静謐への応援コメント
以前に読まさせていただきましたが、その時はものすごく切ない感情で、今日改めて読まさせていだだき、やはり同じ感情になり、涙が少し出て来ました。あの頃に戻りたいって、今の感情のまま戻って感謝を伝えたいって思います。何気ない生活の中で聞いた音はかけがえのない音だったんですね。
作者からの返信
今でもまだ、ただの雑音だったはずの音の数々が恋しくてたまらなくなります。
応援コメントありがとうございます。なんだかやさしい気持ちが伝わってくるようで嬉しく思っています。
静謐への応援コメント
普段は気にも留めないような、自分以外の生活の物音、家族の気配が、安心感や温かさを醸し出すのだとつくづく感じました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
伝えたいことを正確に感じ取っていただき嬉しく思います。
静謐への応援コメント
身近な人が亡くなると、こういう些細な違いに気づいて物悲しくなったりしますよね。
作者からの返信
そうですね。想像はできたことのはずなのに、本当は実感できていなかったのだと痛感させられました。
静謐への応援コメント
静謐とは平穏を含む静けさであり、肯定的な言葉。
対して雑音とは不愉快な音であり、否定的な言葉。
ところが、そこに孤独と生活感の色を加えると全く意味合いが逆になってくる。そこに面白みがあり、もの悲しさを生んでいる。
自分は喧騒から離れ静けさの中にいたいと願っておりますが、いざ音が消えると寂しさを感じ喧騒を求めるものなのかもしれませんね。
とてもジーンとくるお話でした(*´ω`*)
作者からの返信
応援コメントありがとうございます。
私も喧噪は苦手で、どちらかと言えば静かに過ごしたいと思うタイプです。ですが、どうでも良いと思っていた音さえ、今は恋しいほどで、音の持つ力というものを今になってひしひしと感じています。
静謐への応援コメント
我が母も高齢ゆえ、そう遠くない未来に、おそらく見送らねばならぬ日が訪れる(私も若くないので、先にいく可能性も、もちろんありますが…)でしょう。
その時になって私も、いま母が立てている諸々の生活音を、懐かしく、また恋しく思うのかも知れません。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
人ひとりの存在がいかに大きなものであったのかを、今さらながらに実感しています。
どうかお母様を大切にしてあげて下さいね。
静謐への応援コメント
生死にかかわらず、一緒にいた存在がいなくなると、何かが足りない気分になります。
僕の場合だと、保護猫が里親さんのもとへ行った後の気分が近いかもしれません。
カクヨムがにぎやかになりましたね。
カクヨムコン頑張って下さい!
作者からの返信
応援コメントありがとうございます。
そうですね。日常感が喪失して、満足していなかったはずの、それ以前の日々が思いの外満ち足りたものだったことに気付かされました。
保護猫さん、元気でいてくれるといいですね。
カクヨムコンの応援もありがとうございます。
静謐への応援コメント
まるで詩のような作品ですね。わたしの両親は存命中ですが、別居しています。
いつかこの作品のように家族を懐かしむときが来るのかもしれません……
作者からの返信
応援コメントありがとうございます。
できることならば、そんな日は永遠に来ない方が良いのですが、自然の摂理は無情ですからね。
どうか御両親を大切にしてあげて下さいね。
静謐への応援コメント
じんわりと胸にきました……。
普段何気なく聞こえている音が聞こえなくなるって、寂しいですよね。音と存在って繋がっているんだなぁ……と改めて感じました。
心に残るエッセイでした。ありがとうございました!
