辻呪

【短編】 辻呪


大学1年生の時

同じゼミの懇親会で知り合った彼は

お互いオカルトが好きという共通の趣味で意気投合し、普段から最近仕入れた怖い話などを聞かせ合う仲になりました。

仲が良いとは言っても、

プライベートで予定を合わせてどこかに行くほど親密なわけではなく、授業終わりに予定が空いてたら食事や飲みを2人で共にする、ぐらいの仲で。

バイト先で聞いた怖い曰くとか、大学周辺の都市伝説とかを色んな人から聞いてはそのときにお互い披露する、そんなライトな関係性でした。




夏休みが明けた10月の上旬、

後期の授業に行った際、久々に彼に会いました。

2か月ぶりぐらいの再会でした。



久々に会話をして盛り上がり、夏休みなにしてたとか雑談しながら、

いつもみたいに授業終わりに一緒にご飯食べたりして。

夏バテしてるのか、少し元気がないようにも感じたんですけど。


それでそのあと、久々だし色々話そうぜってなって、下宿している彼の部屋に遊びに行かせてもらったんです。


酒を買って行っていつものように怪談会をしたりホラー映画を観たりして、オカルトに浸かった夜を過ごした後の深夜2時ごろ。



「あのさ、ちょっとお前の意見を聞きたいと思ってさ」



キッチンの換気扇の下で2人してタバコを吸っていた時、

突然そんなことを彼が言い出しました。



「考察?怪談的な?それとも妖怪的な?」



「いやーちょっとジャンルが難しいんだよな。

もしかしたら怖い話じゃないのかも。でもこれ、俺が実際に経験した話だから、どうせなら話しとこうと思ってさ」



いつもの怪談を話す時とは違ったテンションで、訝し気に眉をひそめながらそう言うと、

彼はその時のことを思い出すようにゆっくりと話し始めました。








夏休み真っ只中の8月中旬、ちょうどお盆の時期、彼は母方の祖母の実家に家族と共に帰省したそうです。


「帰省って言っても、墓参りして1泊ぐらいしたら帰る程度なんだけど。俺のっていうより俺のお母さんの実家だからさ、一人でお婆ちゃん暮らしてんの心配じゃんか。だからたまに母親と俺とで行くんだよ。」


