第10話 9月1日 朝③
「お、宗真じゃん、おはよー」
「ああ、おはよう」
教室に到着すると、クラスメイトが声を掛けてくれる。幸いなことに、エアコンは一番乗りの生徒がつけてくれていたらしく。空気そのものがよく冷えていた。
この冷気を逃がすわけにはいかない。俺は手早く教室のドアを閉めて、自分の席に座った。
「なあ知ってるか? 転校生が来るんだってよ」
「え、そうなんだ。高校で転入なんて珍しいな」
なにか家の事情があるのだろう。俺も探られたくない部分もあるので、あまり気にしないで置こう。
教室を見回すと、既に七割くらいのクラスメイトが到着していた。団子になって登校している桐谷達のグループを考慮すれば、始業式を休むような不届き者は居なさそうだな。
時計を見ると集合時間の五分前。あと半年と少し、この面子と高校二年生を過ごすと思うと――
「オイ宗真ぁ!」
遅刻せずに居られた事に安堵していると、入り口から怒声が響き渡った。
先ほど手を払ったクラスメイトが、肩をいからせてこちらへずんずんと歩いてくる。その後ろには、桐谷をはじめとする例の面々がにやついていた。
「お前何で俺の手を払ったんだよ!?」
「だって、怖がってただろ彼女」
「嫌とは言ってなかっただろ、押せばいけそうだったのによぉ」
『なんじゃ、さっきの悪漢か。こいつくらいの「押し」があれば、ソーマもよりどりみどりだと言うのに……』
嘆かわしい。みたいなリアクションを取るナリに少々苛立ちを覚えつつも、俺の方は一体どうやってこの局面をやり過ごすかに意識を向けていた。
「悪かったよ」
とりあえず謝ってみるが、この程度で引き下がる相手ではないのは重々承知だ。殴られるのは嫌だしな、本当にどうしようか――
「お前ら席に着けー!」
あと数秒で手が出る。そのタイミングで担任の教師が雄輝に荷物持ちをさせて入ってきた。担任で国語教師の尾野先生は、夏らしく髪を短く狩って、サスペンダーでスラックスを吊り下げていた。
「ちっ……ホームルーム終わったら覚えとけよ」
桐谷の取り巻きは舌打ちと共に自分の席に戻っていく、他の生徒達もするすると自分の席に座っていき、十数秒で教室は静かになった。
「今日は始業式だが……その前に転入生の紹介だ。入ってこい」
小野先生がそう言うと、教室の外で待っていた人影が、教室の中に入ってきた。
「――」
俺は思わず息をのんだ。全身に緊張が走り、直ったはずの袈裟斬りにされた傷跡がうずく。
入ってきた転入生は、黒く艶のあるおかっぱ頭と、どこか和服を想起させる制服を着ている女子生徒だった。その表情は怜悧で、昨夜の切りつけられる直前の光景を思い出させる。
ただ、瞳の色は赫灼としておらず、普通の人間と変わらない色だった。
「……――」
女子生徒の方も、俺の姿を確認したようで、驚いていた。まあ、そりゃあ死んだと思っている相手が生きていたら、驚くよな。
彼女は問い詰めるような視線を俺に向けてくるが、どちらかというと非難したいのは俺の方だし、出来ればこの場からすぐに逃げ出してしまいたい。今身体を動かさなかったのは、単純にどう反応すればいいか分からなかったからだ。
気まずい沈黙が俺と彼女の間に流れる。彼女から目をそらしたいが、射殺さんばかりの視線に、目を離した瞬間殺されるような気がしてならなかった。
その緊張は周囲にも伝播しているようで、桐谷とその取り巻き達ですらしんと静まりかえっていた。
「……ほら、早く自己紹介をしないか」
沈黙を訝しんで、小野先生が彼女に自己紹介を促す。彼女はそう言われて初めて周囲に分かる感情を表に出した。
尤も、その感情は好ましいものではなかったが。
「信じられない……」
「ん、何か言ったか?」
「いいえ――八咫牡丹。しばらくお世話になるわ。よろしく」
最初の一言は他の人には聞こえなかったようだが、彼女が名乗った名前は、クラス全員に聞こえたようだ。
「家庭の事情で半年から一年ほど、葉南高校へ編入となったそうだ。高校生に言うのも何だが、みんな仲良くな」
あくまで形式的な事を小野先生は言うと、あくびを噛み殺しながら「それじゃあ体育館行くぞ」と言って手を叩いた。
次々と周囲の人間は立ち上がるが、俺だけは蛇に睨まれた蛙というか、彼女の視線に居竦んでしまい、動くことが出来なかった。
「……」
「おい、八咫も体育館へ向かえ」
俺を椅子に縫い付けていた視線が、小野先生の一言で外れる。俺はホッとしてそそくさと立ち上がった。
「もしかして協力者の当てって――」
『おお、察しが良いのう。そうじゃ、あのおなごじゃ』
ナリと小声で話す。ホームルームが終わったら澄玲ちゃんの件で何かするつもりだった桐谷の取り巻きも、牡丹の雰囲気に呑まれて俺を懲らしめることを忘れているようだった。そういう意味では、ありがたいが……
「……」
視線を感じる。彼女から発せられる怜悧な視線が、目をそらした俺の後頭部にちりちりとぶつかっている気がする。
「無理だろ、絶対俺命狙われてるって」
『かかか、安心せい。人間を殺すような目的を持った組織では無い』
いやいや、その人に昨日殺されたんですけど。と心の中で思うと、それが伝わったのかナリはけらけらと頭の中で笑い声を響かせた。
『昨日のはまあ……事故じゃな。最近の言葉で言う労働災害という奴じゃ』
事故で死んだ被害者に対する視線じゃ無いような気がするんだが……
「おい宗真、お前何やったんだよ」
「いや何って……別に」
異様に敵愾心を向けてきている牡丹を見て、雄輝が声を掛けてくれる。むしろ俺は何かされた方なのだが、と言いそうになったが、それは堪えた。
「嘘つけよ、あんな熱視線送ってくるとか、夏休みの間に何かあったんだろ。何かこう……甘い奴が!」
「だから無いって……ていうか放課後空いてる? 澄玲ちゃんと久々に駄菓子屋行こうって話してたんだけど」
「お、良いぜ。夏休みの宿題はまた夜中やれば良いしな」
これ以上深入りされたくなくて、話題を変えると雄輝は二つ返事で誘いを受けてくれる。というか、まだ終わってなかったのかよお前……俺は雄輝に悟られないよう小さくため息を吐いた。
しかし……澄玲ちゃんが霊から何らかの恨みを買っている。というのがよく分からないな。
霊には色々と――地縛霊とか浮遊霊とか、動物霊、怨霊、神霊など様々な性質のものがあるが、そんな存在から恨まれるというのは、あまり良いことではないのは間違いない。澄玲ちゃんは寺の娘で、そういった物からは縁が遠いと思っていたのだが……
雄輝について行く形で教室を出る。今朝、澄玲ちゃんの様子におかしいところはなかった。だから、少なくとも霊障とかそういう物はしばらく無縁なはずだ。
「……何でだろうな」
俺の独り言は澄玲ちゃんの件に対してであり、牡丹がなぜここに居るかに対してであり、昨日まで無縁だった問題に巻き込まれている今の状況への問いかけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます