いて聞こえた。



「神様あ〜!」

 陽菜にほっぺたをむぎゅーっとされ、キツネは嫌そうに首をそらした。思いも寄らない火災の事故から一週間後、陽菜たちはようやく神社に入ることを許された。空はからりとした晴天だ。陽菜は本堂に腰掛け、またむぎゅーっとキツネを抱いた。

「無事で良かったよお。心配したんだよお」

「マジで、生きて帰れてよかったな」

 凛太郎はペットボトルを握り、笑いながら陽菜の隣に腰掛けた。

「ホントだよ〜。凛太郎なんか閉じ込められてるし」

「火の匂いも近かったし、終わったかと思ったわ。出れたのは陽菜のおかげだな」

「えへへ」

 陽菜は嬉しさで顔がほころんだが、誤魔化すように頬を膨らませた。

「それで?なんで閉じ込められてたんですか?お父さんが疑われていたことも、凛太郎が地元の人からいじめられていたことも、私初めて知ったんだけど?」

「待て待て、語弊が酷い。地元の人は悪くねーよ」

 凛太郎は手元のペットボトルを回し、思い出すように言った。

「二年前…ちょうど正月あたりかな。この神社の森で火災が起こったんだけど、俺と父さん、神社の仕事で高い場所にいたせいで、逃げるのが遅れちゃって」

 陽菜が頷く。凛太郎は続けた。

「何してたんだって聞かれたから、父さんは神社の仕事してたんだって知らせるために、『火を扱ってた』って言っちゃったんだよ。ほら、正月に、お守りとかを焼くお焚き上げの準備していたから」

「それは…なんというか、間違えられちゃうかも」

「だよな。けど、まさか父さんが、放火に疑われるとは思わなかった。それくらい真面目な人なんだ。だから疑いもすぐに晴れた。それで、今度は俺にきた」

「え?」

「真面目な父さんを犯人に貶めようとした、不届きな息子だって」

 ペットボトルを回し続けていた凛太郎は、陽菜の表情を見て、からりと笑った。

「あんまり大したことじゃねえよ。神社の関係者に避けられていたのも一時期だったし。地元の人達は優しいし。でもあのおじいさんだけはひどくて、出会うたびに謎の反省を求めて来て、ほんと意味不明だった」

 陽菜は胸が詰まる思いがした。凛太郎はこの神社に誰よりも深く関わっていて、たくさんのことを受けてきたのに、勝手に自分と同じだと思い込んで、対して何もしてないと言ってしまった。大勢のためだと言いながら、凛太郎を見ようともしなかったのだ。

「でもほんと助かったよ」

 手を止めて、凛太郎が陽菜に向き直る。

「陽菜が信じてくれたおかげで、また関係者にうだうだ言われようが、別に構わねえって思ったし」

「…実際、信じてくれたしね」

 放火の方向から降りてきたので怪しくはあったが、いろんな人が二人の話を熱心に聞いてくれた。何なら、駄菓子屋のおばさんと凛太郎の父さんが早口で説得しまくっていた気がする。

「あのおじいさん、結局捕まったのかな」

「わかんねえ。そもそも、放火したのもじいさんじゃなくて、本当に事故だったかもしれないし。一回燃えた森は再発しやすくなるって、父さんが言ってた」

 凛太郎の口元に、少し笑みが広がった。

「今までは、申し訳なさを感じていたけど…父さんもすぐ信じてくれたな」

「なんなら、何も言ってないのにね」

「0秒だもんな」

 陽菜と凛太郎は、お互いに吹き出した。キツネが体をひねり、陽菜の腕から抜け出すと、石畳の上に降り立ち、二人を見上げた。

「ご苦労だった。」

 凛太郎は微笑み、陽菜はえへへと笑った。

「お前たちのおかげで、力がまた取り戻せた…私はこれで、元の姿に戻れる。」

「え?」

 陽菜が聞き返した途端、眩しい陽光がキツネから発せられた。光の形は大きくなり、やがて大人の人間ほどの大きさくらいで止まった。

「…うわあっ」

 目を開けた二人は、驚いて叫び声を上げた。キツネが人間のお姉さんの姿に変わっていたのだ。白い浴衣に金髪の髪。キツネの耳と尻尾までついている。体つきは立派なお姉さんなのに、少女のようにほがらかな微笑を浮かべている。

「ええ〜!?神様超かわいい…!」

「かわいい…!」

 本当にかわいいと思っていそうな凛太郎の声に、陽菜は思わず凛太郎を小突いた。

「なんでだよ、同じことしかいってねえよ!」

 喚く凛太郎を無視し、陽菜はきらきらした目で神様を見つめた。

「頼みを聞いてくれたお礼だ。一つ願いを叶えてやろう。」

「ええ〜?どうしようかなあ。悩むなあ〜」

「モンスター24個と、ゲーム機と、ゲームソフトと、あと…」

「ストップ!とりあえず一つに絞ってから言って!」

 神様は凛太郎を向き、陽菜を向き、安心したようににっこりと笑った。

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瑞生神社 森花 @morika333

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