彼の祖父、つまり彼の母の父親はもうすでに亡くなっており、

今はそこに祖母が一人で暮らしているそうです。


「俺の婆ちゃんちの近くって本当に田舎でさ、

近所の家とかも昔ながらの和風建築っていうのかな。一つ一つの家の敷地も広いし山とか森がすぐ近くにあって、でっかい田んぼと川が広がってるみたいな」


ここではあえて彼の実家の場所を

茨城県の某所と場所を濁しておきますが、

村や集落などではありません。

都心からかなり離れた自然が多い郊外、といったような場所ですが結構な田舎ではあります。



「お婆ちゃんちってWi-Fiも通ってないからさ、

意外とすることないんだよね。

お母さんとかもお婆ちゃんとリビングでテレビ見ながら喋ってるばっかで、娯楽がないわけ。

だから俺なんかは小学生の頃みたいに、外行ってなんかするしかないのね。」


そこで彼は、日中などは祖母の家の周辺を散歩していたそうです。



日本の夏の原風景をそのまま具現化したような田んぼと河川敷の道、

山なりに見える入道雲や、蝉時雨が響く森。

自然豊かな夏の田舎の情緒を万遍なく堪能して


和風建築が並ぶ人気のない住宅街を歩いていると。


「なんか一直線の道がこう、二手に分かれてるとこに出てさ。

まぁ要はY字路的な道があってね。

そのちょうど道が二手に分かれ始める突き当りに、低い台座に乗った石碑みたいなのを見つけたんだよ。

彫ってある字は難しくて読めなかったんだけど。なんか「石」って書いてある後に「蟷螂」みたいな漢字が続いてたかな。

綺麗な形してなくてさ、山にある巨石そのまま持ってきたみたいな。」


石碑ぐらい別にどこにでもあるんじゃないの、

と言うと


「そうなんだけどさ、ちょっと変なのがさ」


腕を組みなおし、床を見ながら言いました。


「その石碑の上の方、説明むずいんだけど、

俺らでいう頭頂部に近いてっぺんの部分に、

釘が刺さってんのが見えたんだよ。」


「釘?」


「1本だけ。上からブスッて刺したみたいに釘が刺さっててさ。あんま見たことないよな。

こんなことして大丈夫なのかなって思ってさ、

俺ちょっと触ってみたんだけど、

かなり深く刺さってて抜けないんだよ。」


彼は吸ってたタバコを釘に見立てて、

指で抜くジェスチャーをしながら説明しました。



「で、それ近づいたときに気付いたんだけど、

その釘に紐がかかっててさ。

裏側回って見てみたら、そこに木の板みたいなのが吊り下げられてたんだよ。プラカードみたいに。」



「へぇ。つまり石碑のてっぺんに釘を刺して、

そこに紐ひっかけて表札みたいに木の板を吊るしてるってことか。確かに意味わかんないな。」



「でしょ、雨風のせいかめっちゃ汚いしさ。

でもよく見たらその板にも何か書いてあってさ。」



なんて?と聞くと



「すごい歪んだ字でさ、

いつも動かしていただきありがとうございます、みたいなことが書かれてて。

しかもこっちは彫られてるとかじゃなくて、

油性の黒マジックで書き殴ったみたいな。」



意味もよくわかんないし気持ち悪いから、あんまり触らないようにして

その時はすぐ家に帰ったそうです。



「で、夜21時過ぎぐらいになってさ。お婆ちゃんとか寝るの早いからもう寝ようとか言うんだけど俺、全然眠くなかったのよ。

だから布団から抜け出して、縁側からこっそり外出てさ。

やっぱり気になって、昼間に見た石碑のとこもう一回行ったのね。」



そしたらさ。

と、彼はより声色を落として言いました。



「遠目でもわかったんだよ。街灯もあったからさ。

もう近くに行くまでもなかったんだけど。」



街灯が照らす灯かりの下、

石碑がうつ伏せに倒れていたそうです。


台座からゴロリと落ちて表側の石碑の文字が見えなくなっていて、後ろに吊り下げられている木の板が空を向いていました。


まるで誰かが後ろから石碑を思いっきり押し転がしたような。

よく見ると一部欠けて破片が落ちてたそうです。


「俺どうすればいいかわかんなくて。怖いとかより驚きのほうが勝っちゃってさ。

でも見ちゃった以上、さすがに素通りするわけにいかないし直した方がいいかなって思って。」


石碑の方に駆け寄って抱きかかえようとしたが、重くて動かせない。

こんなものがどうやって倒れたんだろうと苦戦していたら、

木の板が目に入って。


「さっきと文字が違っててさ。

いや違うというか、また書き足されてて。

同じような黒マジックで、平仮名でさ。」


彼は一息ついて、唾を飲み込むと



こわしていただきありがとうございます 

って。




「急いで帰ろうって思ったのね。

なんか長居しちゃいけない感じがして。

というか、この石碑に関わってるところを人に見られたくないっていうか。

何でかとかはわからないんだけど。」



彼は徐々に早口になっており、その時の得も言われぬ不安感をなんとか言語化しようと話しています。


「ていうかそこら辺って、本当に日中とか全然人がいないんだよ。

昼間とか歩いててもまったく人と会わなくてさ。

住んでる人たちも高齢の人ばっかだから、

仕事っつっても家で農作業とか動物の世話するぐらいのはずなのね。

でも庭とかちょっと覗いても、人の気配がまったくないんだよ。

たとえ昼間だったとしても。

人は住んでるはずなのに。

話し声すらも聞こえないんだよ。」


それなのに、それなのにさ。


彼は少し憤りすらも感じさせるような口調で続けます。


「なんでその時だけあんなに人の気配がしたんだろうって。

夜の21時回ってるし真っ暗なんだよ。

住宅街だから周りの家に灯かりついてたらわかるのね。

窓は真っ暗なんだよ、周りの全部の家が。

でもわかるんだよ、全部見られてたって。」



