第6話

 峠を越えた帝国軍の敗残兵は、かろうじて谷間の村に辿り着いた。

 屋根は焼け落ち、井戸は泥で埋められ、すでに村人の姿はない。

 荒れ果てた村落を野営地に変え、兵たちは疲労の限界に達して倒れ込んだ。


 その中央に、セリナの姿があった。

 血で濡れた鎧を外すこともなく、槍を片手に立ち続ける。

 兵たちの目は自然と彼女に集まり、誰もがその背を頼りにしていた。


「隊長のおかげで……生き残れた」

「ヴァルキュリアが殿を務めなければ、全滅だった」


 焚き火の周りでそんな声が漏れるたび、セリナは静かに微笑みを返した。

 その笑みは兵たちを安心させ、絶望に沈む心をわずかに照らした。


 だが――火が消え、兵たちが眠りについた後。

 セリナはひとり離れ、崩れた納屋の隅に腰を下ろした。

 背からずり落ちた槍を両腕で抱き締める。冷たい鉄が皮膚に食い込み、ようやく「人の体」に戻ったことを思い出させた。


 脳裏に蘇るのは、殿戦で散った兵たちの顔。

 自分の背で立ち上がり、そして死んでいった者たち。

 彼らは「ヴァルキュリアのため」と叫び、最後まで戦った。


「私は……彼らを導いたのか、それとも……死地に連れて行っただけなのか」


 声は震えていた。

 焚き火の残光が届かぬ闇の中で、セリナはただの少女に戻っていた。

 涙が頬を伝う。英雄と呼ばれる存在であっても、心はまだ十六の年齢に過ぎなかった。



 夜半。

 足音が近づき、セリナは咄嗟に涙を拭った。

 納屋の入口に立っていたのは、あの伝令兵の少年だった。

「……起きていたのか」

「眠れなくて。みんな……あなたの話をしてます」

 少年は少し照れたように笑った。

「ヴァルキュリアは本当に死なないんだ、って」


 セリナは小さく目を伏せた。

「そんなことはない。私は人だ。血を流せば死ぬ」

「でも、俺たちは……あなたがいるから逃げられた。あなただけは死なないでくれって、みんな願ってるんです」


 その言葉に胸が痛んだ。

 兵たちの希望を背負えば背負うほど、自分は自由を失っていく。

 ――英雄という檻に閉じ込められていく。


「……君の名は?」

「カイルです」

「カイル。もし私が倒れても、生き残れ。君の命は、君自身のためにある」


 カイルは目を見開いた。

 だがすぐに首を振り、強く言った。

「俺は……あなたのために剣を振ります。死んでも後悔しません」


 幼いその言葉に、セリナは返す言葉を失った。

 彼の中で「ヴァルキュリア」はすでに伝説であり、少女セリナではなかった。



 夜が明けた。

 赤く染まる空の下、兵たちは再び歩みを始めた。

 セリナは列の先頭に立ち、黙々と進む。

 背後からは「ヴァルキュリア」という声が絶え間なく聞こえた。


 その名を呼ばれるたび、胸の奥で小さな棘が刺さる。

 ――私はただの少女でいたかった。

 だが、その願いはもう二度と叶わない。


 炎に焼かれた村を後にしながら、セリナは槍を握り直した。

 英雄の孤独を背負い続けること。

 それこそが、自分に課された運命なのだと知りながら。

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