第7話

 帝都ブラウレン。その壮麗な城壁と塔は、かつて「千年帝国」の象徴と呼ばれた。

 だが今、その城門は敗残兵で溢れ返り、瓦解寸前の国の姿を映し出していた。


 数度の敗北を重ねた帝国軍は、もはや防衛の力を失っていた。敵の旗は南門から五里の地に迫り、城下の民は財を抱えて逃げ惑っている。


 セリナはその喧騒の中に立っていた。鎧は割れ、槍は刃こぼれに満ちていた。

 それでも、彼女の存在だけが秩序を繋ぎ止めていた。

「ヴァルキュリアが戻ったぞ!」

「まだ……まだ戦える!」


 兵も民も、その名を呼ぶことで己を支えていた。

 だがセリナ自身は理解していた。勝利はない。これは最後の抵抗にすぎない。



 城内の謁見の間。

 皇帝は蒼白な顔で座り込み、老臣たちが慌ただしく言い争っていた。

「講和を! まだ間に合う!」

「否、降伏は帝国の恥だ! 最後まで戦うべし!」

 そのどちらの言葉も虚ろに響いた。


 そこにセリナが進み出た。

「陛下、都を捨てて北へ退避を。兵と民を守るためには、それしかございません」


 老臣の一人が机を叩く。

「愚かな! 帝都を棄てるなど――」

「棄てねば皆死にます」

 セリナの声は冷徹であった。

「勝てぬ戦を続け、何を残せるのです? 生き延びた者こそが帝国の未来を紡ぐのです」


 皇帝は長い沈黙ののち、震える声で告げた。

「……セリナ。お前に託す。都を脱するまで、時間を稼いでくれ」


 命令は下った。

 セリナは深く頭を垂れ、槍を握り締めた。



 その夜。

 都の南門前に、わずかな兵が集められた。

 皆疲れ果て、死を悟った瞳をしていた。だがセリナが歩み出ると、彼らの目に炎が戻る。

「我らは殿軍だ。帝都を護り、陛下と民を退避させる」


 彼女の言葉は絶望の中の灯火だった。

 誰もが知っている。生きて帰れる者はほとんどいない。

 それでも「ヴァルキュリアと共に死ぬ」ことは、彼らにとって最大の誇りだった。



 暁。

 敵軍の陣が押し寄せ、都の外郭に轟音が響く。

 先頭にはまたしても、連邦の将レオニードがいた。

「……あの少女は、やはりここにいるか」


 彼の眼差しには、敬意と哀しみが混じっていた。

 敵でありながら、彼は理解していた。この少女はただの兵ではない。帝国最後の象徴なのだと。



 城門が開かれ、セリナと殿軍が進み出る。

 槍を構えたその姿は、兵たちの胸を震わせ、敵軍にすら一瞬の畏怖を与えた。

「帝都を護るため、ここで立つ! 我らの命と誇りを刻め!」


 鬨の声が上がり、両軍が激突した。


 矢が降り注ぎ、火薬が炸裂する。

 セリナは前に出て、敵騎兵を槍で薙ぎ倒し、次の瞬間には別の兵を突き伏せた。

 彼女の背で帝国兵は奮戦し、数倍の敵を相手に一歩も退かぬ戦を見せた。


「ヴァルキュリアだ! ヴァルキュリアがいる!」

 その叫びが戦場を支配する。



 だが時間は残酷だった。

 兵は次々と倒れ、地は血で泥と化す。

 セリナもまた傷を負い、肩から血を流していた。


 それでも彼女は退かない。

 背後には帝都があり、そこにまだ民が逃げ惑っている。

 その一人でも守るために、彼女は槍を振るう。


「退け! 退けぇ!」

 最後の力で声を張り上げ、敵を押し返す。

 その瞬間、都の鐘が鳴り響いた。退避が完了した合図だった。


 セリナは深く息を吐き、槍を地に突いた。

「これで……務めは果たした」



 敵の陣から、レオニードが馬を駆けて現れる。

「セリナ!」

 彼は剣を構えたまま、叫ぶように言った。

「これ以上は無益だ! 退け! お前の戦は既に伝説となった!」


 セリナは血に濡れた顔で微笑んだ。

「私が退けば、誰が彼らを導く……?」

 その一言に、残った兵たちが奮い立ち、最後の突撃に身を投じた。


 炎が都を覆い、空は赤く燃えた。

 その中で槍を振るう少女の姿は、誰の目にも神話のように映った。



 この日、帝都ブラウレンは落ちた。

 だが「負け戦のヴァルキュリア」の名は、帝国の最期を超えて語り継がれることになる。

 敵すらその勇を讃え、彼女の姿を語り草とした。


 ――英雄は滅びを止められなかった。

 だが、滅びゆく帝国に最後の誇りを与えたのは、間違いなく一人の少女だった。

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