第6話 少年の過去~病院編~



 病院に帰る風花を見送って、三十分程後、僕は病院に向かった。時間は夕方だけど、まだ忙しい雰囲気が漂っていた。受付を待っている間、人ごみの中で声がした。


「知ってる? あの風花さまっていう患者、まだ入院しているらしいわよ。もうとっくに精神病なんて治っているだろうに。楽しそうに話していましたしね。」

「殺人犯を庇ったらしいですよ。どういう意図なんでしょうか。それならあなたのために働いている私たちにも多少高ランキングの恩恵があっていいのでは?」

「そういえば風花さまの看護師の担当者変わって、ちょっといしたたずらをしているらしいですよ」

「ちょっとしたいたずらね」


 僕は嫌な予感がして、風花の病室に向かう。


 角を曲がって二つ目が風花の病室。その時、風花の病室に入る人の姿が見えた。見慣れない看護師。担当者が変わっている。おやつのスイーツかなにかを持って中に入っていった。何やら中で話している。


「スイーツ持ってきました」

「……今日は乳製品入っていないわよね」

「はい。確かに」

「……」

「早くお食べになっては?」


 乳製品はアレルギーだったはず。ドアを少し開けて中を見ると、風花がデザートをまさに口に入れようとしていた。


「ゲホッ、ゲホッ、ハッ」


 咳をして、明らかに過呼吸になっている。 それをよそに看護師は冷淡に言う。


「ほら、完食してください」


 風花は吐いた。袋を事前に準備していたらしい。



「あらあら。汚いですよ」

「やっぱり乳製品入っていたじゃない」

「いやぁ。料理人には言っておいたんですけどね」



 ここが決定的な瞬間だ。すかさず声をかける。


「あの~。すみません。風花さんの見舞いに来たんですけど」


 看護師はビクッっとした。悪いことをしている自覚あるなら最初からやるなよと思う。でも怒りと言うよりは軽蔑が勝っていた。


「何やっていたんですか?」

「いや、デザートに間違えてアレルゲンが混入していたらしくて」


 僕は耳元で囁く。自分でも驚くほど氷のように冷たい声が出た。


「わざとやっているんだったらもうやめてください。次やったら僕我慢できません。こういう虐め一番嫌いなので。ついでに知ってると思うけど僕人殺してるから」

「脅迫ですか?」

「脅迫も何も悪いことしているのはあんたでしょ。警察に言ってもいいよ。僕もう失うものなにもないから」 


 看護師は逃げるように去ろうとする。


「あ、あともう一つ。ほかの看護師も悪口は許さないって言っといて」


 看護師はゆっくり頷き、廊下に出た瞬間、勢いよく走っていった。


「なんで光がここにいるの?」

 風花は怒っているようだ。

「だっていつも寂しそうに帰るから気になるじゃん」

 実際いじめがあった。

「脅迫したの?」

「したよ?」

「そんなことしたら、もう定期観察じゃすまないよ。立派な犯罪だ。せっかく私が説得したのに……」


 風花は涙目だった。悔しかったのだろう。


「僕ね、気づいたんだよ」


 風花は顔を上げる。


「僕と君は生まれながらのランキングのせいで虐められ、悲しい運命をたどった。僕たち二人なら互いに共感しあえると思った。でも決定的に違うんだよ。きみと僕とじゃ」


 風花は目を見開く。


「思えば単純なことだ。でも見て見ぬふりを今までしてきていた」

「違う。同じだよ。私と君はこれからも幸せに話していける……」


 風花は涙声だった。大方僕の言うことが想像ついているのだろう。僕はそれにとどめを刺すように言う。


「君はランキングが高くて、僕はランキングが低いんだ。君は世界に認められていて、僕は世界に認められないんだよ。風花」

「そんなこと言わないでよ。いまさら」

「だから僕のせいで風花が傷つくのは違うんだ。本来は逆であるべきなんだ。」


 一息ついてから僕は口を開く。


「僕は君の美しい命のために僕の命を汚す」




 結局、看護師たちは自分たちもランキングが下がる覚悟で僕のことを警察に伝えたらしい。定期観察の時に僕に話を伺おうとしたそうだ。


 でも僕は定期観察に来なかった。



 僕は恐ろしく冷静だった。今、僕が捕まればあいつらは虐めを続けるかもしれない。だから捕まるわけにはいかなかった。


 恐らく保護施設には警察はもう行っているのではないだろうか。もうそこへは帰れない。



 僕は美しい命を守らなければならない。


 でもいつまでも警察から逃げられるとも思えない。


 母親を殺してから劇的に何かが変わった。今まで思いつきすらしなかったことが今では僕の脳にこびりついて取れない。


 人生の選択肢に「殺す」という項目が増えた感じだ。とりあえず何とかして看護師を絶対に虐めさせないようにしたかった。


 誰もが母のように見えた。何をしても聞く耳を持たない猿。その場だけ反省したように取り繕って、何もなかったかのようにまた僕の大切なものを奪おうとする。



 手段を選んでいる間に、気づけば何もかも奪われて何も残らない恐怖。



 僕はナイフを取り出すことを躊躇しなかった。深夜の病院に向かって歩き出す。






