ふらっとにツウホウ

渡貫とゐち

第1話


 深夜。


 駅から離れた住宅地を徘徊している男がいた。


 息も荒く、街灯が少ない場所では不意に見つける彼の姿は不審者でしかない。


 偶然、すれ違った終電帰りの女性が、一も二もなく通報した。



「すみませーん、お兄さん、こんな時間になにやってるんです?」


 通報を受けて出動した警官が現場へ向かうと、怪しい、と思われていた男が一発で分かった。

 彼は同じ場所をぐるぐると走っていたのだ。


「え? ……散歩、ですけど」

「こんな遅い時間に?」


「はい。気温も低いので……え、ダメでした? 日中は普通に仕事してますから、散歩もランニングもできませんからね……空いた時間にしてるだけなんですけど」


「うんうん、なるほどー……。いやあ、ダメってわけじゃないんだけど、不審者がいますと通報を受けてね。散歩ならいいんだけど……気を付けてね? 最近、物騒な事件が多くて、お兄さんが誤解を受けるのは可哀そうだよ。もっとこう、住宅地じゃなくて、駅前とか。せめて明るい場所の方がいいかもしれないね」


「あー、そうですね……じゃあ、駅前に行くようにしますわ」


「どうも、よろしくね。すみませんねえ、お気をつけて」



 ――これで何件目だろうか。


 酷暑続きで、日中、外に出られない人が深夜に散歩、ランニングすることが多くなっている。

 不審者だと勘違いした近隣の住人が通報することが多く、警官が何人も出動させられていた。


 同じ人を通報していることもあり……、簡単に通報できてしまえるのも考えものだ。

 かと言って有料にすると事前に事件を防げなくなるし……。


 不安に思う気持ちは分かる。気になったなら通報してくれていい、と警察は言うしかないのだが、それでも、気になったからと言ってなんでもかんでも通報されたらこっちだって手が回らない、と本音を言いたいくらいだった。


 責めるつもりはないが意思表明だけはしておくべきか??


 多い通報のせいで実際の事件に回せる警官がいません、とか。


 ……そうは言っても、通報しないでください、とは言えない警察である。




 ――また通報である。

 今度は日中のことだった。


「今度は……公園に男性がひとりでいる、か……いいだろそれくらい」


 女性からの通報だった。

 女性からすれば、正体不明の男性がいるだけで不安なのは分かるが、そんなことで通報されても困るのだ。


 相手がナイフを持っているならまだしも……、まあ、見せて歩いている男性がいることの方が少ないのだが。

 通報した、実はなにも持っていませんでした、で済むならそれでいいと思うが……疑われた男性と出動した警官は嫌な思いをする。

 犠牲の上で成り立つ構造とは言え、負担は全員にかかるべきだろう。


 通報者だけは、連絡して終わりである。

 通報を受けたので、行かなければならない……。

 足が重く億劫だが、行かないわけにはいかないのが辛いところだ。


 公園へ向かうと、男性がベンチでぐったりしていた。

 ……もしかして、不審者というのは口実で、熱中症かもしれないと思って通報したのか?

 いや、じゃあ熱中症で倒れています、と通報した方がいいだろう。


 救急車の到着も早くなるわけだし。


「お兄さん? 大丈夫?」

「へ?」


「熱中症……ではなさそうだね」

「いえっ、寝て、ただけですけど……?」


「こんなところで寝たらダメだよー。実はね、通報があってね……不審者、とまでは言わないけど、倒れてるから心配して、だと思うんだよねえ……。寝るなら涼しいところの方がいいよ。いや、そうして。ほんとに熱中症で亡くなる人が多いんだから」


 老人だけではない。

 今年の酷暑は若者だってあっさり殺すのだ。


「あ、はい、そうですね……そうします……」


 男は公園を出て行った。

 今回は、理由はどうあれ通報していなければ危なかったかもしれない……。


 自分は大丈夫、という意識が一番危ないのだ。

 寝る前は平気だったとしても、寝ている間に熱中症になり……あり得る話だ。


 ありふれた話でもあった。


「はぁ。思い立ったら通報、みたいな件が増えてるなあ」


 それでも、今回のようなケースがあるなら、通報禁止とも言えない。



 ――通報があった。

 今回は、いやいやいや……、と呆れてしまう理由だった。


「小学生とサッカーをしている男性を通報? 意味が分からない……」


 警官は現場へ向かいながら、深い溜息をついていた。

 ここまで終わったか日本人。


 子供の中に混ざった大人……、確かに不安を感じる部分もあるかもしれないが、楽しくサッカーをしているようにしか見えないだろう。

 子供が怯えていなければ不審者の可能性はかなり低い。そもそも知り合いかもしれないし……でなくとも、その場で会って意気投合したかもしれない。サッカーくらい いいだろう。


