瑞生神社
森花
ふわふわキツネ
「たぶんね、こっちだと思う」
陽菜は位置情報を確認するため、切れてしまったスマホを起動した。夏休みが始まった7月、陽菜は幼馴染の凛太郎を近くの神社に、半ば無理やり連れて行っていた。雨粒で濡れた画面を操作し、「若者が行くべき人気スポット!」の記事を下にスクロールしていく。石道にはみ出した木の枝を避けると、揺れた衝動で葉の水滴が顔に飛びかかってきた。
「ほんとに行くの?」
「行く」
陽菜はふわりと凛太郎を追い越し、黒ずんだ石段を駆け登った。後から凛太郎がゆったりと登りだし、気だるげに芝生を見回す。雑草は無造作に生えまくり、両側に並んだ灯籠には、所々ヒビが入っていた。
「僕…あんまり来たくないんだけど」
「そうなの?でもなんか、人気な場所みたいだよ」
凛太郎が何か口を開きかけていたその時、足元で枝を踏む音がした。揺れた茂みの中から、黄色い小動物が顔を覗かせている。
「わあっ!何?」
「猫か?」
小動物はするりと茂みから抜け出すと、大きくてふさふさな尻尾を陽菜の足に擦り付け、側を通り過ぎていった。その柔らかな感触に、陽菜は目を輝かせた。
「かわいい…!」
「尻尾が長い…え、キツネ?」
「キツネさん待って!触らして〜!」
陽菜は猛スピードでキツネを追いかけた。キツネは石段を越え、鳥居をくぐり、本堂へ続く参道を真っ直ぐに走っていく。上がり始めた空に夕日が差し込み、水たまりに反射して赤っぽく光った。
陽菜は息を整えながら、本堂を観察した。大きな瓦の屋根に、金や銀の特徴的な飾りが、至る所に取り付けられている。
「廃れてるな」
いつのまにか追いついた凛太郎が、ツルの絡まった柱を見上げ、ぽつりとそう呟いた。陽菜は手前の賽銭箱を見た。うっすらと埃が積もっている。
「ネットには人気って書いてあったのに」
「お前それ何年前の情報だよ」
「二年くらい前、だけど…」
たった二年で、こうも変わるものだろうか。
二年前。私が確か小学生で、まだ明るかった頃のことだ。今みたいに塞ぎ込まず、凛太郎以外とも素直に話せて、友達がいっぱいいた頃。あの時と比べたら、今の私はだいぶ違う。
どうして今は違うのか…原因はなんとなくわかっている。私が、相手のためを思っていないからだ。誰かのためになる行動が取れていれば、相手との関係は上手くいくはずなのに。
陽菜はふとキツネを見た。段差を飛び越え、賽銭箱の枠に器用に降り立ち、陽菜を見返した。その澄んだ瞳に吸い寄せられそうになる。
その途端、キツネの口が動き、声がした。
「ここはかつて、人々の笑い声に溢れた場所だった。でも今は廃れ、人影一つ、見ることはない」
陽菜と凛太郎はお互いに硬直し合ったまま、キツネを凝視した。
「頼みがある。この神社を復活させてほしい。人々で溢れ、笑い合い、助け合った景色を、もう一度見させてほしい」
キツネは口を閉じ、黄色の瞳で二人を見つめた。
◆
迫りくる会社員やら学生やらの群れを通り越し、陽菜は駅のホームを見回した。待ち合わせ場所の改札口付近には、同じように待っている人たちが大勢いたが、凛太郎の姿は見当たらない。待ち合わせのときはいつも不安になる。陽菜はラインを見返し、 改札口を見回し、もう一度ラインを見返した。
「お待たせ」
陽菜は振り向いた。凛太郎が前かがみになって、息を切らしていた。
「ごめんな、遅れて」
黒シャツにグレーパンツの、適当な組み合わせ。しかも所々少しよれている。陽菜は顔を上げ、にっこりと笑いかけた。 「全然だいじょ〜ぶだよ」
陽菜が昔から凛太郎と話せる理由は、家が近くて幼馴染なのもあるが、それだけではない。凛太郎は陽菜と似ている。時間に遅れたり、服装を重視していなかったり、陽菜と同じように、人との関係も少ない。だから安心できる。
「じゃあ付いてきて。まずはリンゴ飴屋さんの所だね」
凛太郎の前を歩き出し、陽菜はわくわくしてリュックを背負い直した。