 深夜の病院は昼間の忙しさとは対照的に冷たく静まり返っていた。まだ看護師いるかな。昼間にこういうことはしたくないから。


 僕を見てそそくさと立ち去ろうとする看護師がいた。風花担当の看護師だ。僕は歩きながら後を追う。


 看護師のスピードはだんだん上がっていく。当たり前か。命を狙われているのだから。



 看護師はトイレに逃げ込んだ。個室に入って鍵をかける。仕方がない。僕は看護師をトイレの前で待つことにした。最悪朝になっても手早く済ませれば大丈夫だ。


 なかなか出てこない。気長に待つ。今彼女はどんな気持ちで個室に隠れているのだろうか。別に殺すと決まったわけではない。なのに殺されると勘違いして怯えている様子は滑稽だと思ってしまった。


 僕の母はサイコパスだった。僕はそれが遺伝しているのだろうか。いや関係ない。ただ、風花を救えばいい。



 トイレに籠って一時間弱。やっと看護師が出てきた。


「何が目的ですか?」

「分からない?」

「……私は殺されるんですか?」

「それは君次第かな。君が絶対にもう風花を虐めないという保証ができればいい。」

「なぜ……そこまでするんですか」

「それはこっちが聞きたいな。あのさ、風花の高いランキングに嫉妬して虐めるなんて君が初めてじゃないの。そんなカスは腐るほどいるんだ。もううんざりなんだよ。だからもう面倒くさくなった。今すぐ証明して。もう虐めないって」


 看護師は怯えた表情で黙り込んだ。一向に口を開く気配がない。僕はイライラしてきた。


「もうすでに一時間くらい僕は待たされているんだから早くしてくれないか」


 大きなため息をつく。やはり殺すしかないか。そう思ったその時後ろから声がした。


「あの~。すみません。トイレに行きたいので通してもらえませんか?」


 こんな時に誰だ。そう思って振り向くと風花だった。


「え、えっと。ちょっといいですか?」


 僕のことには気づいていない様子だった。多分寝ぼけている。通してあげた。


「ありがとうございます!」


 そう言う風花はとても可愛かった。




 看護師は風花の様子を見て泣いていた。


「こんな可愛らしい子に私はなんてことをしていたんでしょうか……」


 いきなり何を言っているんだ? こいつは


「本当にすみませんでした。はんせいして……」

「そんなんで許されるとでも思っているの?」

「……」

「その場の勢いで適当に言っとけば大丈夫とでも思っているんじゃないの?」



 僕は信用できなかった。喉元過ぎれば熱さを忘れるということもある。その場しのぎにしか聞こえなかった。



「確かにそう思われてもおかしくないと思います。殺されても構いません。ただ、もし許していただけるのであれば、この子に償わせてくだい」


 看護師は土下座をした。凪いでいる僕の心は少しも揺れなかった。


 風花がトイレから出てきた。


「あれ? 泣いているの?」

 風花は看護師に近づいて言った。

「申し訳ございませんでした。風花さま」

「なんで謝っているの?」

「私は大変な過ちを犯してしまいました……」



 なぜだろう。今までの土下座とかには全然揺さぶられなかったのに、この会話を聞いていると、すごくジーンとくる。


 風花は分からない様子で去っていった。看護師は僕に言う。



「私はもう一回だけ風花さまの看護師として仕事をしたいです」

「それじゃ、折衷案を出そう」




 僕は病院から出た。結局ナイフは使わずに済んだ。盗聴器を確かめる。ちゃんと動いている。


 結局僕がずっと看護師の盗聴をした状態にすることで合意した。壊れた場合、看護師が壊したと判断するとした。もう一回やったら次はない、と強く言い聞かせた。


「なぜだろう。どっと疲れたな」


 僕はまだ警察に見つかってはいけない。できれば一生。






 次の日の一時、風花と会う。


「なんかあの看護師の人、今日急に態度変わっちゃってさ」

「うん」

「朝来た途端すぐ土下座して泣き顔で『すみませんでした!』って言うからビックリしたよ」

「うん」

「もしかして光、何かした?」

「僕は何もしてないよ」

「ふぅーん」



 僕じゃない。看護師を本当に変えたのは君自身だ。多分僕さえも。君は何も覚えていないんだね。……なぜか妙に君らしい。そう思ってしまう自分にも驚いたけど。




「ところで君、警察に追われているよ?」

「知ってる」

「どうするの?」

「さぁ?」

「ねぇ。真面目に言っているんですけど」

「……」

「私ではそろそろ庇いきれなくなってきているよ」



 僕も今がその時なのは分かっていた。永遠なんて存在しない。不変な毎日なんてありえない。それを願うのは傲慢だ。


「ねぇ。風花」

「なに?」

「明日って風花の誕生日だよね?」

「そうだよ?」

「こう話してばっかなのもいいけど、明日ショッピングに行かない?」

「いいね」


 そう。きっと明日が僕と君の最後。僕はハッピーエンドが好きだ。


 そうすればきっと君との思い出も愛せる。


 明日への期待を胸に僕はベッドへ潜った

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