第2話 第二話 「還暦の日、突然の・・」
翌朝、障子越しに差し込む柔らかな光が、畳の目を優しく照らしていた。
蝉の声はまだ続いているが、昨日の灼熱に続き、今日も同様の猛暑が予想されているとテレビの天気予報が告げていた。
画面には「熱中症警戒アラート」の赤い文字が踊り、アナウンサーが「昨日に引き続き、危険な暑さとなるでしょう」と真剣な表情で呼びかけている。
正義は味噌汁の湯気を見つめながら、静かにため息をついた。
還暦の誕生日だというのに、今日もまた容赦ない暑さの中、営業に出なければならない。
だが、彼の背筋はまっすぐだった。
「正義さん、誕生日おめでとう! 今日くらい、ゆっくりしていいんじゃない?」
妻の時子が、湯気の立つ味噌汁を差し出しながら微笑んだ。
鈴木正義(60歳)は新聞を畳み、ふっと苦笑した。
「還暦ってさ、赤ちゃんが生まれてから60年で干支が一周するってことだろ?
つまり、人生がひとまわりして、また“赤ちゃん”に戻るって意味なんだよな」
そう言いながら、彼は少しだけ苦笑した。
世間では、赤いちゃんちゃんこを着て祝う風習もある。家族や仲間に囲まれて、笑顔で記念写真を撮る。そんな光景が頭に浮かぶ。
「でもさ…なんか、若者が祝うもんって気がするんだよ。“お疲れさまでした”って、区切りをつけるような感じでさ」
彼の声には、どこか寂しさが滲んでいた。
還暦という言葉が、まるで「引退」や「終わり」を告げるように聞こえてしまうのだ。
「俺はまだ、現役のつもりなんだけどな」
その言葉には、強がりでもなく、虚勢でもない、静かな決意が込められていた。会社では若手が台頭し、同期は次々と役職を外れ、退職していった。
自分もその流れに飲み込まれるのか――そんな不安が、胸の奥で渦巻いていた。
自分の居場所は、まだあるのだろうか。
いや、そもそも“居場所”とは何なのか。
時子の目には、言葉にしない優しさと、少しの心配が浮かんでいた。
「里子からも、LINE来てたよ。『お父さん、いつもありがとう』って。
孫の動画も添えて」
スマホを手に取った鈴木は、長女からのメッセージを見て微笑んだ。
小さな手でハイハイする孫の姿に、思わず目尻が下がる。
家族の時間は、確かに彼を支えていた。
鈴木家は、正義と妻・時子、そして高校生の次女・美咲の三人暮らし。
長女の里子は結婚して都内に住んでおり、最近第一子を出産したばかりだ。
週末には孫の動画が送られてくるのが、正義のささやかな楽しみになっていた。
そのとき、スマホが震えた。
画面には「佐藤部長」の名前が表示されている。会社の上司からのメール。
嫌な予感がした。
件名は「緊急:月曜朝の召集について」。
本文には、簡潔な指示が並んでいた。
「鈴木様 8月25日月曜9時、会議室Bにて特別プロジェクトの説明があります。
詳細は当日説明します。 佐藤」
鈴木は眉をひそめた。
“特別プロジェクト”とは何か なぜこのタイミングなのか
味噌汁の香りが、急に遠く感じられた。
時子が心配そうに顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「いや……ちょっと、会社から月曜に呼び出しだってさ」
時子は黙って頷いた。
その沈黙が、鈴木の不安をさらに深めた。
彼はスマホを握りしめ、画面を見つめた。
そこには、ただの通知以上の意味があるように思えた。
これは、何かが始まる予兆なのかもしれない。
そしてこの瞬間から、彼の“逆襲”は静かに始まっていた。
相棒はAI 〜還暦サラリーマン、逆襲の撤去指令 @5969
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