カルー

 久々に実家に帰省してから四日が経った。本州から少し離れた島ということもあり、東京からは少し遠く帰りにくい。大学に出てから、授業やバイト、就活で暇がないのもあった。もう何年も向こうで暮らしているのに、数日過ごすだけで子供の頃に戻ったようだ。どれだけ田舎でももうエアコンは完備されていて、真夏の今でも快適に過ごすことができる。よく冷えた部屋の中で食べる西瓜は絶品だった。

 今日の午後には東京に帰る。「短いじゃない」と母に言われたが、少々やることがたまっている。帰らないわけにはいかない。しかし、父から倉庫の整理を手伝ってほしいと頼まれたため、帰るのは午後以降になりそうだ。どれだけ腕が細くても男は男である。僕が手伝わないわけにはいかない。

 朝食を食べつつテレビを見ているとニュースの時間になった。小学校の夏休みも同じように過ごしていたなと、いつまでも変わらない自分に微笑を浮かべる。すると、とあるニュースに母が口を開いた。

「確か、亀太が子供の頃にもこんなことあったよね。」

「……あったね。子供三人が海で溺れちゃって。一人は未だに行方不明ってやつ。」

「そうそうそれ。改めて気をつけなくちゃねぇ。」

 だんだんと朝食の味がしなくなった。テレビには夏に注意すべき水辺の事故特集が映っている。ライフジャケット着用の推奨や、子供だけで水辺に行かないなど当たり前である。こんなものは二十数年生きていれば耳にタコができるほど聞く。だが、今の僕にはそれが僕の罪を追及しているように思えた。

 その時、玄関の戸がガラガラと音を立てた。

「おーい、亀太。そろそろいいか?」

 先に外で作業をしていた父のはつらつとした父の声が家に響く。

「んん。父さん、ちょっと待ってて。」

 咀嚼していたパンを飲み込み、返事をする。もう朝食は食べられないと感じた僕は席を立つ。

「ちょっと。食べないの?」

「食欲、もとからあんまりなかったから。ごめん、お昼に食べる。」

「夏バテ? 気を付けてよ。水分補給、忘れずにね。」

 「やっと来たか。ほい、暑いからこれかぶっとけ。」

 体調をうかがうように見つめる母を置いて外に出ると、日差しは想像以上に強い。父から借りた麦わら帽子をかぶっても体力はどんどん奪われる。

「じゃ、行くぞ。少し歩くけどついてきてくれな。」

 目的の倉庫には五分もたたず着いたが、僕はもうへとへとだった。この時期の日陰のない道はまさに地獄だ。朝食を食べきらなかったことを後悔するももう遅い。

 父は倉庫を開けた。中を見ると、子供の頃によく使った様々な道具があった。

「このボート、昔はよく使ったよなぁ。思い出として残しておきたいけど、ちょっとでかすぎてしまっておけないんだよ。まあその前にちょっと整理するか。」

「分かった。」

 しばらく倉庫の中にあった懐かしいものたちを外に出して、とうとうボートが出せるようになった。父が指示を出し、それに従ってボートを持ちあげる。大人二人がかりでも重く、すでに明日の筋肉痛を覚悟していた。