キツネがじっと二人を見つめる。陽菜は起こったことが未だに信じられなかったが、さっき聞いた声が耳に明瞭に響き、妙な現実感を帯びていた。
凛太郎が震えながら口を開く。
「…誰なんですか?」
「私はここ、瑞生神社を守る神だ。今は力が弱っていて、キツネの姿だが」
「神社を復活するって何?どうやって?」
「人が集い、祭りが響けば、私の力もそれで戻るはずだ」
キツネの声は穏やかで、それでいて神秘に満ちていた。そのオーラから、本当に神様なんだと実感する。陽菜の目はふと、左右に揺れるキツネの尻尾に止まった。
「あの、神様」
「なんだ」
「尻尾、触っていいですか」
横から凛太郎が呆れた顔で見つめてくる。キツネは数秒沈黙し、答えた。
「…耳の後ろならば、許す」
「ありがとうございます!」
陽菜はすすすとキツネに近づき、そのふわふわな毛に手を通した。温かな熱が伝わる。耳の後ろを撫でると、キツネの目がゆっくりと細まった。
「神様かわいい…」
「お祭りが復活して、人が集まれば、力が戻るってことですか」
凛太郎の問いに、キツネは頷く。陽菜の目は輝いた。
「じゃあ、頑張ります!任せてください!」
「おい待て」
「なんで?」
「俺は嫌だ」
凛太郎の顔がゆがむ。陽菜はわかってないなあと凛太郎を見た。
「お祭りが復活すれば、地元の人達も、また楽しめるんだよ」
陽菜は瑞生の祭りを思い出した。真ん中にある大太鼓。それをぐるりと取り囲む屋台。射的にリンゴ飴に唐揚げ屋。お年寄りも子供も、みんな楽しそうにはしゃいでいた。
…それに、これはチャンスだ。大勢の人の役に立てばきっと、また一人ではなくなる。
「とりあえず、頑張ってみようよ!ね?」
陽菜がそう言って押し切ると、凛太郎は渋々頷いた。
ホームで電車を待ち、適当に空いた席に座る。凛太郎が陽菜に聞いた。
「作戦はあるのか?」
「お祭りで人気だった屋台の本店を訪ねて、お祭りを復活しないかって誘う」
「…できんのそれ?」
「わかんない…」
陽菜が自信なさげに呟くと、凛太郎はふーっと息を吐きながら背もたれに寄りかかった。あまり乗り気ではなさそうだ。陽菜だって情報が確かかわからない。所詮不確かなネットで当時人気だった屋台を数店検索し、その出店先を辿っただけだ。
「僕がお祭りやりませんかって言ったときも、結局復活しなかったし」
陽菜は驚いて、背もたれに伸びている凛太郎を見た。凛太郎がそこまで積極的だとは思わなかった。いつも家でぐうたらしているくせに。陽菜は面白くなかった。
「なら、凛太郎に動いてもらう?」
「いいよ、僕は。特になんでもいい」
「そもそも、なんでお祭り中止になっちゃったんだろうね。あんなに人気だったのに。」
「さあね」
電車を降り、マップで道を確認しながら、二人は狭い路地を通った。左右に並ぶ家はどれも低く、茶色っぽく、まるで昭和の時代に戻ったかのようだった。
二人は店の前に着いた。昭和ドラマで見るような一軒家の下に、こじんまりとした駄菓子屋が開かれている。
「広告の看板でっか。古っ」
「今どきアイスボックスを店の前に置く所ねえよ。溶けるだろ」
陽菜は開きっぱなしのドアに、そっと足を踏み入れた。途端、甲高い声が狭い室内に響いた。
「あら〜!お客さん?」
エプロンを巻いた熟年おばさんのような人が、カウンターからドタドタ歩いてきた。陽菜は思わず硬直した。
「暑い中よう来たわねえ。入って入って!」
「お、おじゃまします…」
室内も変わらず暑かったが、そんなことは気にならないほどの物が、棚いっぱいに並べてあった。うまい棒に小さなチョコレート、ふ菓子、ガム、壁際にはうちわやらポスターやらが貼られていて、まるで小さなお祭りのようだった。
「あ、これ知ってる」
凛太郎が商品を一つ手にとって、陽菜にかざした。白い丸顔に青い耳、今流行りのキャラクターの絵が印刷されている。
「うちの商品は古いものしかないからねえ。流行りはよくわからないけど、若者が好きな商品も追加してあげようと思って」
おばさんが顔に手を当てた、少女のような仕草でそういった。
「子どもたちと話した時、あの子達、これが好きって言っていたからね」
「すごいですね…!」
「いやね、私が追加してみたかっただけよ」
うふふと口元に手を当てて笑う姿は、やはり少女だ。陽菜は尊敬の目でおばさんを見た。人のために行動できる人はすごい。子どもたちもきっと喜んだのだろう。
「おばさん、瑞生神社の祭りに、何か出店していませんでしたか?」
平然と「おばさん」と口にする凛太郎に向け、陽菜は脇腹を小突いたが、凛太郎は無視した。
「ああ、していたわよ。そうねえ…リンゴ飴と、射的の方にも、景品としてうちの駄菓子を集めて提供していたかしら」
「私、リンゴ飴食べたことあります。すっごい美味しかったです。」
「あら、ありがとう。色んな人に喜んでもらえて、嬉しかったわあ。」
幸せそうに頬を染めるおばさんを見て、凛太郎は何も言わなかった。陽菜が代わりに口を開く。
「私、またあのリンゴ飴食べたいです。お祭りを復活することって、できないんですか?」
「そうねえ…」
おばさんの優しそうな顔に、嫌悪感が少し滲んだ。
「復活したいけれど、これは地域の問題だからねえ。あの事故から二年も経ったっていうのに、会長さんったら聞かないのよ。」
「事故?」
「二年前、この神社の森で火災が起きたの。ただの事故だったけれどね。一応修復の期間として、お祭りが中止になったの。」
陽菜は目を瞬いた。二年前とはいえ、火事が起きたことはあまりよく覚えていない。
「修復はもうほとんど終わっているのに…やっぱりちょっとぎすぎすしているのかしら。」
空気が重い。陽菜と凛太郎は、黙ってその場に佇んだ。
「…なんてね。でもかわいいお嬢ちゃんが来てくれたことだし、私からももう少し言っておくわね。お菓子、好きなの持ってきて頂戴。負けてあげるわよ」
「本当ですか!?」
陽菜はぱあっと顔を輝かせ、駄菓子選びに戻っていった。凛太郎も何か探そうかと引き下がった時、おばさんがふと会計の手を止め、凛太郎をまじまじと見た。
「…あら、もしかして凛太郎くん?」
「…はい」
おっきくなったわね〜と近づいてくるおばさんに、凛太郎は曖昧に笑った。
「お父さんは元気かい?」
「元気です。とても」
陽菜は胸いっぱいに駄菓子を抱えたまま、おばさんと凛太郎を見て足を止めた。
「知り合いなんですか、二人?」
「凛太郎くんは瑞生神社の神主さんの息子だからね。お祭り関係なく、よく来てくれていたのよ」
陽菜は凛太郎を見た。初めて聞いた情報に、心臓が早鐘を打っていた。
◆
それから行ける範囲の店舗を巡り、お祭りについて話をした。どこも愛想よくお菓子やらなんやらをプレゼントしてくれたが、お祭り復活を承諾してくれる人はいなかった。その話を持ち出すと、陽菜たちを見て、みな気まずそうに首を振るのだ。
「神さま〜。誰もやってくれないよう」
誰も来ないのを良いことに、陽菜は神社の階段に座り、足に乗せたキツネの顔をむにゅーっと縮めた。
「神様の声をショート動画にでも上げれば、すぐ人が集まると思うんだけどなあ」
「私の声は二人にしか届かない」
ほっぺをぺたぺたされているせいか、キツネの声は少々不機嫌だ。
「それに、私は人が集まるためには、まずお祭りを復活させたい」
「だってみんな、二言目には事故がなんとかーっていいだすんだもん!」
手すりに腰掛けていた凛太郎は、地面から目を離し、頬を膨らませている陽菜の方を向いた。
「陽菜」
「なに?」
「お祭り復活、まだ続けるのか?」
陽菜は目を瞬いた。
「まだって…凛太郎は、やりたくないの?」
「やりたくないわけじゃねえよ。ただやっぱり…村の人達を困らせたくないっていうか…」
怖がってる?
