第16話 9月1日 夕方②

「牡丹! 早かったな」

「ええ、手を止めなくていいわ」

「はい……」

 すぐに来てくれたので草刈りをほぼしないで済んだ。そう思って立ち上がった俺だったが、牡丹に草刈りを続行するように言われて、またしゃがみ込んだ。

「むう、先に言われてしまったか……」

「父が私をここに派遣した理由がわかったわ――稽古をつけてもらえってことね」

 草刈りの合間に、牡丹とナリがそんな会話をしているのがきこえた。険悪な空気では無いが、どこか空気がピリついている気がする。

「ほうほうなるほど、それではどうする? 今すぐにでも稽古はつけられるが」

「いいえ、それよりも大事なことがあるわ」

「ん? あれ、ナリ! 牡丹! ちょっと見てくれ」

 二人の会話を聞きながら草刈りをしていると、鳥居のところにあった小さな石碑に、文字が刻まれていることに気づいた。俺の声に反応して二人がそばまで寄ってくると、その石碑を見て息を止めた。

 石碑の表面には風化して読みづらくはなっているが、嶋田という名前が彫られているように見えた。

「なあ、これって慰霊碑とか言ってたよな? そこに嶋田の名前があるって、何か関係があるんじゃ無いか?」

 昨日は夜遅かったから文字を見ることができなかったのかもしれない。あのとき気づいていれば、少しは調べ物も方策が立てやすかったかもしれない。

「落ち着きなさい。その碑は慰霊碑というよりも、墓標に近いものよ」

 黙り込んでいるナリに代わって、牡丹がそう話す。

「墓標?」

「ええ、ここで亡くなった女性のね。名前は嶋田佐恵」

「――!?」

 俺は思わず立ち上がっていた。思考が一本の線を描く。まさか、松鶴寺の倉庫で見つけたあの婚約記念品と日記に書かれていたことは――

「そう嶋田。彼女は表向きいがみ合う桐谷家との融和のために桐谷家の傍流、志藤家の長男である宗太郎と結婚した。もし、そこで桐谷の血筋と嶋田の血筋が交わった子供が生まれれば、そのつながりから嶋田家へ円滑に権力が移っていくはずだった」

 その話を聞いて、俺は正体のわからない不快感が背筋を這い回っているのを感じた。他人から自分の知らないルーツを聞かされるというのは、これほど不快なことなのか。

「当時の桐谷家は、明治維新前から強大な権力を持っていた。だから、この地は神仏分離令によって更に桐谷の力が強くなっていたの。それに不満を持つ人々が、嶋田家の松鶴寺を担ぎ上げ、一触即発の状態だった。それを収めるための結婚ね。当時は珍しくも無い『政略結婚』という奴よ」

 そこまで聞いて、ナリが言っていた「元は長女と結婚しておったのが、長女が事故で亡くなって、代わりに次女と結婚することになったようじゃ」という言葉が思い出される。つまり、もしかすると嶋田佐恵という人は、事故では無く……

「だけど、それを気に食わない人がいた。それが現在の桐谷家の先祖よ。彼らは身重の嶋田佐恵をこの石段から突き落として殺した。実行犯は志藤宗一――志藤宗太郎の実父であり、嶋田佐恵の義父よ。それを懺悔する遺書が図書館に残っていたわ」

――貴方のご先祖様はね、人を殺したの。

 親父の死の間際、伝えられたその言葉がふと脳裏によみがえる。つまり、俺の父親が死んだ原因は、人殺しの先祖が原因だということで、桐谷次郎が言っていた「人殺しの家系」とはただの嫌がらせでは無く、そういうことなのか。

