第9話 9月1日 朝②
外を歩く間、ナリが外に出てくることもなく、周囲から奇異の目で見られることもなかった。
まあ昨日みたいに血まみれで歩いているわけではないので当然か。今日も相変わらず太陽からは殺人的な日差しが発せられていて、地面からは早くも照り返しの熱気が押し寄せている。冬服のズボンは少し分厚いだけの違いしかなかったが、その僅かな違いがズボンの中でこもる熱気の量を大きく変えていた。
「暑っ……つぅ」
『なるほど、人と同化するのは久しぶりじゃが、今の世は日中これほど暑いのじゃな』
身体の中に居るナリが心なしか元気なさそうな声を上げる。俺はため息をつきつつ、松鶴寺までの道が延びている分かれ道まで到着する。
「あ、おはようございます宗真先輩」
そこで待っていたのは、髪に櫛を丁寧に通した澄玲ちゃんだった。
「おはよう澄玲ちゃん。雄輝は生徒会の仕事?」
「はい、昨日は帰ってきてからも宿題をやってましたので、寝不足だって言ってましたけど」
うん。雄輝はいつも通りだな。昨日の現実離れした事件の裏では、何も変わらず日常が進行していたと思うと、どこか俺は安心した。
「じゃあ、行こうか」
俺達は高校への道を歩き始める。国道に出るまでは日差しが辛いが、そこから先は木陰を進んでいくような物で、死を意識するほどの殺人光線からは逃れられるだろう。
「えっと、そういえば先輩は昨日、別れた後は何をしてました?」
「昨日っ!?」
ようやく木陰に入って安心したところで、そんな話題を出されて俺は思わず身体を跳ねさせる。澄玲ちゃんとしてはそんなつもりはないはずなのだが、それを聞かれてどう答えたものかと答えに窮してしまう。
「先輩?」
過剰に反応したせいで、澄玲ちゃんは怪訝な表情をする。別に隠すことでもないのだが、正直に話したところで信じてもらえるとは思えないので、本当のことを言うべきではないと思う。
「えーっと、昨日はまっすぐ家に帰って、そのまんま寝ちゃったかな」
適当にいつも通りの行動を言ってごまかす。まさか「声に釣られて廃神社を見つけて、そこの掃除をしたあとに日本刀で斬り殺されたと思ったら神様に蘇生して貰いました」なんて言えるわけがない。言ったら学校中から頭のおかしい奴呼ばわりされてしまう。
「そうなんですか……」
残念なような、安心したような様子で、澄玲ちゃんはうつむく。何か気になることでもあったのだろうか。
『ふむ、このおなごはお主を好いておるようじゃな』
「ふぐっ……!」
いきなり耳の内側でナリがとんでもないことを言い出したので、俺は思わず変な声を出してしまった。
『何を驚く? さきほどのやりとりですぐ分かるじゃろう』
一体何が分かるのか分からない。こいつは読心術か何かの権能を持っているのか?
『かかか、心なんぞ読まずとも、恋い焦がれる乙女の姿なぞ古今東西同じじゃ。それより押せばすぐにでも番えるぞ? タイミングは儂が指示してやろうか?』
何を言い出すんだこいつは、とにかく、不思議そうな顔をしている澄玲ちゃんをなんとかごまかしつつ、俺たちは高校への坂道を登っていく。
なるべく日陰を選んで歩けば、時折吹いてくる風にも少しは涼しさを感じることも出来る。午後になるとそうも言っていられない気温になるが、まあこの時間帯は利用させて頂こう。
秋生町の地形は、国道と川を谷底とした緩やかな盆地となっていて、よく熱がこもる。なのでこの暑さは中々引かず、雨も少ないのでひどい時には県の最高気温を記録するほどだ。
「……それで、お兄ちゃんは宿題をやっていないことがお父さんにバレてしまって」
「あー、あいつらしいな――」
澄玲ちゃんから雄輝の現況を聞いていた時、視線の先に顔を合わせたくない存在が歩いていた。
ツーブロックに刈り上げた金髪は、染髪禁止の我が高校ではよく目立つ。本人は「地毛です」と言い張って許可証まで取得していたが、遠目から見ても生え際の黒髪が見えるので、つまりはそういうことなのだろう。
そいつは周囲の取り巻きを侍らせるように横一列で歩き、高らかに笑っていた。
「あ、桐谷先輩……」
「会いたくない奴を見つけちまったな」
桐谷次郎。