「父さん、これ僕が帰ったらどうやって運ぶの?」

「ん?……まあそれは誰かに頼むさ。」

本当に大丈夫なのかと父を疑うと観念したように、

「ははは、ごめんよ。また昔みたいにお前とこういうことしたくてな。」

とあっけらかんに言った。僕は少し嬉しくなって、

「ふふ。ならいいんだ。じゃあ、もう暑いし家戻ろっか。家でゆっくり話そう。」

 そう提案しようとした時だった。

「かめちゃん!」

と、からだが震えるほど大きな声で呼ばれた。振り返るとそこには、倉庫の中にあったどれよりも懐かしい、旧友の姿があった。

「凪くん、どうしてここに……。」

「何化け物でも見たような顔してるんだよ。俺だってこの季節になれば帰ってくるさ。それともなんだ、久しぶりに大好きな親友に会えて感動したか。」

開いた口がふさがらなかった。その様子を見て彼は満面の笑みを浮かべて話を続ける。

「いやあ、それにしても本当に久しぶりだな。なんで帰ってこなかったんだよ。俺毎年来てたんだぞ?」

「あ、う、うん。忙しくってさ……。」

「久しぶりに会えたからよ、なんかして遊ぼうぜ。俺、また会えたときのためにいろいろ考えてたんだぜ。」

「また昔みたいに海にでも行ってさ。」

 何も言えなかった。自分は夢を見ているのではないかと思った。彼は徐に海の方を向いて、僕の返事を待っている。

「おい、亀太。大丈夫か?」

父の声でようやく体が動いた。

「あ、うん。僕、ちょっと海に行ってくるよ。」

「おう……。お昼には戻って来いよ。昼飯作って待ってるからな。」

 父はそう言って、こちらを少し見てから家に戻っていった。

「よし。かめちゃん、行こうぜ。」

「う、うん。でもなにするの?」

「うーん、やっぱ海で泳ぎたいっしょ! 今日は暑いし気持ちいいぞ。」

「うーん、ごめん。僕今日着替えないから泳げないや。」

「そっかぁ。じゃあ定番の砂の城はどうだ? あれなら準備なんて必要ないだろ。」

 そんな何気ない話をして、海に着いた。とても静かだった。ここまで来るのにフェリーを使ったから、この海もつい最近見ている。なのに、凪くんといると少し色あせたように見える。遠くにうっすらと見える小さい島や、流れ着いた流木、事故への注意を呼び掛ける横断幕、それに浜辺に転がるピンクの貝。すぐ近くにあるのに、触れない。触ったら何かが壊れてしまう。そんな気がした。

 「よし!じゃあまずは土台を……。かめちゃん、大丈夫か?」

僕が感傷に浸っていると、凪くんが顔を覗いてきた。目が合う。その目は今も純粋無垢なままだ。

「ごめん、砂の城を作る元気もないや。どこかに座って少し話さない?」

 かめちゃんは少し残念そうだったが僕の提案を快諾してくれた。周りにはベンチなどなく、僕たちは砂にじかに座ることとなった。

 「なあ、最近どうだ?」

「えっ、最近? そうだな、バイトで一緒の男の子と映画見に行ったよ。」

「へえ、いいな。何見たんだ?」

そんな他愛もない話を、僕たちはいつまでも続けた。時間を忘れて、ずっと話した。まるで子供の頃の二人そのままだ。僕たちだけがいるこの場所は、やっぱり昔と変わらない。このまま思い出の浜辺に永久にいてもいいと、そう思えた。

けれど、人に与えられた時間には限りがある。

「なぎくん。僕もう帰らなきゃ。お昼ご飯食べたくなっちゃった。」

「……そっか。そうだよな。」

 彼は初めて寂しそうな表情を見せた。僕は彼のそんな表情を見たことがなかった。お互い何も言わず、沈黙が続く。

「……なあ。また来年の今日、ここに帰ってきてくれよ。俺もまた帰ってくるからさ。」

「うん。もちろん。」

 道路に戻り少し歩いて彼と別れた。後ろを振り返っても、誰もいない気がした。

***

 家のドアを開けると、母が足音を立てながら出てきた。

「あんたねえ、何時だと思ってるの。もうあんたの分のお昼、みんなで分けちゃったからね。それからお父さん、悲しんでたよ? せっかくゆっくり話せると思ったのにって。」

「ああごめん。後で父さんにも謝っとくよ。」

「当たり前です。さっさと帰る準備もしちゃいなさい。」

部屋に戻ると、今が今なことをようやく実感する。けれど服に着いた、払いきれなかった砂は、確かにあの時間があったことを証明している。ここではらってしまおうと思ったが、きっと寂しくなってしまうからやめた。そしてのんびりと荷支度を始める。

僕はまた東京に戻ってせわしない社会に揉まれ、ここの記憶は薄れてしまうのだろう。けれど、あの浜辺だけは、今後も忘れられることのない呪いとなって、僕の人生を豊かにするだろう。

彼と会ったから、そう思えるのだ。

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カルー @karuu_5946

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