作者からの返信
応援コメントありがとうございます。
音というのは本当に不思議なものですね。時には視覚情報以上に心に訴えかけてくるものがあるように思います。
失ってしまった音はもう戻りませんが、まだ残された音を大切にしていきたいと思っています。
静謐への応援コメント
母を亡くして十年。
何か言葉にできていなかった心を言語化していただいた気分です。
この短さで、これだけの思い。
そして卓越した文章と表現。
どれをとっても素晴らしい文章でした。
作者からの返信
朝目覚めて、ふと感じた想いを綴ってみました。お褒めいただき光栄です。
コメントまでいただき、まことにありがとうございました。
静謐への応援コメント
『訃報』を読んだ後だと、
より一層、考えさせられるものがありますね。
あと、私の家も同じ状態なので、とても共感しました。
昔はペットを含め、同居人がたくさんいたのですが、
皆あちらへ逝ってしまったので、
今は一人です。
本当に家が静かになりました。
そして、雑音が恋しいです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
我が家にも昔はテレビが好きな祖母と元気な犬が二匹いて、たくさんの雑音に溢れていました。当時の私は命が有限であることを知りながらも、それが失われた時に、どのような変化が起きるのかを、まるで理解していませんでした。
雑音が恋しいとのお言葉、本当に身につまされます。
静謐への応援コメント
母が亡くなって、数年。
父が亡くなって二十数年。
人がいなくなると、欠けて、それが決して戻らないと絶望感を知り。
夢にはたまに出てくるけれど、何か違う。
かなしい、静寂、消失を。
今もそっと噛み締めています。
ふと、気持ち重なり読ませていただきました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
やはり同じような想いをしている人が大勢いらっしゃるようで、しんみりとした気持ちにさせられます。
私も何度か夢に出てきてくれたのですが、次の瞬間には現実を思い出してしまって消えてしまいます。
それでもこの孤独が故人への愛情の証だと信じて、忘れることなく生きていきたいと思っています、
静謐への応援コメント
こんばんは。
コメント失礼します。
寂寥感がしみじみと胸に迫るエッセイでした。
残されたものの追憶。
音の記憶。
変わってしまった日常の情景。
生きることで変わってゆく事柄を受け止めて、それでも暮らしてゆく。
そんな感慨が浮かびます。
良いエッセイだと感じました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
日々の生活の中で何かが足りないという気持ちがずっと続いています。一人の人間の存在がどれほど大きなものだったのかを実感せずにはいられません。
願わくばこれを読んでくれた人が同じ想いをする前に、そのことに気づいてくれるようにと祈っています。
静謐への応援コメント
もう戻ることのない世界の、なんと儚い事……
私自身も今、それを噛みしめています。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
どうにもつらくて、なかなか受け止めきれるものではありませんよね。それでも絶対に忘れたくはないことなので、こんな孤独とも付き合っていかなければならないのでしょうね。
静謐への応援コメント
読んでいて、静寂がただの「無音」ではなく、かつて溢れていた生活音たちがどれだけ豊かだったかに気づかされました。「静謐」という言葉の重み、しみじみと胸に沁みました。音という“雑音”が実は生の証であり、愛の記憶でもあるという気づきが切ないです。
今、私も母と二人暮らしなので、この“日常の音”のありがたみ、すごく共感しました。いつか失われる静けさが、今は優しいユーモアになる日が来るのかな…なんて考えてしまいました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
本当に何気ない音の数々が癒やしであったことを痛感させられています。どうかお母様を大切にしてあげて下さいね。
静謐への応援コメント
そそ、うちも親父亡くなってから毎日の様に飽きもせず見ていた時代劇や刑事ドラマ(海外の)、演歌番組の音が全く聞こえなくなってすげえ寂しいですわ 五月蠅いとすら思ってたのにねえ
自分でこういうのを見たり、本文の様に洗濯機を動かす・園芸をいぢるとかしても、やっぱ其れは違うのですよね
作者からの返信
コメントありがとうございます。
やはり同じような想いをしている方がいられるのですね。仰るとおり同じような音のはずなのに自分で立てた音とは何かが違っていて淋しくなります。
静謐への応援コメント
短い文章に込められた、失われた日常
あたりまえのように存在していた、ありふれた日常
音って本当にそれを強く意識させますよね
朝からジーンときちゃいました
作者からの返信
コメントありがとうございます。
はい、ありふれた言葉ですが、失って初めて判ることというのは確かにあるものですね。判らないでいられることの幸福に今さらながらに気づかされました。
静謐への応援コメント
音の変化って、気持ちをソワソワさせますよね。
優しい生活音は心地いいから、余計寂しさを感じそうです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
そうなんですよね。何かが足りないという感じが、ずっと続いています。
静謐への応援コメント
この文章のリズムと描写、ジーンとしました。
作者からの返信
ありがとうございます。作品に込めたものを感じ取っていただき嬉しく思います😊