第3章 荒れた村と再出発

【王暦424年・南辺境/ダール渓谷】


 馬車が止まった。

 幌をめくると、そこには王都とはまるで違う世界が広がっていた。


 大地はひび割れ、枯れた草が風に揺れるだけ。

 かつては森だったという渓谷は、骨を剥き出しにした獣の骸のように荒れ果てていた。


「……これが、祖母の暮らした場所」


 私が呟くと、グレイ辺境伯は淡々と答える。


「十年前の飢饉で、村は半ば死んだ。王都からの救済も届かず、残ったのは老人と子供ばかりだ」


 視線の先、崩れかけた石造りの家々。

 人影はまばらで、目に映る顔は疲れ切り、希望の色がない。


 馬車を降りた途端、子供たちがこちらを見て怯えたように走り去った。

 残ったのは痩せ細った老婆ひとり。


「アルバート様……?」


 その名を呼ばれ、胸が痛んだ。

 祖母がこの村にいたから、私を覚えているのだろう。


「はい。私はリシェル。祖母──イレーネの孫です」


 老婆の目に涙が滲んだ。

 しかし次の瞬間、震える声でこう告げられる。


「どうか……もう帰ってください。ここには、何も残っていません」


 その言葉が突き刺さる。

 だが、私は首を横に振った。


「いいえ。残っているはずです。祖母の知識も、土地の力も。……私が、ここを立て直します」


 老婆は驚いたように私を見つめ、やがて首を振りながら去っていった。



 村外れに建つ小さな小舎。

 祖母が暮らしていた場所は、屋根が抜け、家具も朽ちていた。

 だが、土壁の奥に隠された箱は無事で、中には草花の押し葉と走り書きの手帳が残っていた。


(やっぱり……祖母は未来のために残してくれていたんだ)


 震える指でページをなぞる。

 「月草は夜に摘め。水辺の苔は煎じて熱を下げる」

 どれも王都では笑い飛ばされた知識。けれど、ここでは生き残るための宝だ。



 背後で、低い声が響いた。


「──それで、本当にやるつもりか?」


 振り返ると、グレイ辺境伯が立っていた。

 無表情のまま、鋭い瞳だけが私を射抜く。


「王都の令嬢が村を立て直す? 無謀だ」


「それでも、やります」


 彼の眉がわずかに動く。

 私は続けた。


「追放されたからこそ、ここで生きるしかないんです。……それに、私は祖母に救われた村を、見捨てたくありません」


 沈黙。

 やがてグレイは短く息を吐き、背を向けた。


「好きにしろ。ただし──生き延びる力を示せ。でなければ、辺境はお前を飲み込む」


 その背中を見送り、私は手帳を胸に抱きしめた。


(必ず、証明してみせる。王都から追放されたって、ここで私はやり直せる)


 荒れ果てた村の風景の中で、決意だけが鮮やかに燃え上がっていた。

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