「うっ――」

 今まで痛みを自覚していなかった悪意の言葉が、一気に俺に押し寄せてくる。それは吐き気となって臓腑に深く落ち込んでくる。

「ソーマ!?」

 今まで黙っていたナリが、俺の感情を察知して駆け寄ってくる。血の気が引いているのを感じるが、それでもなんとか俺は胃の中のものを吐き出さずに済んだ。

「大丈夫か?」

「ああ……」

 吐き気の山は越えた。今でも胃の奥がムカムカするような感触は残っているが、吐くほどでは無い。

「……済まぬな」

 ナリが唐突にそんなことを言って、俺の背中を撫でた。

「? 何が?」

「この碑のいわれを黙っていたことじゃ。無理に言う必要は無いと思っていたが、昨夜はまさか血縁があるとは思っていなかったのじゃ」

「いや……教えられてたとしても、過去が変わるわけじゃないし、俺だってあのとき言われていても、わからなかった。仕方ないさ」

 ナリから伝わってくる感情は、純粋ないたわりの気持ちだけだった。だとすれば、俺がすべきは責めることでは無く、礼を言うことだろう。

「話を続けていいかしら」

「ああ、さっきの話だと、その権力闘争で殺された佐恵って人が澄玲ちゃんを呪っているのか?」

 冷静に話す牡丹に、俺は向き直って質問する。自分の子孫とはいえ、そんなことをするようになるなんて……

「どうかしらね。私の予想としては、もっと大きなものが原因のように感じるけれど」

「まあ待て、まあ待て」

 俺と牡丹が話していると、ナリがそれを仲裁するように割り込んできた。

「ちょうどソーマに頼みたいこともあったし、話していても埒があかんじゃろ。佐恵を起こすから少しばかり待っておれ」

「ナリ?」

 ナリが唐突にそんなことを言い出して、石碑に手を触れる。

「お前そんなことできたのか」

「ふんっ、甘く見るでないわ。雑草が無くなり手入れされたおかげで権能もまあまあ回復した。そして稲荷神は人の生活に密着した神霊じゃ、五穀豊穣から健康祈願、厄除けに所願成就何でもござれ……ってものじゃ」

 つまり、日々の困りごとやお願いなどを聞く権能があるらしく、霊魂を呼び出すのも権能の一つらしい。

 万能と言えば聞こえは良いが、俺はどちらかというとこの気安さを別の物に感じていた。

「……コンビニとかジャスコみたいだな」

 権能を発動させようと何やらうなり始めたナリを横目に、俺は牡丹に向かってつぶやく。

「実際、信仰されていた頃、神頼みにおいてはそういう役割だったのよ、土着の稲荷神っていうのはね」

 牡丹がそれらしい補足をしつつポケットからコンタクトレンズのケースを取り出して、中身を目につけた。すると彼女の瞳は赤みを帯びて赫灼とした光を持つ、それは夕日を受けてもなお赤いと認識できる深い色だった。

「あ、昨日の夜、目が赤かったのはコンタクトなんだ」

 剣を持つと目の色が変わるとか、そういう特殊な何かがあるのかと期待していた俺は、少しだけがっかりしてしまった。

「ええ、私たちは素の状態で低級の人間霊や動物霊は見られるけど、亡くなってからしばらく経って人の形を忘れた霊や御霊――神霊は波長が違いすぎて見られないから、波長を合わせる眼鏡やコンタクトレンズを使っているの」

「へぇー」

 まあ冷静に考えれば目の色が変わるなんてことは起きるはずがないし、ナリと会ったり昨日からいろんなことが起こりすぎているから、感覚が麻痺していたみたいだな。

「……むむっ、来たぞ!」

 ナリが叫ぶと同時に、ぼんやりとした光が石碑に灯り、ゆっくりと明滅し始めた。

「……」

 その後更に何かが起こるかと思えば、そんなことは無く、ただぼんやりと明滅する石碑を前に三人が立ち尽くしているという、微妙にシュールな状況が続いていた。

 あれ? ここからなんか、女性の姿が現れたりとかは……?

