第2章 辺境への旅立ち
【王暦424年・三日後/西門】
朝もまだ浅い時刻。
王都の西門は霧に覆われ、石畳は冷えきっていた。
門前には幌付きの馬車が一台。
傍らに並ぶ黒衣の騎士たちは、狼の紋章を肩章に刻んでいる。
辺境伯カディス・グレイの配下──「灰狼騎士団」。
「……こちらへ」
隊長らしき男が無愛想に顎をしゃくった。
私は小さな荷袋を抱え、馬車へと足を運ぶ。
護衛の一人が荷物を検める仕草をしたが、祖母の手帳に視線を落とした途端、無言で手を引いた。
車内は質素だった。革張りの座席が向かい合わせに二つ。
すでに一人が腰を下ろしていた。
「……」
漆黒の軍衣、銀狼の肩章。
辺境伯グレイ。
真っ直ぐに組んだ腕と閉じた瞳が、石像のように動かない。
「ご厚意に感謝します、辺境伯」
頭を下げると、彼は瞼を開いた。
暗い茶色の瞳が、氷のように射抜く。
「礼は不要だ。法の執行だ」
「……はい」
会話はそこで途切れ、馬車が揺れ始める。
城壁を抜ける音が響き、石畳が土道に変わる。
王都は背後へ遠ざかっていった。
◇
しばらく沈黙が続いたのち、グレイが口を開いた。
「お前、追放の場で“綴じ糸の匂い”を指摘したな」
「……はい」
「気付く者は少ない。だが、証拠を挙げたところで裁きは覆らん。……それでも口にしたのはなぜだ」
「私が無実だからです」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
彼はしばし無言で私を見つめ、それから短く吐き出した。
「愚かだ。だが──嫌いではない」
それが褒め言葉なのか侮蔑なのか、私には分からなかった。
◇
正午を過ぎると、馬車は街道を外れ、荒れ地を進み始めた。
窓の外にはひび割れた大地と、骨のように枯れた樹木。
王都の肥沃な畑とは比べるべくもない。
「……これが、辺境」
思わず漏れた呟きに、グレイが答えた。
「これでもまだ入口だ。ここから先は獣と飢えが支配する。王都の法も、掟も、何の意味もない」
彼の声は乾いた風のようだった。
「忘れるな。生き残りたければ──王都の常識を捨てろ」
胸に重く突き刺さる言葉。
私はぎゅっと祖母の手帳を抱きしめた。
(王都の常識を捨てる……それが生き残る唯一の道なら)
そう心に刻みながら、私は幌越しに灰色の空を見上げた。
新しい人生の始まりは、荒涼とした景色の中にあった。
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