怪物

龍神慈樹

1 『怪物と女子高生と男の人』




 僕は『怪物』だ。


 見た目は何の変哲もない普通の人間。ツノが生えてるわけでも、羽や尻尾があるわけでもない。

 周りの人の反応を見る限りだと、どうやら少年のような見た目をしているらしい。……まぁ、どうでもいいけど。


 自分が何者なのか、なぜ存在しているのか、いつからこの世界にいるのか、その全てがわからない。気が付いたら、


「ねぇ、聞いたぁ?」


「えっ、なになに??」


「最近、この辺に不審者が出るんだってぇ」


「あぁ、その話ワタシも聞いたぁ。ほんと怖いよねぇ」


「なんでも、その不審者って包丁を……」


 向かいから歩いてくる二人の若い女の人が、僕の横をすれ違っていく。

 とくに思うところは何もない。


「す、すいません! すぐに戻ります! …………そ、その件はまだ…………も、申し訳ございません!! すぐに……あっ、切れた……クソッ! どうして俺ばっかりこんな目に! クソッ! クソッ!!」


 今度はスーツを着た男の人が、うしろから早歩きで追い抜いていく。……ちょっと騒がしいなと思った。


「うん、わかった。帰りにお醤油買って帰るね。あと、今日友達の家に寄って帰るから、ちょっと遅くなるって、ママに伝えといて。…………そんなに遅くなんないよ。…………彼氏じゃありません! …………もう! ユウくん、帰ったら覚えてなさいよ! …………じゃあ、ママにちゃんと伝えといてね」


