地味貴族に転生したら、実は俺TUEEE?~隠居志望の勘違い英雄譚~
@blueholic
第1話 異世界で目覚める
エリアスはゆっくりとまぶたを開けた。視界に飛び込んできたのは見覚えのない木造の天井。ふかふかのベッドに横たわる自分の身体は妙に小さく、手を動かせば短い腕がふらふらと揺れた。
「……ここはどこだ?」――朦朧とする意識の中でエリアスは記憶を探る。
直前まで彼は深夜のオフィスで机に突っ伏していたはずだった。それが今や、小さな子供の姿で豪華な寝台に寝ているとは、一体どういうことだろうか。
頭にズキズキと鈍い痛みが走る。同時に、異様なほど鮮明な“前世”の記憶が脳裏に蘇ってきた。ブラック企業に勤め、過労で倒れた自分――社畜として酷使された日々。
終電どころか帰宅すらままならず、休日は月に一度あれば良い方。上司に叱責され客先に頭を下げ続ける毎日に、心身はすり減るばかりだった。あまりの激務についに限界が来て、彼はデスクでそのまま意識を失ったのだ。
「ああ……やっぱり死んじまったのか、俺」
エリアス――前世の名ではないが、今の彼の名――は小さく呟いた。
過労死という最悪の結末に苦笑が漏れる。だが見知らぬ天井の下で幼い体に宿っているということは……まさか本当に異世界転生してしまったというのか?あり得ない話ではあるが、他に説明のしようもなかった。
前世の終わり際、自分は何を考えていたのだろう。
思い出せるのは、「早く仕事に行かなきゃ、部長に怒られる」などという救いようのない台詞だった。
最後の最後まで仕事の心配とは、自分ながら情けない。どうせ死ぬなら、せめてあの横暴な部長に一泡吹かせてやりたかった……。
エリアスは前世で果たせなかったささやかな復讐を想像し、ふっと苦い笑みを浮かべた。
もし次があるなら、もっと自分勝手に生きてやるのに――そう思った刹那、本当に与えられた新たな人生。これは神様からの贈り物だろうか?それとも単なる偶然かは分からないが、チャンスであることに違いはない。
「……今度の人生では、絶対に無理はしないぞ」心に固く誓いを立てる。二度と社畜なんかまっぴらだ。次こそのんびり穏やかに生きてやる。出世も栄光も要らない。地味でいい、平凡でいい、とにかく静かな人生を送るんだ――。
「エリアス! 目が覚めたのね!」不意に甲高い女性の声がした。はっとして顔を向けると、ベッドの傍らには見知らぬ女性が立っている。柔らかな表情と涙ぐんだ瞳から、こちらを心配していた様子が窺えた。
「大丈夫?急に高い熱を出して倒れたから、どれだけ心配したことか……」
女性は安堵したように微笑むと、エリアスの小さな手を優しく包み込んだ。
(この人は……誰だろう?)
