第8話


 出会いからして、こんなもんだ。

 あの頃はブルームも血気盛んだったとはいえ、シャイアの方もだいぶおかしい。そういえば、あれ以来確認もしていないが、結局彼がどこの国の出身でなぜ故郷から遠く離れた(と思われる)パルティオにいるのか、確かなことは分からないままだ。

 なんとなく歳も近いし、剣術も互角ということでよく打ち合いなんかをして仲良くなり、競い合うように近衛兵団の試験も受けて二人同時に最年少で難関を突破したのだ。

 龍頭守衛団(ドラゴン・ヘツズ)の方はまだどうにかなったが、近衛兵の時には名字がないとどうにもならないとなり、国王陛下から名字を下賜されたので今では正式にシャイア・アーテルと名乗っている。アーテルはパルティオの昔の言葉で「黒い」という意味なのだが、本人は特に気にした風はない。

 ブルームから見れば彼は自由な奴なのだ。

 家も国もなく、ふらふらしながら何者にも縛られずに生きているシャイアは、ひどく不安定だが時々それが羨ましく見えることもある。

 貴族だとか赤毛だとかそんなことを気にして、冠位がどうの役職がどうのとキリキリしているのがバカバカしくなるくらいには。

 シャイアなんか移民で他の誰とも違う褐色の肌で、おまけに無神論者だなどと罰当たりなことまで口にして飄々としている。面の皮が厚いなんてもんじゃないが、実際彼はどこへ行ったってしれっと生きていけるのだろう。

 不貞不貞しくも、彼は強いから。

 移民の彼にはあり得ない話かもしれないが、もしシャイアがある日突然ヒートに襲われても、今の自分のように狼狽えたりはしないのではないか、とブルームは思った。

 さっき兄に向かって突っかかったように、気に入らなければ気に入らないと。意外といい話だと思えば案外すんなりと、いかようにも自分の意思で振る舞えそうな気がする。

 だがブルームはそう簡単には決められなかった。

 兄のように運命を僥倖と受け入れることも、シャイアのように反発して結婚くらい好きにさせろと喚くこともできず、ただなぜ自分なのかと。祝福の子とは何なのだと、考えても何も出てこないことをただ考えて、今の気持ちを一言で表現すればきっとそれは

(納得が、いかない)

になるのだろうとブルームは思った。

 近衛兵団の練習場から王都のスカリー邸まではさほど距離もなかったので、そんなことをつらつらと考えているうちに自宅に着いてしまった。

 土砂降りの雨に辟易しながら重い戸を開けた兄弟を迎える歓待は凄まじかった。

 兄弟にとってはただの帰宅のはずが、数は多くなくとも長くスカリー家に仕える使用人たちが先の報を聞いて浮き足立っていた。

「お坊ちゃま、おめでとうございます! あたしもう、嬉しくて嬉しくて」「昔から綺麗なお子でいらしたけど、まさか祝福の子だったなんて」「お身体は大丈夫なんですか」「今夜はごちそうですよ」「坊ちゃま、坊ちゃま」「もうお気軽に坊ちゃまなんて呼んじゃ失礼なのかしら、今後は妃殿下と」「ああこれをナニーが聞いたらどんなにか喜んだことでしょう、特大のバナナケーキを焼いたでしょうに」「ああ、めでたい、めでたい!」「スカリー家に龍神様のご加護が」「坊ちゃま最高!」

 龍頭守衛団(ドラゴン・ヘツズ)に受かったときも、十八で近衛兵に合格したときですら、これほどまでには騒がれなかった。面食らいながらも、ブルームは気のいい使用人たちに笑顔を向ける。

(喜ぶべきことなんだ、これは)

 所詮田舎貴族にすぎないスカリー家にとっては、祝福の子を出すのはこれ以上ない名誉だ。今後の父の立場にも、兄の出世にもよい影響があるかもしれないし、何より今はまだ幼い妹にも将来よい縁談が舞い込むだろう。

「待て待て。ブルームは初めてのヒートで疲れているんだから。しばらくは家で養生するから、話は後でいくらでもできる」

 ローバックの柔らかい苦笑いにようやく使用人たちが我に返り、まあそういうことなら、とそれぞれの持ち場に帰っていった。

「まったくしょうがないな。皆お前のことをまだ、お小さいブルーム坊ちゃまと思っているんだから」

「兄さんみたいに賢くないからかね」

 と言ったブルームに兄は困ったように首を傾げた。

「僕より好かれているんだろ」

「お兄様お帰りなさい!」

 貴族にしては質素なドレスの裾を掴んで階段から降りてくる妹に、二人の兄は同時に苦笑を漏らした。

「危ないぞ、ニコラ」

「だって、だってだって、だって!」

 輝くような翠の目をした妹はブルームに飛びついた。

「ちょ、待って。まだ雨で濡れて……」

「ブルーム兄様、龍神様の祝福おめでとう! 誰よりも誰よりも美しくて自慢のお兄様よ。これでわたくしの鼻も、もう少し高くなるといいんだけど」

 などと言うニコラの髪を撫でて、彼女とまったく同じ色の髪と眼をした長兄が笑った。

「ニコラの鼻はそれでいいんだ。ちまっとして愛嬌があって、かわいらしい」

「ローバック兄様はビーセンでいらっしゃるのね!」

「こら、ニコラ。どこでそんな言葉を覚えてくるんだ、油断も隙もないなあ」

 ローバックが家の外でも、そして自分と二人きりのときにも絶対にしないような顔で笑っているのを、ブルームは微笑ましく見つめた。政治だ経済だとブルームにはさっぱり分からない世界で相当な活躍をしているらしいこの兄が、妹と母親にだけは無条件で優しいのはスカリー家の誰もが知っている。

「お帰りなさい、ブルーム」

 貴人然とした声を掛けて、心配性の母はブルームの翠の眼を覗き込んだ。

「その……ヒートというのは、大丈夫だったの」

「うんまあ。ちょっとヤバかったけど、どうにかなったよ。薬もちゃんと効いたし」

 実際、帰宅した今はもう身体のどこにも異変はなくて、午前中に感じたあの暴力的なほどの性衝動は夢か幻かと思うほどだった。

 母に促されて子どもたちがめいめいソファに腰掛けると、タイミング良く温かいお茶が供された。

 ようやく人心地ついたブルームの腕に当然のようにニコラが擦りついている。

「ニコラはお兄ちゃんが取られてしまって、寂しくなるわね」

 と母が笑い、ニコラはブルームにもたれかかったまま答えた。

「普通の結婚だったら、そうでしょうけど。お兄様がご結婚なさるのはあの太陽の王子ですもの。殿下だったらわたくし、許してあげてよ」

「こらこら」

 王族をも恐れぬ物言いに、すかさずローバックがたしなめた。

「だって、殿下って金髪で蒼く輝く瞳をされた、とんでもないハンサムでいらっしゃるんでしょう? 絵にも描けない美しさの生き神様だってきいていてよ。そんな方がうちのお兄様と並んで立っていらしたら、ねえ、絶対素敵だと思いません?」

 うっとりと遠い目をする妹にブルームが白けた目を向けた。

「あのねえ。俺もちゃんと見たことないけど、殿下がそんなにお美しかったら、俺がだいぶ霞んじゃうからね」

「殿下は本当にお美しいよ。あれがαってもんなんだろうな」

 と珍しくローバックが口を挟んだ。

 こう見えて反骨精神が強いローバックは、普段他人の美醜になど興味を持たない。顔や家柄がどうであろうと実力のある者が国政に係わるべきだというのが信条の彼が、まっすぐな言葉で殿下の容姿を褒めた。

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