 次は、女子高生がうしろから追い抜いていく。チラッと横顔が見えた。

 さっきのスーツを着た男の人と打って変わって、とても穏やかな表情だった。


 進む道、進む時間。その二つは同じはずなのに、追い抜いていった二人の表情には、どうしてこんなにも違いがあるのだろうか。……まぁ、どうでもいいか。

 少しだけ不思議に思ったが、僕は考えることを放棄した。


 誰がどこで、どうやって生きて、どうやって死んでいくのか。その全てが僕にとっては、限りなくどうでもいいことだったから。




ーーーーーー




 この世界の全てがどうでもいい。興味をそそられるものも、とくにない。

 何も考えず、何もせず、僕はただここに存在している。


 いや、嘘だ。

 ひとつだけ興味をそそられるものがあった。


 漫画や小説、映画などに登場する『怪物』というものは、人を襲うものらしい。

 そのことを知ったときは、おもわず笑ってしまった。今までの記憶の中で、笑ったのはあのときだけだろう。それほどまでにおかしかった。

 いったいどう解釈すれば、『怪物』が人を襲うことになるのだろうか。そう思い至った理由には、とても興味がある。

 それとも、ただ単に僕がおかしいだけなのだろうか。ちゃんと、周りの人が望むような『怪物』になった方が…………いや、めんどくさいな。


 コンビニに立ち寄り、缶コーヒーを買う。

 僕の体は食事を必要としない。飲まず食わずでも生きていられる。なぜ、そんな体なのか、その理由を考えたことはない。必要がないから、いらないだけ。

 だが、コーヒーは違う。とくにブラックコーヒーは。

 生きるために必要なわけでもないのに、無性に飲みたくなる。この理由も考えたことはない。




 行く当てもなく、その辺の道をコーヒーを飲みながら歩く。

 ここはどこだろうか。ずいぶんと人通りが少ない。人とすれ違うこともなく、静かで良い場所だと思った。

 僕は、人が多くて賑やかなところよりも、人が少なくて静かなところの方がす…………。


「きゃーーーーッッ!!?」


「クソッ! クソッ!! 静かにしろッ!」


「だ、だれか!! たすけてッ!!」


「静かにしろって言ってんだろッ! クソッ!!」


「?」


 路地裏の方から、女の人の悲鳴と男の人の叫び声が聞こえた。

 僕はコーヒーを飲みながら、声のした方へ歩いていく。そして、曲がり角を曲がったときに、スーツを着た男の人が走り去っていくのが見えた。


 女子高生が血まみれで倒れていた。




 僕はコーヒーを飲み干し、近くにあったゴミ箱に缶を捨ててから、女子高生に近付いていく。

 少し離れたところにスーパーのビニール袋らしき物が見えた。そのすぐそばには醤油が落ちている。


「た、たす、け……て……ま、ま…………ぱ……ぱ……」


 女子高生は仰向けで倒れたまま、うわ言のように何かを呟いている。その間も血がどんどん流れ出ていた。


「ゆ、ゆ……くん…………た……け、て……じに……く、な……ぃ……」


 僕は女子高生に近づき、声をかける。


「無理だよ。お姉さんはもう死ぬ」


 声に気づいたのか、女子高生の瞳が僕の方を向いた。


「い、ゃ……だ……い……や……し……た、く、な…………」


「そんなこと言われても」


 僕は退屈だったので、この場を離れようとした。すると……


「まっ……て…………」


「なに?」


 呼び止められてしまう。


「ま、ま……ぱ…………ぱ、ゆ……ぅ……ん、に……だ、ぃ…………す、き……て、つ……た……ぇ…………」


「そんなの自分で伝えな、よ? ………………死んじゃった」


 女子高生からの伝言を断ろうと思ったのに、断る前に死んでしまった。……とてもめんどくさい。


「はぁ……」


 僕はため息をつき、転がっていた醤油をビニール袋に入れて、女子高生のそばに置いた。これで、誰の醤油かわかるだろう。

 目を開けたまま死んでいる女子高生に手をかざす。そして、そのまま女子高生を放置して、僕は路地裏を出た。




ーーーーーー




 人の命は儚い。そして、軽くて安っぽい。

 僕にとって人の命とは、その辺を飛び回っている蚊と同じだ。違いがあるとすれば、言葉を喋ることと、一人一人に名前があることくらいだ。

 だから、どこで誰が死のうがどうでもいい。とくに思うところはない。


 そのはずなのに……。


「お、俺は悪くない、俺は悪くない、俺は悪くない! あ、あああの、あの女が騒ぐのがいけないんだッ!! クソッ! クソッ!!」


 路地裏から少し離れたところに、その場所はあった。

 何の変哲もない廃墟だ。当然、人は誰もいない。ただ一人を除いて。


「どうして俺ばっかりこんな目に! クソッ! クソッ!! ちょっと脅かそうとしただけなのにッ!!」


「見つけたよ、おじさん」


「だ、誰だッ!?」


 スーツを着た男の人が叫び声を上げる。

 この場所は人がいなくて静かだから、良い場所を発見したと思った。なのに、その思いを台無しにするくらいに、この男の人は騒がしかった。


「おじさんだよね? 路地裏で女子高生のお姉さんを刺したのは?」


「な!? なな、なにを言ってんだ!? このクソガキッ!! お、俺が! そそ、そんなことするわけ、ないだろッ!?」


「…………それ、本気で言ってる?」


 おかしなことを言う人だなと思った。

 スーツには血がついていて、手も真っ赤。おまけに、血がべっとり付いてる包丁をしっかりと握りしめている。

 これで違うと言われると、さすがに困ってしまう。もしかして、冗談で言ってるのだろうか。


「あ、ああ、あんまり大人をな、舐めてると、い、痛い目に、あうぞ!」


「あのお姉さんにしたみたいに?」


「ッッ!? …………ふふ、ふざッ、ふざけんなよーッッ!!」


 男の人は叫びながら、包丁を振り上げて僕の方に走ってくる。そして、突き刺す。何度も、何度も、何度も、何度も。


「おまッ! おまえが! いけないんだッ!! ガキのくせに! 大人に向かって! 舐めた口を! 聞くからッ!! 反省しろ! 大人を! 俺をッ! もっと敬えッ!! クソッ! クソッ!!」