エリアスは記憶を探った。前世の記憶とは別に、この身体に刻まれた新しい記憶がぼんやりと浮かんでくる。
この女性は自分の母親らしい。確か名をエリザといったか。金色の髪に優しげな緑の瞳をした若い母親だ。
思えば、この世界での自分――エリアスという少年は、辺境の小領地を治める男爵家の三男坊として生を受けたのだった。
「あ…う…」エリアスは喉を震わせ何か言おうとしたが、咄嗟に言葉を飲み込んだ。
下手に前世の感覚で喋ってしまっては不自然だ。幼い子供らしく振る舞わねば、と瞬時に判断する。
「無理しなくていいのよ」
母親のエリザは勘違いしているのか、優しく背中をさすりながら言った。
「しんどかったでしょう?もう大丈夫だからね」
その言葉と温かな母の手に、エリアスは胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。前世では味わえなかった無条件の愛情。
こんな風に誰かに心配されるのは、一体いつ以来だろうか。思わず頬が緩みそうになるのを引き締め、エリアスは小さくうなずいて見せた。
それから月日が流れ、エリアスは十歳になる頃にはすっかりこの世界の暮らしにも馴染んでいた。
生まれ育ったエリアス家――正式にはサウスランド男爵家というらしいが――は王国の辺境に位置する地味な下級貴族の一家だ。
豪奢な宮殿暮らしなどとは程遠く、館もこぢんまりとしたものだが、それでも平民時代(前世)に比べれば随分とのどかで穏やかな環境である。
父親のガイル・サウスランド卿は領民想いの立派な男爵であるが、領地は辺境ゆえ富も権勢もなく、王都からもほとんど注目されない。
そして彼には三人の息子がいた。長男のレオンは文武両道に優れた少年で、将来を嘱望されている天才肌だ。
現在十五歳になるレオンは王都の士官学校に入学しており、エリアスの自慢の兄でもあった。次男のアランは十三歳、兄ほどではないにせよ剣術の腕はなかなかで、父の期待を一身に受けている。
そんな優秀な兄二人に対して、末っ子のエリアスはといえば「まあ元気に育ってくれれば十分」といった程度の扱いだ。
正直なところ家族から大きな期待は寄せられていない。
だが、エリアス自身はむしろそれを好都合だと思っていた。
周囲の関心が薄い分、自由に好きなことができる時間も多いからだ。
エリアスにはこの世界でひそかに情熱を注いでいる「好きなこと」があった。
それは魔法の研究である。
前世ではゲームやファンタジーの中の空想でしかなかった魔法が、この異世界では現実の力として存在している。
初めて魔法の存在を知ったとき、エリアスは心の中で小躍りした。
幼い身体に転生してからというもの、彼は持ち前の好奇心と前世由来の勤勉さ(ブラック企業仕込みの粘り強さと言うべきか)で、幼少期からこっそりと魔法を独学してきたのだ。
もっとも、正式に師について習ったわけではない。実家の蔵書にあった初歩的な魔法の指南書を盗み見たり、兄たちの魔法の訓練を影から観察したりして、独力でコツコツと魔法の鍛錬を積んできたのである。
幸い、エリアスは魔法の才能に恵まれていた。持て余すほど大量の魔力と、呪文の意味をすんなり理解できる頭脳があったのだ。
おかげで見様見真似ながらも、いくつかの初級魔法は幼い頃から難なく使いこなせた。七歳の時には早くも小さな火球を生み出すことに成功し、自分自身で驚いたほどだ。
それ以来、エリアスは庭の片隅や森の中など人目につかない場所で、魔法の練習を続けている。
とはいえ、身内にもその力は秘密にしていた。並外れた才能があると知れれば、家族の見る目も変わってしまうだろう。父や兄たちに期待されてしまえば、厄介ごとに巻き込まれるのは目に見えている。
「すごい才能だ!ぜひ国のために役立てよ」
などと言われた日には、のんびり隠居どころではなくなってしまうに違いない。そんな展開は願い下げだった。だからエリアスはあえて平凡な三男らしく振る舞い、日々を送っていたのである。
実際、彼は家族から見れば控えめでおとなしい子供だった。
朝の剣術稽古ではへろへろと弱い素振りを見せ、学問の時間には退屈そうにアクビをしてみせる。
テストで満点を取れる実力があっても、わざと八割程度の点数で留めておく用心深さだ。