どうしようもなかったんだよ、と誰かに弁明するかのような語気でそう捲し立てる彼に、

私は少し背筋がゾクリとしました。


結局、彼は石碑を起こすことは諦め、

とりあえず道の脇に寄せて逃げるようにその場を後にしたそうです。



祖母や母に石碑のことを聞いても、案の定なにもわからないとのことで。




しかし、問題はここかららしいのです。




彼のその後の話を要約すると、

その日を境に

帰省から帰ってきた後の生活で

他人から掛けられる「ありがとう」の意を表す言葉が、全て同じ声で聞こえるようになったそうなのです。

いえ、厳密には他人から「ありがとう」と言われた後に被さるように、

まるで輪唱でもしているかのように

「ありがとうございます」という声が後を追って

こだまするのだそうです。


バイトの接客中はもちろん、大学の教授や友人、家族との会話中に言われる

「ありがとう」という言葉が

全て同じ音程、文言、人物の声で

「ありがとうございます」と、少し遅れて脳内で再生されるらしいのです。



囁くような、か細い女性の声だそうです。





「俺もう意味わかんなくってさ。

でもこんなの話して取り合ってくれんの、お前ぐらいしかいないし。」



正直気持ちが悪い話だと思いながら聞いていました。

オカルト好きではあるのですが、幽霊が出るとか呪いにかかるとかとはまた違うような。

明確な解決策を思いつくこともできないまま

どうにか友人を落ち着かせて、

私も個人的に調べてみる、という結論に至りました。





実際に私が現地に足を運んだのは、

それから2週間後のことでした。

昼の15時前後、1時間に数本しかない1両編成の電車に乗り、茨城県某所の無人駅で降りました。


その石碑の正確な場所を言い表すのは難しいそうなので、彼の祖母の実家の住所を教えてもらい、そこを軸に徒歩で周辺を探し回りました。



確かにその周辺は、住宅街の割には異様なほど静かで、城郭のような塀に囲まれた昔ながらの巨大な和風建築の家がたくさんあるものの、

本当に人が住んでいるかどうか疑わしいほど静かでした。

道中でも自転車を押して歩く老婆や、

公園で一人体操をする初老の男性を見かけた程度で、他に人は見当たりませんでした。



30分ほど歩いていると、案外すんなりとそれは見つかりました。



一直線に伸びた道の先が二手に分かれており、

Y字路になった三叉路が

無人の住宅街にふと現れました。

そしてそのY字に道が分かれる根本の部分、

私が立っている道の正面に、石碑がありました。

彼の話では最後、道の脇によけたらしいですが、

おそらくは元の位置、台座の上にそれは鎮座していました。


ただ。


それは石碑というより、もっと異質なものでした。


石碑とは本来、

墓石の代わりに建てられる墓碑銘が刻まれたものか、なにかを記念するモニュメントとして建てられる記念碑の二つに大分されると思います。


しかしそれは何かを称える詩や俳句は刻まれておらず、故人を偲ぶ墓碑銘らしきものも見当たりません。


これは石碑ではない。

だとしたらなんなのだろう。



とりあえずこの疑問は後回しにするとして、

何より気になるのは

上部に打ち込まれた釘と、そこに吊るされていた木の板です。


岩の上部を見てみると釘はもうありませんでしたが、

直径数センチほどの小さい空洞が空いているのが見えました。

今は抜かれているが釘が刺さっていたのは事実だろう、と確信しました。


では、裏側の木の板は

と思って後ろを覗き込むと。



「えっ」



思わず上ずったような声が飛び出しました。


そこに木の板はありませんでした。

が、その代わりに。



一面にビッシリと。

薄汚れた何かの紙が大量に貼り付けられていました。


あまりの絵面のインパクトに圧倒されてしまいました。

彼の話の中にも、こんなものがあったとは聞いていません。



その紙は所々破れていて黒ずんでいるのですが、

何かしらの文字が書かれているということはわかりました。



まさかベタにお札とかじゃないだろうな

と注意深く見ていると、

どうやら何かのメモかノートの切れ端といった類の、横書きで書かれたもののようです。

縦長の用紙でもなければ文字も横書きなので、

お札ではないのでしょう。


少し安心したのですが、

1枚1枚目を通して確認していくうちに

「出生」や「誕生日」という文言を見つけることができました。

何かの書き込む表のようなものも見え、体重を書く欄なども見えます。


そこでやっとその紙の正体に気付きました。





これ 母子手帳だ。






ある意味ではお札が貼られていた方が何倍も良かったかもしれないと、気付いた瞬間に思いました。

母子手帳のページを一枚ずつ破り取って

石碑の裏に貼り付けるという行為に、

なにか猛烈な悪意を感じたからです。


石碑から距離をとり、周囲を見回しました。


この石碑の裏に気付いたということを気付かれてはいけないような緊張感を感じたのです。


途端にすべてが気味悪く思えてきました。


今の時間帯は昼頃でまだ10月上旬、

少しずつ残暑の余韻が消えて秋になりかけの風が吹く、一見すればなんとも心地よい散歩日和の天気だったでしょう。

だというのに街を歩く住人は見当たらず、

ただただ虫や鳥の鳴き声と木々の葉が風でざわめく音しかしません。


初秋の木漏れ日が道を染める抒情的な風景に似つかわしくない、

突如として眼前に現れた異物。

周りの色づいた風景をすべて真っ黒に染め上げてしまうような禍々しさを放つモノが、

この閑静な市井の街角に鎮座しているという状況がとても気味悪く思えてきたのです。



”道祖神”



ふと、頭にそんな言葉がよぎりました。

そういえば大学で、民俗学を専攻している友人から聞いたことがあります。

石碑によく似た見た目で、道端にたまに置かれているものがあると。

ネットで検索してみると、以下のように記されていました。



"「道祖神」とは炉端の神を指す言葉。

集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。

厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として祀られている民間信仰の石仏であると考えられており、自然石・五輪塔もしくは石碑・石像等の形状である。”



確かに、なにかを称えるものでも偲ぶものでもなさそうなのに石碑の見た目をしています。

これが神を祀っている道祖神なのだとしたら、

道の辻や三叉路にあるという説明からも納得がいきます。



しかしこの母子手帳の切れ端はいったい。





不快感にも似た後味の悪さを感じながら石碑から距離をとって写真を撮りました。

民俗学を専攻しているその友達にも意見を仰ごうと連絡していると、あることに気付きました。



道祖神が置かれている真後ろ、つまりY字に分かれている道と道の間に

民家の廃墟があることに気付きました。



ですがそれは、今までこの辺一帯で見てきた和風建築の家などではなく、

塀もブロック塀で、どこにでもありそうな田舎の2階建て一軒家といった感じでした。

赤く錆びた門扉や割れた窓ガラス、

門扉から玄関までのアプローチに伸び放題の雑草が生い茂っていることからも、長い時間放置されていたとわかります。



時刻は16時を回り、半分夕方に差し掛かってきていましたが

私はこの廃墟が気になって仕方がありませんでした。



近辺での聞き取り調査もできず、

図書館的な場所もないため、現地でこの道祖神を調べられず若干の不完全燃焼感を覚えていた私は、何か手掛かりがこの家にあるのではないかと、直感的に惹かれていたのです。




錠も外れている門扉を静かに開けて敷地に入り、草をかき分けて玄関まで進みます。


摺りガラスが嵌め込まれた引き戸を引いてみると重くはありますが、

ガタガタと軋むような音を立てながら入ることができました。


こじんまりとした玄関の三和土に積もった埃が舞い、長い間そこに滞留していたであろう生ぬるい空気とともに混ぜ返されてこちらに飛できて、

思わずその場で軽く咳き込みました。

昔ながらの家特有の、膝丈ぐらいの高さの

上がり框を土足でのぼり、屋内を探索します。



土間から上がるとすぐ、右側と左側の壁にドアがついています。

玄関と他の部屋は一つの空間として仕切られているようです。


右のドアを開けると、台所と居間へ続いていました。


台所と居間は一つの長い部屋のように縦に繋がっており、

木くずと虫の死骸が溜まった錆びた淡い銀色の流し台があるほか、

台所には4人掛けのテーブルと椅子がありました。

居間の方には、ローテーブルが1つとそれを挟むように4人掛けソファが2つ置いてあります。

ソファの生地も土か何かで茶色く変色しており、ローテーブルも蜘蛛の巣が張っています。

居間の一番奥にはブラウン管とまではいかないまでも、古いタイプのテレビが置かれ、

台所からも見られるような部屋の構造になっていました。


再び玄関にもどり、今度は向かいにある左側のドアを開けてみると

縁側に面した和室が障子に間仕切りされて、奥に二部屋連なっていました。

手前の和室を突っ切った先には、

2階に上がる階段が見えます。

朽ちて所々崩れかけているため、危険ではありますがまだ人1人分ぐらいは支えられそうです。

2階への階段と居間を繋ぐ通路があったようで、風呂場や便所はその途中にありました。


