負け戦のヴァルキュリア

もげ山もげ夫

第1話

 空が赤く燃えていた。

 太陽の光ではない。燃え落ちる砦、焼け焦げる森、血に染まった大地が、戦場そのものを炎の器に変えていた。


「陣形は崩壊だ! 退け、退けぇッ!」

 叫ぶ声も虚しい。帝国軍の隊列はとうに瓦解していた。兵たちは武器を捨て、無秩序に散っていく。誰もが理解している。――この戦は負けた、と。


 そのただ中に、一人だけ逆流する影があった。

 細身の体に傷だらけの鎧をまとい、漆黒の槍を携えた少女。彼女の名はセリナ。十五にして百戦を潜り抜けた帝国最年少の隊長であり、「ヴァルキュリア」の異名で恐れられる存在だった。


「怯むな! 我らが退けば、都まで蹂躙されるぞ!」

 声は鋭く、裂帛の気迫を帯びていた。恐怖に押し潰されかけていた兵たちの足が、一瞬だけ止まる。


 その刹那、敵軍の騎兵が土煙を上げて突撃してきた。三十、いや五十。勝敗の天秤など傾き切っている。だがセリナは迷わない。

「道を開けよ!」

 槍が閃き、馬ごと敵兵を薙ぎ倒す。鮮血が飛び散り、倒れる兵の間に新たな道が刻まれる。


 仲間たちはその背中に再び声を取り戻した。

「ヴァルキュリアだ! ヴァルキュリアがいるぞ!」

「退くな、続けぇッ!」


 戦場の趨勢は変わらない。敗北は必至。だがその一瞬だけ、兵たちは再び戦う勇気を得る。

 セリナはそれを知っていた。だからこそ退けない。勝利のためではなく、敗北の中に一筋の光を残すために。


 砦の鐘が鳴り響く。撤退を告げる絶望の音色。

 しかしセリナは槍を掲げ、振り返ることなく叫んだ。


「我らの名を、ここに刻め! この地で果てようとも、帝国の誇りは死なぬ!」


 その声は炎に呑まれ、血に溶け、それでも兵たちの胸を震わせ続けた。

 この日、人々は敗北の戦場に一人の英雄が立っていたことを記憶する。

 ――後に「負け戦のヴァルキュリア」と呼ばれる少女の、最初の伝説である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る