父ガイルも「エリアスは体も小さいし学問もそこそこ。まああいつはあいつの道を見つければいいだろう」と温かくも放任に構えている。
周囲からのプレッシャーがないぶん、エリアスは自分の研究――すなわち魔法の鍛錬――にますます打ち込めるというわけだ。
エリアス自身、波風の立たないこの生活には満足していた。
前世で味わった地獄のような忙殺の日々を思えば、今の恵まれた環境は天国も同然だ。
家庭や領地は平凡そのものだが、だからこそ平和で居心地が良い。目立つことなく、スローライフを楽しめるならそれに越したことはないではないか。
「このまま地味に暮らしていければそれでいい」――常々そう考えていたエリアスにとって、今の境遇は理想的と言えた。
しかし、そんな穏やかな日常は突然に破られることになる。
ある日の昼下がり。書庫で古い魔導書を読んでいたエリアスは、屋敷の外から聞こえてきた騒がしい声に顔を上げた。「なんだ?」胸騒ぎを覚え、本を閉じて廊下へと走る。
ちょうどその頃、父ガイル男爵のもとに一人の伝令が駆け込んできたところだった。
「はあ、はあ…大変です!村に魔物が現れました!」
息を切らしながら兵士が叫ぶ。
玄関ホールに集まった使用人たちがどよめき、空気が一瞬で張り詰めた。
「落ち着け、詳しく状況を報告しろ」
ガイル男爵の厳かな声が響く。伝令の男は額の汗を拭い、続けた。
「北のはずれにあるデルムの村に、魔物の群れが出現しました。種族はゴブリンです。数はおよそ二十ほど。村の自警団が応戦していますが、被害も出始めて…このままでは…!」
報告を聞いたガイルの表情がみるみる険しくなっていく。
「なんということだ…。すぐに兵を集めねばならん。エドガー、近隣の領主にも急ぎ援軍を要請せよ!」
父は側近の一人に向けて怒鳴った。館内は途端に慌ただしくなり、指示を受けた兵士たちが次々と駆け出していった。
陰からその様子を窺っていたエリアスの心臓は早鐘のように高鳴っていた。
辺境とはいえ、これまでこの領地で魔物の被害など聞いたことがない。
それが今、現実のものとなってしまったのだ。
しかも出現場所はすぐ近くの村。放っておけば村人たちが危ない。
だがこの領地の守備隊はせいぜい十数人程度、ゴブリン二十匹相手では分が悪いだろう。
王都からの援軍を頼んでも、届く頃には被害が広がっているかもしれない……。
エリアスはごくりと唾を飲み込んだ。ふと、父の視線が自分に向く。
「エリアス、お前は外に出るんじゃないぞ。館の奥にいるんだ。いいな?」
ガイル男爵は厳しい声でそう言い含めると、脇に立つアランに向き直った。
「アラン、お前は兵を率いて村に向かえ。無茶はするな、増援が来るまで持ちこたえるんだ」
突然の命令に、アランは一瞬目を見開いたものの、すぐに真顔でうなずいた。
「承知しました、父上!」緊張に声を震わせながらも、アランは毅然と答えた。十三歳の少年とはいえ、騎士見習いとしての自負があるのだろう。
父もそんな次男の様子に頷くと、自らも剣を帯びて立ち上がった。
「私もすぐ向かう。皆、準備を急げ!」
有無を言わせぬ口調で告げると、男爵はあっという間に出陣の支度を始めた。
やがてエリアス以外の男手は総出で館を飛び出していく。「兄さんまで行くのか…!」物陰から見守るエリアスの胸に、不安と焦りが渦巻く。
あの優秀な兄アランですら、実戦の経験などほとんどないはずだ。父も決して戦上手というわけではない。
正直、この戦力で果たして村を守りきれるのか――? エリアスの頭に最悪の光景がちらつく。
助けたい。
しかし、下手に力を見せれば目立ってしまう…。エリアスは己の中で葛藤する。ここで見殺しにして平穏な日々に戻ることは彼にできるのか?たとえ隠居志望でも、胸の内に秘めた正義感まで捨て去ったわけではない。ぎゅっと拳を握りしめ、エリアスは小さく息を吐いた。
「……どうする? 俺…」
エリアスが静かな隠居生活を望んでいたとしても、現実はそう甘くはないらしい。彼の平穏な日常は、今まさに否応なく揺るがされようとしていたのだった――。
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