第23話

 次の日は目覚めてすぐに暴れだすようなことはなく、自分で食事を取るくらいならできそうだった。

 護衛の仕事では侍女に扮することもあり、そうした訓練も受けている。今でこそ公爵令嬢を名乗っているが、元々は父と二人で町の小さな家に住んでいた身だ。ずぼらな父は頼れず、掃除だってベッドメイキングだって自分が担当だった。


 食事を運んだが、目の前の侍女がエリザベスだと気付かなかった。その方が都合がいい。

 食事をテーブルの上に置き、退出しようとした時、脱走しようと突き飛ばされて不覚にも転倒してしまった。エイベルはすぐに衛兵が捕らえたが、寝不足とは言え受け身も取れなかったとは。エリザベスは自分の鍛錬不足を感じながらも、むかついて頭から水をぶっかけてやった。人に危害を加えるような奴に容赦するものか。衛兵たちは驚いてはいたが、エリザベスを咎めることはなかった。

 しかしエリザベスもエイベルに問答無用で回し蹴りを喰らわせている。当人にはエリザベスだとばれてはいないが、ある意味仕返しされたと言えなくもない。

 膝が痛むほどに腹立たしさを感じ、次同じことをされたら足をへし折ってやることを決意した。


 膝の治療を終えると散らかった食事を片付けにエイベルのいる部屋に戻ったが、顔を見たくもなかった。さっさと片付けて部屋を出ると、護衛の詰め所で仮眠を取った。


 近衛師団長に状況を報告した後、薬物研究所に今日の薬を取りに行った。二つ受け取り、ブライアンの分はキャサリンに渡した。ブライアンはまずい薬に顔はしかめるが、キャサリンがお願いすると我慢して飲んでくれるらしい。無理に飲ませなくていいのは羨ましかった。



 そろそろ洗顔くらいしたいだろう。準備するにあたり、自分の世話をしてくれる公爵家の侍女を思い出してみた。朝には洗顔用に熱すぎず冷たすぎない快適な温度のお湯を用意してくれる。時々花や果実の精油が入っている時があって、ほのかな香りが嬉しかった。少しでも心を落ち着けられるよう、エイベルの侍女ヘレンからサイプレスの精油を借りた。ヘレンに追加の着替えとタオルを持って来てもらったが、王族専用のタオルは白く柔らかで厚みのある上等なものだった。北の塔にはそぐわない、何て贅沢な幽閉だろう。


 暴れることは徐々に少なくなっていったが、聖女様への妄信はなかなか収まらなかった。

 散歩と称して部屋を出たがり、賄賂をほのめかされた。銅貨の一枚も持っていないくせに。エリザベスがそのことを指摘すると恥ずかしそうにしていた。ざまあみろだ。


 昼にはここを出せと大騒ぎしていたが、相手にしないよう厳しく言っておいた。やがて収まったが、激しくドアを打ち付けた手から血が出ていた。まだ薬が抜けきっていない。食後に痛々しい手の治療をした。


 どんなに抵抗されてもあの薬だけは飲ませると決めていた。あの薬を飲めば深く眠れるようで、症状が改善されているのがわかる。

 医者から別の薬が出た。肝臓が弱っているらしい。せっかくの薬も飲まなければ効かないが、置きっぱなしになっていた。エリザベスは無理に飲まそうか悩んだが、例のまずい方の薬を置くと本人も飲まなければいけないと思ったようで、エリザベスにチラチラ視線を送った後、どちらの薬も口に含んだ。意外と早く聞き分けが良くなってくれて助かった。


 護衛のフランクにエイベルの部屋にあった本を持ってきてもらい、差し入れた。退屈しのぎになるかと思ったが、本の受け渡しは外部とのやりとりに使われることがあり、時には不利な証拠をねつ造されることもあって北の塔では禁止されていた。しかし今回の幽閉は薬の影響が抜けるまでの仮の処分だ。他の者は知らなかったことにするため隠して運んだ。

 フランクの選んだ本は数学にお堅い歴史物語。どちらもエリザベスは読みたいとは思わなかった。


 夜が深まり、部屋を覘くとエイベルはもう眠っていた。深い安らかな眠り。額に手を当て、熱がないことを確認した。エリザベスは安心して部屋を出て、その夜は使用人用の一部屋を借りて眠った。



 次の日は菓子が用意されていた。久々の甘味だ。少しは心が安らぐといいが。

 上の階にいるブライアンとキャサリンにもお茶を添えて届けた。

 ブライアンは治療が進むごとにキャサリンへの溺愛心をなくし、あまり会話も弾まなくなったようだ。ブライアンの方がエイベルより先に北の塔から出られるだろうが、それがキャサリンとの別れの時になる。ブライアンはそれを知らない。


 呪いで迷惑なほどに愛されながら、呪いが解けると共に愛も冷めていく。それを受け入れ、ただ見守るキャサリン。父親の罪を償うため、ブライアンが治るまで付き添うと決めたキャサリンを、強い人だとエリザベスは思った。


 その翌日、ブライアンは北の塔を出た。

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