名前から察することが出来るだろうが、俺の身請けをした桐谷家本家筋の二男坊で、俺の同級生であり、親戚だ。
「ん? 召使い君じゃん。お守りの嶋田はいないのか?」
「おはよう、あいつは生徒会の仕事で早く登校してるよ」
俺が安全に暮らせているのが雄輝のおかげだとすれば、俺が雄輝抜きでは平穏に暮らせなくなった原因が桐谷のせいだった。
親が話しているのを聞いたのだろう。転校初日から「人殺しの家系」や「親子代々小間使い」など、散々なことを吹聴して回った人間である。
親子代々小間使いはともかく、人殺しの家系は全く身に覚えがない。じいさんも似たようなことを言っていた気がするが、それはこいつの売り言葉に買い言葉って奴なのだろう。俺はそう考えていた。
「へえ、じゃあ俺が久しぶりに『使って』やろうか?」
こいつの言う「使う」とはいわゆるパシリの事で、俺が桐谷家から遠い人間であるからこそ出てくる発想だった。
「ねえ桐谷、こんな奴ほっとこうよ」
取り巻きの女が桐谷に寄りかかる。彼女の言葉は俺を気遣ってのことではなく「私を見て」の意味だ。少なくともこいつの周りには、俺の味方はいない。
「まあ待てよ、こないだ叔父さんに聞いたんだ。こいつ、親の遺産でそれなりの生活は出来てるらしいぜ。俺たちもそのおこぼれに預かろうって訳だ」
桐谷がそう言うと、取り巻き達は納得したように意地の悪い笑みを浮かべる。
「さっすが次郎! いいこと思いつくじゃん!」
取り巻きの一人が、桐谷に賛同するように声を上げると、桐谷本人を含めた周囲の人間の表情が凍り付き、次の瞬間には彼の顔面に拳がめり込んでいた。
「ぐへっ!? え、な、なんで……?」
「ったくよー名前で呼ぶのは禁句だって言ったよな、俺」
桐谷は名前で呼ばれるとノータイムで怒りが沸点にまで到達する。その理由は――
「ん? うわっ、嶋田澄玲じゃん! ラッキー、始業式終わったらカラオケ行かない?」
桐谷が謝ろうとする取り巻きをボコボコにしようとした時、別の取り巻きのうち一人が澄玲ちゃんの存在に気づいて、手を伸ばしてきた。
「っ!!」
その瞬間、反射的に彼の手をはたき落としてしまっていた。
「は――?」
まずい。そう思った瞬間、俺はそのまま澄玲ちゃんの手を掴んで走り出していた。
「ちょっ、先輩!?」
「じゃあ教室でな! おまえら!」
「てめぇ!」
困惑と怒声が入り交じる中、俺はなんとか澄玲ちゃんの手を引いて逃がすことに成功する。少し走るだけでも汗がどっと出てくるが、俺のせいで雄輝の妹に傷がつくくらいなら、あとでしっぺ返しを食らうとしても、こうした方が良い。
『かかか、ようやるのう。このおなごが惚れ込むのも当然じゃ』
頭の中でナリがそんなことを言うので、俺は心の中で「うるせえよ」と返しておいた。
「せ、先輩、もう良いですから」
少し離れたところで、桐谷達が追いかけてきていないことを確認したところで、俺たちは足を止めた。
「あ、ごめん」
いつもなら雄輝が上手い具合に丸め込んでくれるのだが、あいつもあいつで今日みたいに事情があるし、四六時中俺の周りにいてくれるわけでもない。
せめて澄玲ちゃんがいない時なら、黙って嵐が過ぎるのを待てば良かったんだが、常にそういう好都合な状況ばかりではないということだ。
「いえ、ありがとうございます……」
手を引いて走ったおかげで、校門の前まで到着していた。一年と二年は棟が違うため、澄玲ちゃんとは、ここで別れることになる。
「……」
今更ながら、彼女の手を引いて走るなんて言う青春真っ盛りなことをしてしまって、恥ずかしい気持ちがこみ上げてくる。
ちらりと澄玲ちゃんの方を見ると、彼女もその事実に動揺しているようだった。顔が赤いのは、別に気温が暑いせいだけではないらしい。
「あの、先輩よかったら始業式の後――」
『ソーマ、押せばいけるぞ!』
「っ!? げほっ!! げほっ!!!」
二人が感じていた気まずい空気の中で、澄玲ちゃんがそれでも何かを話そうとした瞬間に、頭の中でナリがものすごいガッツのある語気でそんなことを言ったので、俺は思わず咳き込んでしまう。
「せ、先輩?」
「ごめっ、な、何でもないから――」
