第7話

 病院の方では、由々しき問題が起こった。人間たちが、自分たちが生んだ常識の範囲で、ことをどのように片づけるのかはひとつの見所だったが、ともあれ悠弥と義貴は再び爆発事故に巻き込まれた不幸な患者ということで扱われた。後のことはどうなったのかよくは知らない。

 関与のしようもないことだった。

 やけに暑い、初夏空が病院の窓から見える……。

 テレビのニュースによると、梅雨入りもそう遠くはないそうだ。湿気の季節がやってくる。

 悠弥と義貴はというと、今は一般病室で、隣通し仲良くならんで過ごす毎日である。

『不運にも爆発事故に巻き込まれた』ふたりの入院期間は、二ヶ月に伸びた。悠弥は打撲がめっぽう増えたし、義貴は裂傷がすこぶる増えた。



「っとによ……てめぇ性格悪いんだよ、忍日」

 と悠弥が愚痴るには例の――今となっては消し飛んでしまった――病室のことである。霊が出るだの何だのという噂のあった例の病室に入院することになった義貴は、初日の夜に病室全体を『浄化』して、迷った霊魂をみな黄泉の国へ送り届けてしまったらしい。

 遅れて入ってきた悠弥には、何も起こるわけがない。

「おまけに霊なんか信じない、とか何とかいってたよなぁ? 聞き間違いかなぁ?」

 嫌味たれる悠弥に、しかし義貴は動じない。

「……だから、すみませんて」

「どうだかな。おれに気がついてて黙って見てるなんてなぁ。傷ついたなぁ……」

「悠弥。自分のことを棚にあげないで下さい。しょうがないでしょう、お互い疑心暗鬼で人生どん底だったんです。私には、自信がなかった……あなたが目の前にいるなんて、信じられなかったんですよ」

「どーだか。そうやって面白がってよー」

 すると義貴はとたんに肩を落として悲しげにいった。

「ああ、あなたにはわかって貰えると思っていましたのに。もし万が一私の勘違いだったら、期待が裏切られたら、どうすればよかったんでしょうねぇ。また手首切っちゃいますよ。天照さまにお願いして、消滅しちゃうかもしれませんよ。意地悪ですねぇ、悠弥は」

「……馬鹿。シャレんなってねぇよ」

 悠弥はそう答える。

 義貴は悠弥に、彼なりの生い立ちを話した。 百年のあいだ、幾度かの転生を繰り返し、全国を歩き回って誰かの消息をつかもうとしたこと。そうして、絶望に取り憑かれていったこと。大伴義貴として生を受けてからは、焦りが募るばかりで、血迷い、いっそ死のうとした。電車に飛び込んで、自殺をはかったのが最初だった。手首を切ったのは、入院生活中のこと。そうして、あまりの弟の異様なさまに、姉であった由美子が問いかけ、理解し、手をさしのべてくれた。むちゃくちゃを言っても、受け止めて、義貴の救いになろうとしてくれた。そしてならばなおさら生きてゆけと、叱咤してくれたのだ。   と。

 悠弥は、義貴が由美子に見せる表情がとても素直なわけを理解した。自分はそんな家族を持っていないが、義貴には支えがあったことを心から嬉しく思った。

 信じられない……こんなに近くに、失ったと思って疑うこともなかった半身が、いる。

 まだ、夢を見ているようだ。

 風が、流れて。遠い梅雨の匂いを運んでくる。

 窓側の悠弥は、空を仰ぐ。

「……悠弥」

 義貴が低くいうので、悠弥は何かと訊き返した。

「天帝は、私たちが滅びることを、許しませんでした……。だから……いま、ここに私とあなたは生きているんでしょう」

「……ああ」

「百年、時を重ねて理解しました。何が終わったわけでもなく、何が滅んだわけでもないということを……」

 悠弥はぴくりと肩を揺らした。

「傷を癒すには、……『休息』の時間が必要でしょう。すなわち、『眠』らなければならなかったわけです。……本当の破滅は、これからのようです。みずちは、消え逝くときにこう言い残しました。『穴牟遅さま、須佐鳴さま』と」

 そう。それは、『彼ら』が我々と同じく生き延びたという意味に他ならない。

 百年前の、大激突。

「……いまになってあちこちで目だった動きが出てきています……あなたは知らないかもしれませんね。でも……あのときには、何も変わらなかった。私はそう思っていますよ」

 あの終焉は、この始まりの、序曲。

 義貴はそういう。

 仰ぐ空が、大地をうつしてふたたび鮮血の色に焼け染まるときが、くるのだろうか。

「……あなたは、これからもっと心を剛くもたなくてはならないでしょうね。悠弥」

 悠弥は義貴を見た。重たい口振りが、悠弥の胸に滲んだ。

「あなたの愛した女神は……生きていますよ」

 ――沈黙。

 そして悠弥は目を瞠る。その言葉が示す意味を理解したからだ。

「御師たちはどこかで互いを探している。百年かかってこうしてあなたに出逢えて……それは確信になりました。……あなたはいつかまた、追い詰められるのかもしれません。けれど我らの巫女姫……宇受女さまはおなじ空の下、どこかで生きています。ただ……休むために眠っているのです。私たちは全員、生き長らえた。残酷だけれど」

「……まさか」

「天照さまは、百年前の状況を乗り越えよと、仰せなのかもしれません……ね」

 背を向けて逃げることは……許されない。

「後悔しないよう、努力しましょう。同じ過ちを繰り返さないよう。……最善を尽くしましょう」

「……忍日……」

 それを、どうとったらよいのか悠弥にはわからなかった。義貴  忍日命は、遠いあの日、めちゃくちゃに精神を叩き壊された自分をまっさきに許すといってくれた。もういいから休めといってくれた。時間が経っておもうことは  巫女姫を心の底から、愛しているということ。どれほど憎まれていようとも、……逢いたい。触れたい。許しを請いたい。跪いてもいい。

 苦しい。この煩悶は、苦しくて仕方がない。けれど、……悠弥は首を振る。そして、笑顔になる。

 乗り越えろというのなら……その機会が

与えられるというのなら、乗り越えて見せる。

 いまは――彼に――救いに出逢えたことだけでいいから。いいから、……まだしばらく、巫女姫をもとめて残忍な悪夢を見続けることになっても、それはやはり罪の証しで。

「……お前に逢えて、よかったよ」

 義貴は了解の微笑みをくれた。



 ドアが開く。

 由美子がやってくる。つくり物ではない笑顔が、久し振りだ。

 義貴が、素直な笑顔を見せる人。

 いつかまた、おいつめられてゆくとしても。いまは――天に祈るのみ。



 女神に――巫女姫に、いつか自分も……こんな笑顔を見せられるように。

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Light And Darkness:無限邂逅 さかきちか @sakakichi

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