 僕からどんどんが流れ出ていく。二人の足元は黒く染まっていった。


 正直、この人の叫び声には辟易していた。まるで、蚊が僕の顔の周りを飛んでいるかのような、そんな鬱陶しさを感じる。

 だから、蚊のようにこの人も潰してしまおうと思った。


「ねぇ、おじさん? そろそろ静かにしよっか」


「へっ??」


 先ほどまでの形相はどこへやら、滑稽なほどに間の抜けた顔をしている。

 どうやら、刺し傷だらけの僕が平然とした顔で話しかけてきたから驚いたのだろう。


「お、おま、おまえ…………な、なん、で……??」


「落ち着いてよ、おじさん」


「なな、なんで、いい、生きてるんだ……??」


「落ち着いてってば」


 震えた手で包丁を握りしめながら、後ずさる男の人。僕は、一歩一歩ゆっくりと距離を詰めていく。


「く!? くるなッ!? くるなよッ!! …………お、おい! くるなって言ってんだろッ!!」


 ヒュッ……カラン……。


「どこに投げてるの?」


「ひっ!?」


 男の人は包丁を僕に目掛けて投げてきたが、全然違う方向に飛んでいってしまった。下手くそだなと思った。

 男の人は尻餅をつき、足元に転がってた石や木の棒とか、いろんな物を投げくる。


「くるな! くるな! くるな!」


 僕には当たらない。ちょっと呆れてきた。


「おじさん、ちゃんと狙って投げないと当たらないよ?」


「くるなーーーッッ!!」


「あっ」


 ゴッ! ブチャッ! ……バキバキゴリゴリゴリ!! ……………………。


 男の人が投げた拳くらいの大きさの石が僕の顔面に当たる。そして、顔がトマトを壁に投げつけたみたいに弾け飛ぶ。

 僕の顔だった物が黒い液体になり、石を包み込んで鈍い音を立てながら、すり潰す。

 石は跡形もなく消え去り、黒い液体だった物は何事もなかったかのようにになる。


「やっと当たったね」


「は??」


 状況が飲み込めていないのだろう。男の人はポカンとした顔をしている。だから、声をかけてあげた。


「やっと当たったから褒めたつもりなんだけど……何か言ってよ」


 さっきまではあんなに騒がしくしてたのに急に黙り込むなんて、よくわかんない人だなと思った。


「か、かかか……か」


「か??」


「かいぶつッ!!?」


「…………」


 僕は咄嗟に手で口をおさえた。


「………………ふふ」


 ダメだ、耐えられない。


「ふふふ、ふふ…………ははは、あははははッ」


「ひっ!? ひぃッッ!!?」


 男の人は、僕の急な笑い声に頭をおさえて震えている。


「ははははッ! はははははははッ!」


 ごめんね。怖がらせるつもりはないんだ。そう伝えたいのに、笑いが止められない。

 だって、男の人の発言がおかしくて、おかしくて。

 まるで、映画のワンシーンのように僕のことを『怪物』って言うんだもの。現実世界でも、こんなことってあるんだねと思った。


「ふぅ………………やっと落ち着いた。おじさん、面白いね。笑ったのは二回目だよ」


「ひぃぃッ!? た、たた、たすけてくれぇッ!!」


 男の人は尻餅をついたまま後ずさる。僕はゆっくりと近付いていく。そして、壁のところまで……。


「や、やめろ! くるな! くるな! だれかッ、だれでもいい! たすけてくれッ! く、食われるッ!!」


「食べないよ。おじさん、美味しくなさそうだし。でも……」


 壁を叩きながら必死に助けを呼ぶ男の人。僕は、その姿を眺めながら話しかける。


「そろそろ、殺すね」


「な、なななんでッ!? ど、どうして、俺ばっかり、こ、こんな、こんな目にッ! お、おおれは、なにもッ、なにもわるいこと、してない、のにッ!!」


 本当に、この男の人は面白いなと思った。

 人の善悪はいまいちよくわからないけど……少なくとも、路地裏で女子高生を刺し殺して、いちおう僕のこともたくさん刺したことは、悪いことではないのだろうか。


 それとも、ただ単に僕がおかしいだけなのだろうか。


「う〜ん、考えてもわかんないや」


 僕は考えることを放棄した。

 そして、この男の人に、なんで殺されなくてはいけないのか、その理由をちゃんと教えてあげた方がいいかなと思ったので、伝えることにした。


「危うくおじさんのせいで、めんどうなことを押し付けられるところだったんだよね」


「な、なななにを、言って…………うぐッ!?」


「しー、最後まで話を聞いてほしいな」


 僕は、口元で人差し指を立てる。そして、刺されたときに流れ出ていた黒い液体が、まるで生き物のように蠢きながら男の人の体を登っていき、口をおさえる。


「だから、次もおんなじことが起きないように、ここで殺しておこうと思ったんだよね。なるべくめんどうなことは避けたいから。おじさんも、めんどうなことって嫌だよね?」


「んーーッ!? んんんッ!! んんーーーッッ!!!」


 男の人は、大きく首を横に振る。


「えっ、嫌じゃないの? そっか……凄いね、おじさん」


 めんどうなことはなるべく避けたい。そこに理由なんて必要ないと思っている。ただめんどうだから避ける、それだけ。

 でも、目の前にいる男の人はそうじゃないらしい。少し感心した。


 黒い液体は蠢きながら男の人のすぐ横で、上へ上へと伸びていく。まるで、男の人が黒い壁に左右から挟まれているような感じになった。


「んんッ!? んんッッ!! んんッッ!?」


「…………」


 男の人は、まだ首を横に振り続けている。

 僕は考える。めんどうなことが嫌じゃないのは、この男の人だけなのだろうか。それとも、めんどうなことが嫌じゃないのが、『人』なのだろうか。


「まぁ、いっか」


 僕は考えることを放棄した。


「んんーーーーーーーーッッ!!!」


 プチッ。


 壁のようになっていた黒い液体は、あたかも両手で蚊を潰すかのように、男の人を潰した。

 一瞬、赤い物が見えたが、黒い液体がその全てを包み込んで、鈍い音を立てながらすり潰す。そして、跡形もなく消え去った。




ーーーーーー




「ねぇ、聞いたぁ?」


「えっ、なになに??」


「ついこの前、この辺で女子高生が刺されたんだってぇ!」


「あっ、それワタシも知ってる! ほんと怖いよねぇ」


「なんでも、その犯人って例の不審者で、まだ捕まって……」


 向かいから歩いてくる二人の若い女の人が、僕の横をすれ違っていく。

 とくに思うところは何もない。


「…………」


 ふいに、今日はなんだか静かだなと思った。


「うん、わかった。帰りにスーパーに寄るね。あと、今日はとくに予定がないから、早く家に着くってママに伝えとい…………えっ、車で迎えに? いいよ、別に…………わ、わかったよ。…………もう、心配性だなぁ。でも、ありがと。…………じゃあ、ママにスーパーに着いたら連絡するって伝えといてね」


 次は、女子高生がうしろから追い抜いていく。チラッと横顔が見えた。

 とても穏やかな表情だった。



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