心配そうにのぞき込んでくる澄玲ちゃんを安心させつつ、咳払いと深呼吸をして調子を戻す。ナリの奴、俺の頭の中でなんてことを言い出すんだ。
「それで、始業式の後が何だって?」
「あ、いえ……そうだ! 昨日話していた駄菓子屋に行きませんか?」
少し言いよどんだ後、澄玲ちゃんはそんな提案をしてくれる。後で桐谷達のグループから何かされるだろうから、それの埋め合わせと言ったところだろうか。それは遠慮なく乗らせて貰おう。
「ああ、いいな。じゃあ終わったらここで待ち合わせをしよう」
澄玲ちゃんとそう約束をして、各々の教室へと進む。
「……ったく、いきなり変なことを言うなよ」
周囲の喧噪に紛れるように、小声でナリに抗議する。どうやら考えるだけでうっすらと感情を伝えることは出来るようなのだが、さっきの一件は流石にひとこと言っておきたかった。
『かかか、まるで女を知らぬ童のような反応、堪能させて貰ったぞ』
「うるせえ、悪いかよ」
『は? お主は生涯不犯の誓いでも立てておるのか?』
そういうことじゃない。と俺は言いたかったが、それを冷静に声のトーンを落として言える自信がなかったので、恨めしい感情だけナリに送っておいた。
『ふほほ、なるほど、甲斐性なしか初心かどちらかというわけじゃな? 器量は悪くないのに勿体ないのう』
好き勝手言われているが、もう必要以上に突っかかるのはやめよう。
『それはいいとして、あのおなご。何か霊的な物に関係しておるのか?』
「……ああ、近所にある寺の娘さんだよ」
先ほどまでの雰囲気とは変わって、真面目な口調で問いかけてきたので、俺も調子を合わせる。澄玲ちゃんは松鶴寺の娘だと言うことは疑いようもない。だが、それがそんなに気になることなのだろうか。
(寺……ふぅむ、仏じゃったか、むしろ感じたのは氏神に近い気配じゃが)
「神仏習合って言葉があるくらいだし、そういうこともあるんじゃないか」
氏神とは、その土地で信仰されているご当地の神様みたいな物だ。
確か江戸時代辺りまでは神道も仏教も大きく違わない形で信仰されていたはずだ。澄玲ちゃんの寺はそれなりに古かったから、氏神――神道の影響を感じても、何の不思議もないはずだ。
「……?」
あれ、なんか違和感があるな。何でだ?
『たしかに、言われてみればそうじゃの、豊聡耳神子が仏教普及に氏神を利用したのが未だに影響を残しておるとは』
豊聡耳神子(トヨサトミミノミコ)――聖徳太子か、ナリはそんなことを俺の頭の中でつぶやいて、少し納得したような素振りをした。
「で、なんでそんなこと気になってるんだよ」
『うむ、それなのじゃが、霊障を受けている気配があってな』
「えっ、どういうことだよ」
廊下を歩いている途中、少し声が大きくなってしまって、周囲から視線を向けられてしまう。
「あ、スイマセン……」
俺は会釈をして、恥ずかしさをごまかす。スマホを耳に当てようかとも思ったが、流石にみんな持ってきているとはいえ建前上は「携帯電話禁止」の校則があるので、大っぴらに使うわけにも行かなかった。
『今は霊障など何もないかのように振る舞っておるが、確実に身体は蝕まれておる。少々調べてみても良いかもしれぬな、協力者も当てがあるし、のう』
ナリはそんなことを言いつつ、俺の中で思わせぶりな笑い声を漏らす。協力者って……俺の知る限り、そういうことに詳しかったり見えたりする奴は思い浮かばないぞ。
……いや、読書感想文をオカルト本で済ませようとした奴なら知ってるが、流石にあいつは関係ないだろう。
『……ところで、駄菓子屋に行くという話じゃが』
ひとしきりからかったことで飽きたようで、ナリは次の話題を持って来る。
「ああ、通学路の近くに駄菓子屋があるんだよ、ばあさんがやってるところでな、小さい頃は通ってた」
『ほうほう、それは楽しみじゃのう』
ナリは先ほどとはうって変わって、見た目通りの子供のような調子で喜んでいて、俺の方まで「うれしい」と言う感情が漏れてきていた。なるほど、ナリが俺の感情を読み取る時は、こんな感じなんだ。
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