「ほれ、早く話さぬか」

「……え?」

「呼び出しはもう終わっておるぞ、まさか見えないなんてことはあるまい」

 ナリが「何をしているんだ?」という表情で俺を見てくるが……これで呼び出したとでも――

『あの……』

「うわぁっ! 石がしゃべっ――痛っ!?」

 完全に不意を突かれて声を上げたが、牡丹に頭を小突かれてしまった。

「初めまして、貴女が佐恵さん?」

『は、はい、そうですが……』

 ぼんやり光る石碑と牡丹が話している。なんとも奇妙な光景だが……そうか、つい今しがた言っていた「人の形を忘れた霊」っていうのは、こういうことなのか。

 二人が話しているのをそばで聞きながら、俺はうっすらとそう理解できた。

「――じゃあ、貴女は現世に何もしていない。それでいいのね」

『もちろんです。未練はありますが、それで何かをするほどの力は、私には出せません』

「未練?」

 幽霊が言う未練という言葉に、俺は思わず反応してしまった。

「嶋田と桐谷の戦いに巻き込まれて殺されたんだろ? 未練どころか、なんかそういう恨みとか、憎しみみたいな物は無いのか?」

 俺は正直、自分の先祖の話を聞いただけで桐谷家への不快感で吐き気を催すほどだった。だというのに未練程度で済ませて良いのか。

『あなたは……』

「志藤宗真。佐恵さん、あんたの婚約者は、あんたが死んだ後、妹と結婚して、子供をもうけていたんだ」

 当時はよくあることだった。とかは関係ない。死んだ姉の代わりに結婚させられる妹のこととか、それを当然のように受け入れる俺の先祖、志藤宗太郎とか、そういう状況に追い込んだ桐谷家、実行犯だった志藤宗一……すべての存在が、俺にとって不快な物だった。

『そうですか……』

 石碑――いや、佐恵さんはそれだけ言って黙ってしまった。やはり、婚約者が死後にすぐ嫁を取るなんて言うのは、慣習がどうあれ、受け入れづらいことなのだろう。

「すまない。俺が言うのも何だが……許してほしい」

「すまない。俺が言うのも何だが……許してほしい」

『いいえ、あなたが謝るようなことではありません。むしろ、教えてくれてありがとうございます』

「へ?」

 てっきり恨み言を吐きかけられると思っていた俺は、気の抜けた返事をしてしまった。ありがとう? なんで?

「貴女が死んだ後、妹を嫁にするような奴ですよ? 恨まないんですか?」

『ええ、きっとそうすると思っていました。あの人は私のことが大好きでしたから』

 全く理解が及ばないというか、会話が噛み合っていない気がする。俺は話している内容が理解の範疇を超えていたので、それ以上何も言えなくなってしまった。

「昔はね、今の価値観とは違うのよ」

 言葉に詰まっていると、牡丹が俺の肩に手を置いた。

「特に、死んでから時間がたっているのだから、死生観も変わっているものよ。理解ができないからと言って、拒絶することだけはしないでおきなさい」

「……分かったよ」

 牡丹に制されて、ようやく頭が冷えてきた。

 納得はできないが、死んだ姉の代わりに妹を嫁にもらうというのは、昔はよくあることだったらしい。彼女個人の幸せよりも、家や世間体を気にした結婚というのが、一般的だったのだろう。

『そうね、きっとあの人は幸せになったでしょう。これで、未練無く逝ける』

「未練無くって……これが未練だったのか?」

 俺の問いかけに、佐恵さんは少しだけ笑ったような気がした。表情は無く、人としての姿をとどめていないというのに、俺の目には微笑む澄玲ちゃんによく似た女性の姿が見えたような気がする。

『ええ、殺された理由は想像がついていたし、宗太郎さんがどうしているか、それだけが心残りだったの、私のせいで……あら、これは黙っておいてあげた方が良いわね』

 消えゆくようなはかなげな笑い声とともに、佐恵さんがいる証だった白くぼんやりとした光が薄れていき、それと同時に何かの気配が空に昇っていくのを感じる。

「うむ、よくやったぞソーマ」

「え? いや、俺はただ話しただけで、成仏させようとかも思ってなかったし……」

 正直なところ、何が起きているのか未だに釈然としない。成仏? した佐恵さんもそうだが、あの調子で澄玲ちゃんに霊障を及ぼしていたようにはとても思えないし。

「嶋田佐恵本人から話を聞くとともに、彼女の未練を解消してあげた。そういうことでしょう?」

 牡丹が理解できていない俺を補助するように説明を追加してくれた。

「うむ、そういうことじゃな」

 ナリはそう言ってうなずくと、沈んでいく夕日を見る。

「佐恵はこの社を時々世話をしてくれていたのじゃ、その割に怖がりでのう、何度かかごめ歌を歌ってやったら慌てて逃げ出しおって、全く」

「いや、普通に怖いだろ。それ」

 俺もかごめ歌を聞いてここまで来た時に、恐怖を感じなかったかと言えば嘘になる。ましてや佐恵さんは多分ナリの姿を見ていないのだから、かなりの恐怖だったはずだ。

「何を! ちょうどよい、かごめ歌に込められた歌の意味を――っ!?」

「っ!!」

 ナリが食ってかかるように身を乗り出した瞬間、その場にいた三人全員がその存在に気づいた。鳥居の外、石段を下った先に、何かがいる。

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