どの部屋も床や壁は酷く傷んでいて、デコボコの床は歩くたびにギシギシと軋み、

壁紙ははがれ、割れた窓ガラスが床に散らばっていました。

割れた窓からは外の植物が浸蝕してきていて、

蔦や枝がいたるところに絡みついて足を取られそうになります。

和室の障子も外れており、かろうじて原型をとどめていたとしてもビリビリに破れて倒れています。

腐敗が進んだ畳には、膿のように黒ずんだシミがいたるところに出現していました。

居間の天井などは、崩れて天井板がベロンと垂れ下がっているせいで、危うくケガをするところでした。



ある程度、1階の間取りを見終わって一息ついていると、

ピロン、とポケットで音が鳴りました。


スマホを見ると、友人からメッセージがきていました。


「いや道祖神にこんなに紙張るとかは聞いたことないな」


廃墟に入る前、民俗学専攻の友人に事情を説明して相談に乗ってもらっていたのを忘れていました。


「そうだろ。でも釘も刺さってたっぽいしさ。

こういうのってやって大丈夫なもんなの?」


「いや変だとは思うけどな。ちょっと調べたい。これ正面の写真ある?」


「あ、すまん送るわ。」


道祖神を正面から撮影した写真を添付して返信すると、

スマホをしまって2階へ上がることにしました。



階段は幅も狭く一段一段が高いため、

体重をかけないよう、手すりを使わずに慎重に素早く駆け上りました。


2階自体は1階ほど広くなく、部屋数も少ないようでした。


上がった先には短い廊下が伸びており、

廊下の右側の壁に引き戸で仕切られた書斎のような狭い部屋があるばかりで、

あとは突き当りの珠暖簾が垂れ下がっている先にもう一部屋あるのみでした。



珠暖簾をくぐって部屋に入ると。


色褪せたカーペットが敷かれた8畳ほどの部屋でした。

なにかが置いてあるということはなく、

座布団や食器、その他の生活雑貨等が汚れて散乱しているのみで、何用の部屋なのか正直わかりませんでした。


ただ、部屋の隅に黒い箱が放置されていました。


直方体の箱か棚のようなもので

箪笥にも近い大きさですが観音開きの扉がついていました。

棺桶みたいだな、

と思いながら何の気なしに開けると、

それは仏壇でした。


枯れた茶色いカサついた草花が枝垂れており、

位牌や鉢型の鐘がそのまま埃をかぶってそこにありました。


正直、鳥肌が立ちました。



仏壇や神社のような、かつて神様が宿っていたものを供養もせずに放置すると邪な魂の溜まり場となる

というのはオカルト好きの我々からしたら常識に近い知識です。


この家の荒れ様、数年は人が出入りしていないでしょう。

これほど長い間、こんな環境に放置されていたら一体何が居憑いているのかわかったものではありません。



ふと脇を見やると

仏壇の上、お供え物が置かれている供物台の上に

仏飯器や湯呑とは別に、

薄い木箱と木の板、そして紐があることに気付きました。



もしやと思い、木の板をひっくり返すと案の定、


動かしていただきありがとうございます

こわしていただきありがとうございます


と、歪に書き殴られた黒マジックの文字。



あの時友人が見た、釘にひっかかっていた木の板はここに供えてありました。

一応、これも撮影して友人に送信しておくことにします。



同じ材質の木箱があることを考えると、

板というよりこの木箱の蓋のような役割をしていたのでしょうか。

改めて見てみると、紐なども縄や糸のようなものをイメージしてたのですが、

特殊な材質なのか固くて柔軟性に欠けており、

黒茶色のグネグネしたものでした。

何かを乾燥させた干物のような長細いもので、紐とはまた違った触感でした。







ギシィ






何かが階下で床を踏みしめた音がしました。


え、人?


でも表の引き戸を開ける音もしなかったのに。

しかもかなり家の内部、おそらくは和室まで来ている。

無音でそこまで来ることなんて。



ピロン、ピロン



と、再びポケットのスマホが通知音を鳴らしました。



しかし、こちらは今の音が気になって、

音がした階段の方から目が離せません。





ギシィ





また同じ音がしました。


今度はさっきより鮮明に聞こえました。

近づいてきている。

恐らくは階段の真下ぐらいまで。





冷汗が頬を伝い、心臓がバクバクと跳ね上がります。



廃墟の管理人だろうか。

いや、人であればなんでもいい。

怒られようが何だろうが、人でさえあればなんとでも。




ブーッ ブーッ





突然ポケットが振動して、バイブ音が響きました。

驚いて画面を見ると民俗学専攻の友人からの電話でした。


私は一度冷静になるためにも

囁き声で電話に出ました。



「もしもし、メッセージ気付けなくてごめん。

どうかした?実は今あんまり声出すのもちょっと・・・」


「おまえ、今どこにいんの?」


「いや、実はちょっとあの道祖神の近くに廃墟の家みたいなのがあってさ。

気になったから探索してたんだけど、

なんか今管理人みたいな人に見つかりそうで」


やばいんだよ、助けてくれよ

と、そう言い切る前に、彼は私の言葉を遮って言いました。



「道祖神じゃない」


「え?」


「あれ、道祖神じゃなかった」


友人の声はなぜか暗くて、どこか投げやりな言い方でそう言いました。


「道祖神じゃなかったらなんだよアレ。

石碑とかじゃないだろ絶対」


「石敢當」


「は、なに?」


「石敢當、いしがんとう」


「・・・なにそれ」





ギシィ





また音がしました。

より分かりやすい音でした。

自分で上ったからわかります。

階段に足を掛けた音でした。



階段の方から視線をそらさないまま、何とか会話をしようとします。



「なんだよ、そのいしがんとうって」



友人が抑揚のない声で続けます。



「屋久島とか淡路島とかでな、昔は辻・・・

まぁ道が交差するところに妖怪が存在するって言われてたらしくてな。

なんでかっていうと、

昔から道路が交差するところは

あの世とこの世の境界線だから魔物が住み着きやすいって言われてたんだって。

特に三叉路の一本道の突き当たりの正面に建てられた家に入りやすいらしくて、

病人が出たり不幸が続くって言われててさ。」


「いやでも、ここ茨城だし・・・」


「辻神」


「え、なに」


「辻神っていうんだって。そういうとこにいる不幸を振りまくやつを。

妖怪って言われてるけど、神様らしくて。

でも神って言っても信仰対象の神様とかとは違くて、禍をもたらす邪神なんだって。」





ギシィ





階段の中腹あたりでしょうか。

ハッキリと、より近くで階段を踏みしめる音が聴こえました。

上がってきています。



「だから本来そういう三叉路とかに家建てるのはよくないって言われてるんだけど。

でももし仮に建てちゃった場合、

そういう辻神って呼ばれてる悪い存在が家に入ってこないようにするために建てられたのが、

石敢當なんだよ。

魔除けってことだよ、あの石は。」


「あぁ、うん…」


「だから本来絶対、その場から動かしていいわけないんだよ。

釘刺したり壊すなんてもってのほかで。

だってそんなことしたらさ」



「わかった、わかったよ、もういいから」


聞くべきではない事実が

明らかになってきているような気がしました。

繋がってはいけない点と点がつながりそうになって。

まだ自分は手遅れじゃないと、

必死に言い聞かせるのですが






ギシィ






2階の床が踏まれる音がしました。



迫ってきているモノが

人ではないことはもうわかっていました。



「よくさぁ、公衆トイレとかで見るよな。

『いつも綺麗に使っていただきありがとうございます』って張り紙。

あれって裏を返せば、綺麗に使ってくださいねって利用者に呼び掛けてるんだよな。

だから汚く使われちゃ困るところに貼るわけじゃん。」



「やめろって頼むから、もういいから、それより」



泣きそうになりながら、

いや泣いていたのかもしれません。



「じゃああの木の板に書いてあった言葉って、

そうして欲しかったからわざとああやって書いたのかなって思っちゃうよな」





ギシィ





部屋の前の廊下を踏みしめる音。



「ごめん、〇〇、もう切るわ。

詳しいことは帰った時に聞くからさ」


切ったところでどうしようもないのに。



「オッケー。じゃあ後でな。

あ、最後になんだけどさ、

さっきお前から写真送ってもらったさ、

仏壇に供えてあったっていう紐と木の板あるじゃん。あれ紐じゃないよ」






ギシィ








背後で 床が軋む音がして。








「あれ へその緒だよ」











耳元で赤ん坊の泣き声が聞こえた気がしました。











背後でその音が鳴った時、私は悲鳴をあげたでしょうか。

今となってはもう覚えていませんが、

気付いたら夜の廃墟で気を失って倒れていました。





私はどんな目にあったのでしょうか。

友人になんと言って説明すべきなのでしょうか。




解決策は見つかりませんでした。

そもそも最初から解決も何もないのかもしれません。


あの地域一帯には深入りしちゃいけないことがある

という教訓が得れただけでも十分なのではないでしょうか。

意外と自分が知らないだけで

触れてはいけない事象というのは街に溢れているのかもしれませんね。

ただただ、命があってよかったと今は思います。











それにしても何に対しての感謝なのでしょう。




私にも聞こえるようになりました。


ありがとうございます というあの言葉が。


ただ、人からの「ありがとう」に被って

最初の部分が聞こえなかったのですが、

どうやらただ「ありがとうございます」と言っているだけではなさそうで。



たまにこうも聞こえるのです。








贄をいただきありがとうございます。

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