真空管ラジオ
アンティークショップ「時の結晶」には、古い家具だけでなく、時折アンティークの電気製品も並ぶことがある。
この日、店を訪れた俺の目に留まったのは、1台の古びた木製の真空管ラジオだった。
俺は店主に説明を求めた。
「これは70年前の日本製真空管ラジオでして、修理済みなので一応、音は出ます。ただし感度は悪く、AM放送のみですがね。ラジオを“聞く”というよりも、その“雰囲気”を楽しむものとお考えください」
彼はそう言うと、真空管ラジオのスイッチを入れた。
途端に、年季の入った木製の筐体から低く響く音が漏れ始めた。
やがてNHK特有の落ち着いたアナウンスが流れ、続けてモーツァルトの『魔笛』から「夜の女王のアリア」が告げられた。
そして、どこか不気味で妖しげな音質でアリアが店内に響き渡った。
俺は、その音色にすっかり心を奪われてしまった。音質は確かに良くないが、このように不気味で妖艶な「夜の女王のアリア」は初めてだった。
「このラジオ、ください!」
「はい、ありがとうございます。ただし、つまみの回し過ぎには注意して下さい」
「…?…はい…」
5万円という高額な値段にもかかわらず、俺は迷うことなく即決した。衝動的な買い物ではあったが、なぜかどうしても手に入れたくなったのだ。
* * *
俺は家に戻ると、すぐに真空管ラジオのスイッチを入れてみた。
ラジオから流れてくる音は、ただ音質が悪いだけで、アンティークショップで感じたあの不思議な妖しさは全くなかった。
どうやら、あの独特な店の雰囲気が音を特別に聞こえさせていただけだったようだ。
「いや〜また無駄遣いしちまった…」
大きくため息をついた。俺はよく衝動買いをする癖があり、お金を湯水のように使ってしまうタイプだったのだ。
給料はあればあるだけ使い切り、借金はないが貯金は常にゼロ。
しばらくの間、ラジオは部屋の隅に放置されていた。そもそも俺は普段、ラジオを聞く習慣なんてなかった。
それどころか、このラジオを見るたびに、無駄な買い物をした自分への苛立ちが募るばかりだった。
「なんでこんなクソみたいなものを5万円で買っちまったんだ…」
苛立ちを抑えきれず、俺は半ば乱暴にラジオのスイッチを入れ、つまみを力任せに右まで回した。
すると、つまみが「カチッ」と音を立て、1周した。
「なんだ?」
ラジオからは、男性のアナウンサーの声が流れてきた。
「10月23日、土曜競馬中継の時間です」
俺は一瞬耳を疑った。
今日は10月16日のはずだ。
だが、ラジオは間違いなく来週の競馬中継を放送している。
「これは一体…?」
混乱しつつも、すぐに気を取り直し、急いでレースの結果をノートに書き留めた。
「もしこれが本当なら…!」
今度はラジオのつまみを左に回してみた。
しかし、左方向ではカチッと音が鳴らず、ただ静かに止まってしまった。
どうやらこのラジオは、過去ではなく未来の放送しか受信できないらしい。
俺の心臓は高鳴っていた。
これは単なるアンティークラジオではなく、未来の出来事を知る「魔法のラジオ」だったのだ。
10月23日 土曜日
は場外馬券売り場に足を運び、ラジオでメモした馬券を購入してみた。
驚くべきことに、すべての馬券が的中したのだ!
「マジかよ?……全て当たった……」
俺は恐怖と歓喜が入り混じる中、ラジオは競馬中継だけを聴くことにした。
これ以上、未来の情報に深入りするのが怖くなったのだ。
* * *
競馬は全て当たり、ゼロだった貯金はあっという間に増え、ついには666万円に達した。
しかし、その瞬間、再び異変が起きた。
ラジオが突然、未来の放送を受信しなくなり、現在の放送しか聴こえなくなってしまったのだ。
「まあいいさ。666万円もあれば、相当遊べる。どうせ泡銭だ。全部使い切ってやる」
うまいものを食べ、キャバクラや風俗に行きまくり、散財の限りを尽くした。
一応競馬も続けてみたが、自分の予想はことごとく外れ、過去のような幸運は訪れなかった。
* * *
そして、貯金残高はあっという間に0円になった。
残高が0円になったところまではまだ良かった。
だが、派手な生活……恥ずかしい話だが、風俗通いがどうしてもやめられなかったのだ。
俺は、ついに消費者金融に手を出してしまった。
借金は雪だるま式に膨れ上がり、最悪の時には666万円という不気味な数字に達していた。
相変わらずラジオは現在の放送しか受信できなくなり、未来の放送を聞くことはできなかった。
「666」という悪魔的な数字が何を意味するのか、俺にはさっぱり分からなかった。
「そこまでやばい金額でない」と思う人もいるだろう。消費者金融は家のローンや車のローンとは訳が違うのだ。
法定金利上限 年利15%
借りっぱなしで1か月経つと、約8万3千円の利息がつく。
1か月後:674万3,250円
2か月後:682万8,000円
3か月後:691万5,000円…
(※元本そのままで利息だけ加算される単利計算の場合)
俺はただ、背筋に強烈な寒気が走るのを感じた。
* * *
そこから、俺の生活は一変した。
“風俗通い”はきっぱりやめ、借金を返済するため、必死で働く日々が始まった。
1日1食に耐え、仕事が終わった後も倉庫の仕分けのアルバイトに励むようになった。
盆も正月もない。
とにかく、借金返済までは死ぬ気で働いた。
体はボロボロになり、心も病んでいたが、それでも何とか借金を完済したのだ。
借金がゼロになった瞬間、思わず涙が溢れ出た。
不思議なことに、貯金が666万円に達した時よりも、借金を全て返し終えた時の方が遥かに嬉しかったのだ。
「666」という不吉な数字は、どうやら未来の自分が借金できる限度額だったのかもしれない、と思った。
思い返せば、すべての元凶はこの真空管ラジオだった。
このラジオが引き起こした不思議な出来事の数々によって、どれだけの苦労を強いられたことか。
もう2度と、ギャンブルも借金もする事はないだろう。
少し感傷的になった俺は、懐かしさに駆られて久しぶりにラジオのスイッチを入れてみた。
音が流れるのを待ちながら、あの日の衝動買いがもたらした出来事の数々を思い出し、ため息をつく。
ラジオのスイッチを入れると、驚くべきことに再びモーツァルトの「夜の女王のアリア」が流れ始めた。
不気味な歌声が部屋中に響きわたる。
俺はその瞬間、全身に寒気が走り、思わず身震いした。
恐怖に駆られ、慌ててつまみを回して曲を変えようとした。
「8月3日、土曜競馬中継の時間です」
耳に飛び込んできたのは、またしても来週の競馬中継の放送だった。
俺は過去の苦い経験が一気に蘇り、胸が締め付けられるような思いに駆られた。
もう2度と、あんな思いだけはしたくない。
が、しかし…聞くことがどうしてもやめられない。
「なんと勝ったのは16番人気のマキノガーゴイル!!鮮やかな末脚で差し切りました!もちろん万馬券です!」
「うおーー!!!」
気がついたら俺は半狂乱になり、叫び声を上げていた。
しかし、どれだけ恐ろしくても、レース結果をメモする手は止めることができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます