ドッペルゲンガーの気まぐれ

奈良まさや

第1話

第一章 運命の邂逅


「あの...すみません」


JR市川駅の改札前で、田辺幸光は声をかけられて振り返った。そこに立っていたのは、まるで鏡を見ているような男性だった。身長、体型、顔立ち―すべてが自分と瓜二つ。いや、瓜二つなんてレベルではない。


「え...?」


田辺も驚いた。相手も同じような表情で立ち尽くしている。


「僕、戌亥光といいます。あの...これって...」


「ドッペルゲンガーってやつですかね」田辺は苦笑いを浮かべた。「田辺幸光です。29歳、千葉県出身」


「僕も29歳、千葉県出身です...信じられない」


二人は改札前でしばらく見つめ合った。通りすがりの人々が不思議そうに振り返っていく。


「あの、よろしければ...話しませんか?」戌亥が遠慮がちに提案した。


田辺は腕時計を見る。17時ちょうど。


「ちょうど良い時間ですね。個室居酒屋でゆっくり話しましょうか」


第二章 二つの人生の光と影


「乾杯!」


二人は生ビールを合わせた。個室の薄暗い照明の中でも、その酷似ぶりは変わらない。髪質、骨格、左頬の小さなほくろまで完全に一致していた。


「改めて自己紹介を」田辺が口火を切った。「市川在住、一人暮らし。広告代理店で営業課長をやってます。彼女は...まあ、2人います」


戌亥は少し驚いた表情を見せた。


「僕は新小岩在住、妻と1歳の娘と暮らしています。監査法人でシニアスタッフをしてます」


「家族がいるんですね。羨ましいな」田辺が言うと、戌亥の表情が曇った。


「でも...実は最近、家に帰るのが辛くて」戌亥は声を落とした。「妻の美咲は育児ノイローゼぎみで、僕に当たることが多くなって。『あなたは仕事ばかりで何もしてくれない』『私ばかり犠牲になってる』って毎日のように言われます」


田辺は真剣に聞いていた。


「美咲は元々完璧主義なんです。家事も育児も全部自分でやろうとして、それで追い詰められて...僕が手伝おうとしても『やり方が違う』『邪魔』って言われて。正直、家にいるより会社にいる方が楽になってしまった」


戌亥は自分の醜い本音を吐き出していた。


「娘の花音は可愛いんです。でも...美咲が泣いてる横で娘も泣いてると、僕は何もできない無力な男だと感じて。逃げたくなる自分が情けなくて」


田辺は深くうなずいた。


「俺も人のこと言えませんよ」田辺が苦笑いした。「彼女が2人いるって偉そうに言いましたけど、実際は最低な男なんです」


「2人とも本気で愛してるって思ってますけど、実は自分が一番可愛いんです。茜は銀座でホステスやってて、美穂は地元の幼馴染。全然違うタイプの女性を同時に愛してるって言えば聞こえはいいけど、要するに一人の女性に責任を持つのが怖いだけ」


田辺の声に自嘲が込もっていた。


「茜は強い女性で、俺の仕事の愚痴を聞いてくれるし、大人の関係を楽しめる。でも彼女の過去の男性遍歴を聞くと、俺も所詮その中の一人なんじゃないかって不安になる。美穂は純粋で、俺を信じ切ってくれてる。でもその信頼が重くて...裏切ってる罪悪感で押し潰されそうになる」


「どちらも本気で愛してるって自分に言い聞かせてるけど、実際は両方に中途半端にしか愛を注げてない。茜といる時は美穂のことを考えて、美穂といる時は茜のことを考えてる。最低でしょう?」


戌亥は田辺を見つめた。


「でも...それでも君は愛されてるんでしょう?」


「そうですね。でも俺は...その愛に応える勇気がないんです」


時間は流れ、二人は人生の暗部まで交換し続けた。気がつくと時計は20時を指していた。


第三章 禁断の提案


「ねえ、戌亥さん」田辺が前かがみになった。「突拍子もない提案なんですけど...」


「はい?」


「監査法人の仕事は流石に分からないから、それはそのままで。でも、プライベートは...半分入れ替わりませんか?」


戌亥は箸を止めた。


「入れ替わるって...まさか」


「僕は君の奥さんと娘さんと過ごしてみたい。君は僕の彼女たちと会ってみる。お互い、第三者の目で関係性を見てもらうんです」


戌亥は考え込んだ。確かに、家族との関係に行き詰まりを感じていた。客観的な視点が欲しいと思っていたのも事実だった。


「でも...バレたら大変なことになりますよ」


「だからこそ、完璧にやるんです」田辺の目が輝いた。「僕たちは完全に同じ顔をしている。声だって似ている。これは運命じゃないですか?」


戌亥は迷った。真面目な性格の彼にとって、これは大きな賭けだった。でも...


「分かりました。やってみましょう」

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