 それとも、公園がボール遊び禁止とか? なら、通報した時にそう言えばいい。

 わざわざ「不審者が子供たちと遊んでいます」と言う必要はないのだ。

 ……なんでもかんでも通報してくる。警官の仕事が増えてばかりだった。


 こんなくだらないことに手を回せている時点で、日本は平和なのかもしれないが。


「ボール遊び、禁止じゃないなあ……」


 ただのイタズラ通報だろう。そう判断し、警官は外から見るだけで交番へ戻った。


 それから、また通報があったものの、「確認しましたが問題はありませんでした」とだけ返答し、後は放置だ。大人と子供がサッカーで繋がっている……良いことだろう。


 暇を持て余した近隣住民の遊びに付き合う義理はなかった。



「……あのー」


「はい?」


 いつも通りに通報を受けてやってきた。

 警官は苦笑いだ……なぜなら、通報自体があまり聞かない内容だったからだ。


 不審者が公園で、親子でお弁当を食べています、と。……不審者ではないと思うが……近隣の男性の通報だった。


 露骨な嫌がらせだが、しかし、露骨すぎて、もしものことを考えると、調べずに放置するには不安があった。


 ので、警官は申し訳なく思いながらも親子に声をかけたのだ。


「通報がありましてね……なにをしているんですか?」

「ピクニック、ですけど……」


「お母さんですか?」

「はい」


「では、お子さんで?」

「見て分かるでしょう?」


 確かに。若い奥様と、まだ小学生になっていなさそうなお子さんだった。


 ただ、他人の子かもしれない。

 母と名乗る女性が、誘拐犯かもしれない――違うと思うが、もしそうだったらどうするんです? 責任を取れるんですか? とまで言われたら……動かないわけにもいかなかった。


 警察の仕事である。

 他の人が同じことをして問題になるなら、やはり警官がやるしかない。


 責任、か……。


 日常に溶け込むなら、いそうな人に溶け込むだろう。そう、ピクニックをする親子のような、不審者とは思わない組み合わせに溶け込むのが一番だ。


 実際、警官も疑わなかったのだから、偽装するにはもってこいである。


「私たちが不審者に見えるんですか?」

「見えませんね。けど、それがよくないことでもあるんです……」


「怪しいかもしれない、でなんでもかんでも不審者で通報されたら困ります。じゃあどうしろって言うんですか、どうしたら一般の人だと分かってくれるんですか? 子供でもダメならどうしようもないでしょう! 不審者ではありません、の名札でも作って首から提げておきましょうか!?」


 母親がイライラし始め、声が大きくなっていく。

 注目を集め始めた。子供の方も、母の怒声に表情が歪んでいく……。


「お、かーさん……」

「あの、もういいですか? こっちは楽しくお弁当を食べていただけなんですッ!」


「……すみません、もう大丈夫ですよ、お気を付けて」


 通報問題。

 なにか策を練らないといけなさそうだ。



 そして極めつけだった。


 通報を受け、現場へ急行してみれば、そこには同僚がいた。

 青い制服の警官である。


「……警察のコスプレをした不審者がいると通報を受けたんだけど……お前かよ」

「コスプレって……おれは本物だよ」


「分かってる。通報するのがダメ、とはもちろん言わないが……これは……イタズラにしても悪質だろ。こっちの邪魔をしたいだけらしいな」


 警官を不審者とし、通報した。

 嫌がらせにしか思えない。


 だが、コスプレだと思った、ということにして、本当に不審者だと思ったなら咎めることもできず……難しいところだ。


「どうする? 一応、おれのことを調べるか?」


「いやいい。知ってるし。なんでお前とイチャイチャしなくちゃいけないんだ」


 お互い、尻の穴まで見ているほどに近い関係だ。

 同期……親友。

 合宿でも同じ部屋だった。


 気が抜けるため仕事中に会うことは滅多にないが、通報を受けたことでこうして会えたのは、不幸中の幸いと言ってもいいかもしれない。


「さ、仕事に戻るか」

「あいよー」


 警官が悪事を働くことはない、とは言えないが、同僚への信用がある。

 あれは大丈夫だ、と思い、チェックはしなかった。




 朝からの暑さにやられて喉が渇き、自販機で水を買っていたところ……別の同僚がやってきた。……まさか、と思えば、案の定だ。


「水を買ってる警官がいると通報があった。あんたか」


「……、同窓会みたいになってるな……ったく。犯罪者よりも厄介だぞ、通報者」


 不審者とはなんだ? その定義が広がれば広がるほど、通報が増えていく。


 通報を受けて駆り出される警官も増えていくのだ。いや、人手不足もあるので、結局、ひとりにかかる負担が多くなるだけだ。


 そして、本当の犯罪が増えても対応できず、犯罪が横行する社会になってしまう。人が減ってるのに犯罪は減らない……なんでだ。


 もしかして……将を射んとする者はまず馬を射よ、なのか?


 犯罪を成功させるため、警官の足止めをまずおこなった。


 この通報は、じゃあ、犯罪者予備軍がおこなった布石なのだろうか……?


「ふむ……通報者を調べてみるか」


 念入りに。


 通報した側も不審者である、と思った方がいいかもしれなかった。




 ・・・おわり

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