第8話 生きている証

 現代の暮らしにも次第に馴染み、日々の穏やかな時間が市の日常となりつつあった頃のことだった。


 ある午後、施設の受付から「市様にお客様がお見えです」との連絡が入り、控えの間へ通されると、そこには男女二人がにこやかに立っていた。一人はエネルギッシュな雰囲気の編集者、もう一人は肩に大きなカメラを提げたカメラマンだった。


「おおっ……お噂通りの方だ……! あなたが、かの柴田勝家公の妻、市様でいらっしゃいますね! 本物のお着物姿が見られるなんて……!」


 編集者は目を輝かせながら深々と頭を下げ、興奮した様子で続けた。


「突然のご訪問、失礼いたします。私は雑誌『ほっと来ーる!』の編集者、早坂と申します。実は本誌の人気コーナー『和服美人写真館』にて、ぜひ市様を特集させていただきたく、お伺いしたのです!」


 あまりにも勢いのある申し出に、市はわずかに目を見開いたが、すぐに落ち着きを取り戻し、優雅に微笑んだ。


「まあ……そんなに熱心に仰っていただけるなんて、身に余る光栄です。でも……私はただの武家の女。しかも、この時代の人間ではありません。それでも、よろしいのでしょうか?」


 すると、早坂は即座に身を乗り出しながら熱弁した。


「そこが、まさに魅力なのです! 現代に生きながら、戦国という過去から来たという、まさに“時を超えた美”! しかも、市様は歴史上でも絶世の美女と語り継がれているお方。美しさだけでなく、凛とした生き様にも、多くの読者が心を打たれるに違いありません!」


 カメラマンも頷きながら口を挟んだ。


「市様の和服姿は、まさに日本の伝統美そのものです。ぜひ、あなたのお姿を写真に収めさせてください。現代の人々に、和の美しさと誇りを改めて感じていただきたいのです」


 市は静かに目を閉じ、少しのあいだ考え込んだ。かつての時代なら、自らの姿を“世に晒す”ようなことは憚られたかもしれない。しかし、今は違う。この時代で自分が生きていくということは、過去を抱えながらも未来と向き合うこと。それに、この人たちの眼差しに嘘はない。


 やがて彼女は、ゆっくりと頷いた。


「……分かりました。私のような者でよければ、ぜひお手伝いさせていただきます」


 すると、編集者もカメラマンも歓喜の声を上げた。


「本当ですか! ありがとうございます! では早速、撮影の準備を――!」


 数日後、撮影は市の滞在施設の日本庭園と和室を使って行われた。市は淡い薄紅の和服をまとい、優雅に立ち姿を見せる。その所作一つ一つに、戦国の気品と知性がにじんでいた。カメラマンのシャッター音が何度も響くたびに、スタッフたちは息を呑み、時に小さく拍手を送った。


 撮影後、編集者は深く礼をしながら感謝を述べた。


「市様、素晴らしいお時間をありがとうございました。あなたの魅力は、紙面を通して必ず多くの人の心に届くはずです。掲載号が出ましたら、必ずお届けに参ります!」


 市も丁寧に一礼し、ほほ笑みながら言った。


「こちらこそ、貴重な経験をさせていただきました。未来の方々と心を通わせることができて、とても嬉しく思います」


 後日、市の特集が組まれた雑誌は発売と同時に話題を呼んだ。ネットニュースやSNSにも取り上げられ、「本物の姫が現代に生きている」と評され、文化人や歴史ファン、若い読者からも多くの称賛の声が寄せられた。


 人々は、戦乱の世を生き抜いた彼女の美しさと、静かな中に秘めた強さに魅了された。そして市は、自分の存在が誰かの心に希望や誇りを与えるのだと知り、新しい役割を胸に刻んだ。


 こうして市は、過去と現在を繋ぐ象徴として、現代の日本で確かな存在感を放ち始めた。彼女の姿は、一枚の写真を通じて多くの人々の心に刻まれ、静かに、しかし確実に時代を超えて語り継がれていくことになるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る