陽菜は凛太郎を見た。目線が迷うように揺れている。優しい人たちで安心していたけれど、凛太郎は人と関わるのが、まだ苦手なのだろうか。
「僕じゃなかったら、多分良いんだ。僕だって気がつくと、みんな申し訳なく思ってしまうから…」
顔を背けた凛太郎を、陽菜はじっと見つめた。怖がっているんじゃない。
「めんどくさいの?」
「は?」
「僕じゃなかったら良いって、それ、自分がやりたくないだけじゃん」
凛太郎は手すりから飛び降りた。目の奥が爛々と光っている。
「ちげーよ馬鹿。俺は地元の人達のために…」
「お祭りが復活すれば、大勢の人たちのためになるんだよ。それを避けるの?」
陽菜はまっすぐ凛太郎を見返した。関わりたくないからといって、逃げるだなんて卑怯だ。そういうのが苦手な私だって、誰かのためを思って行動しようと頑張っているのに。
「凛太郎がやってないだけじゃん」
キツネがひゅっと、陽菜の手をすり抜け、茂みの中に逃げていった。箒を持ったおじいさんが、階段を一段ずつ登ってくる。神社に来てから、凛太郎でない誰かを見たのはこの人が初めてだった。
「よお。珍しいなあ、参拝に来たのか?」
「まあ…そうですね。はい」
「一人で来たのか?そこの男の子は…」
一瞬、凛太郎がものすごく嫌そうな顔をしていたように、陽菜は思った。
「なんだ、凛太郎じゃないか!」
対しておじいさんはぱっと顔を喜ばせ、凛太郎の肩をバシバシと叩いた。
「どこに行ってたかと思ったぞ。なかなか会えないからなあ」
「凛太郎、この人…」
「今の地元の会長」
凛太郎は、説明するのも面倒くさそうに答えた。
「さんをつけろ、さんを!」
おじいさんは笑いながら背中を叩いている。そんなに叩いて痛くないかと、陽菜は少し心配になりながら、立ち上がれずにいた。
「聞いたぞ。若い子二人が、祭りの復活のために動いているって?」
おじいさんはその顔を凛太郎に近づけ、囁いた。
「随分と積極的だな。そろそろ反省する気になったか?」
「はい」
凛太郎があまりに素直に頷くので、陽菜は驚いて目を見開いた。
「おお、そうかそうか。ついに認めたか。反省しているなら、そろそろ私も動かねばなあ。今度の話し合いで出してみるよ」
おじいさんは手を離し、はっはっは、と豪快に笑った後、箒を担いで階段を降りていった。陽菜は、すぐ凛太郎に話しかけられずにいた。反省?認めた?おじいさんの笑顔と言葉の圧に押され、相変わらず立ち上がれなかった。
「変な人なんだよ」
凛太郎が肩についた土を払いながら、呟くようにそういった。
「気に入られたら、誰彼構わず反省したか?って聞いてくる」
「なにそれキモ」
「そうだな」
凛太郎が陽菜を追い越し、階段を降りる。いつもより距離が遠い。陽菜は焦りを感じて立ち上がった。
「そろそろ動くかって言ってた。今年のお祭りは復活するかもな。」
「そうなの…凛太郎は来るの?」
「さあ」
凛太郎が早足で降りていく。陽菜は立ち止まった。側の茂みが揺れ、キツネが陽菜の足元に擦り寄ってきた。側にかがみ込む。
「凛太郎すねちゃった」
キツネを撫でながら、陽菜はぐるぐると渦巻く感情を抑え込むように言った。
「何なんだろうね、アイツ」
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