第6話 8月31日 深夜①

 目を開けると、ぼんやりとした輪郭の月が見えた。

 何度も、何度も瞬きをして、ようやく輪郭がはっきりとし始めると、月の周りにきらめく星々や、夜空を覆う木の枝葉や、暗い影を落とす古びた鳥居などが見えてくる。

「っ……!?」

 身体を動かそうとして、すさまじい違和感が全身を駆け巡った。

「がっ……がはっ、げほっ!!」

 呼吸がしづらい、身体が二つに裂けたような痛みがある。そもそも身体が動かない。

 自分の体に何が起きたのだろう。まるで自分の身体を動かす方法が、何から何まで全て変わってしまったような違和感がある。それに、身体の痛みが尋常ではない。まるで実際に真っ二つに裂けているような――

『おお、起きたかソーマよ。まだ傷が塞がりきっておらぬ故、動くでないぞ』

 どこかでナリの声が聞こえる。その声を聞いた瞬間、俺は自分の身に起きた惨劇を思い出す。

 日本刀で切られる感触なんて、生きてきて経験するとは思っていなかった。痛いと言うよりも、熱いに近いような、人体にあり得ない現象が起きた衝撃が今更ながらじわりと実感となって押し寄せてきた。

「いやあ良かった良かった。正直危なかったのじゃぞ。霊魂が文字通り真っ二つに裂けておったからな」

 ナリはおどけてそんなことを言うが、俺はなんとなく彼女が強がっているように感じた。

「なあ、ナリ……」

「なんじゃ?」

「無事で良かった」

「――」

 だから、ぼんやりとした意識でそう言った。斬られた感触と、身体に残る激痛から、自分が長くないことは分かっている。

「ふん、儂があのような小娘に遅れを取るはずが無いであろ」

 どこかうわずった声のナリをおかしく思いつつも、俺は身体から力が抜けていくのを感じる。

「俺、死ぬのかな」

「はぁ? なにをいっているんじゃ? お前は」

 その声と共に、ナリが俺の顔をのぞき込んでくる。深紅の瞳は、どこか潤んでいて、目の周囲や鼻先は微かに紅潮していた。ああ、そうか、彼女の強がりは最後まで――

「死なんわ。なんのために儂がこんなことしていると思っているんじゃ」

「え?」

「自分の身体を見てみるのじゃ」

 そう言われて恐る恐る首を起こす。袈裟斬りにされた身体が、傷口から内臓を晒している。その光景を想像していた俺だが、実際の姿は想像とは大きく違っていた。

 血まみれのシャツが肩口から逆側の脇腹まで切り裂かれているが、その下にある胸板は、よく見知った肌色を晒していた。まるで、そもそも傷など最初から無かったかのように。

「ええ――っ!? ぐっ、げほっ!!」

「これこれ、あまり動くでない。まだ『中身』が繋がりきっておらぬ」

 驚いて起き上がろうとしたところで、また身体に激痛が走る。確かにナリの言うとおり、身体の内側には深い傷口が存在しているように思えた。

「……どうなってんだよ」

 今日はあまりにも色々なことが起こりすぎた。ナリと出会ったこともそうだし、見ず知らずの女に日本刀で袈裟斬りにされて死にかけたし、今はどうやらナリに命を救われたらしい。全く以て何が起きているか理解の範疇を超えていた。

「ふむ、色々と説明は出来るが、今全て教えても理解出来まい。とりあえずは儂の権能で致命傷の治癒をしていると言うことだけ分かれば良い」

「え、ちょっと、そこを詳しく……」

 分かれば良い、と言われても、到底納得出来るモノでは無かった。死ぬことは無いらしいのは一安心だが、自分の身体に何が起きているのか、それくらいは説明が欲しかった。

「簡単に言うと、人間の魂というものは、肉体と密接な関係があってな、先ほどソーマが受けた刀傷は、肉体と魂両方を傷つける物だったわけじゃ」

 魂に受けた傷が肉体に作用する。聖痕や幻肢痛など、魂に刻まれた傷が、そのまま肉体に影響を及ぼすことはいくつか実例がある。

 その傷をいやすためにはセラピーなどの心の治療が必要である。つまり、通常の傷よりもずっと直りにくく、後を引く怪我だと言うことだ。

「まあ、そうなると容易に傷を癒やすことも出来ぬ、特にこの傷は深く、通常は致命傷じゃったからな。ただ、お主が境内を掃除してくれたおかげで、少しだけ力が戻っていた。それが幸運だったな。儂の権能で、魂の自己修復ができるようになっていたのじゃ」

 神霊という物は、彼ら自体の格以外に、頼りにする人や世話をする人の多寡で権能が強くなったり弱くなったりするらしい。

「つまり、儂がお主の魂と同化することによって、儂が魂の自己修復を行い、修復された魂に引っ張られる形で、身体の傷が癒えているという事じゃ」

「なるほど――って同化!? そんなことして――っ!! ~~~っ!!」

 なんか突拍子もない事を言われた気がして、身体が反射的に動いてしまった。塞がりきっていない身体の内部が悲鳴を上げる。

「何をしているんじゃ、お主は」

「い、いや……だって、そんなことして大丈夫なのかよ?」

「むう、恐らくマズいじゃろうなあ、ソーマを切り伏せたあのおなご、ああいう輩から命を狙われるかもしれぬ」

「えっ!?」

 あまりにも絶望的な事実を告げられ、俺は声を上げる。死ぬのを避けられたと思ったら、これから先、永遠に命を狙われる生活が始まるのか、という絶望感が押し寄せる。

「くかか、冗談じゃ安心せい。お主の魂が傷を自力で修復する程度の時間が経てば、儂が離れても大丈夫になる。それまでの一時的なものじゃ」

 そこまで言われて、俺は深く息を吐く。これから一生命を狙われ続ける生活は、流石に勘弁して貰いたい。

「さ、話すのはもう良いじゃろ。そろそろ立ち上がれるくらいにはなったはずじゃ。家に帰ろうぞ」

 言われて腹筋に力を入れようとしたが、かなり痛みは治まっているものの、まだまだ動くには辛い物があった。だが、全く動けないというわけではない。寝返りを打って刀傷から避けられた方の肩に力を入れると、なんとか身体を起こすことが出来た。

 ただ、身体の内側からすさまじい吐き気と違和感が襲ってくる。なんというか、身体がバラバラに崩れてしまいそうだ。

「くっ……」

 その原因を「袈裟斬りにされたせいで胴体が不安定になってぐらついているのでは」と気づいてしまい。更に吐き気が強くなる。胃の中の物を吐き出せば楽になるかもしれないが、そこはなんとかこらえて飲み込んだ。

「ふむ、まだ血が足りておらぬようじゃのう」

 俺の顔をのぞき込んでナリはそう言うと、傷口のあった部分に手を触れた。

「まあしばらくは内側から直させて貰うかの」

「は――?」

 彼女の台詞に疑問符を浮かべた瞬間。ナリの手がずぶりと俺の身体に沈み込んだ。

「は? え、ちょっ!?」

「ええい驚くな、これから先、何度もあるんじゃから慣れろ!」

 慣れろと言われても、自分の身体に他人が物理的に入る状況なんて驚くに決まっている。

 混乱しているうちに、ナリの身体は腕、肩、頭と徐々に俺の中に入ってくる。その感触は圧迫感や違和感で一杯かと思われたが、全くそんなことはなかった。

 違和感がないどころか、身体の不安定さやぐらつき、吐き気が収まり、傷跡の痛みまでもが薄れていた。

「へ? 痛みが……」

『お主の欠けた部分を儂が肩代わりしているというわけじゃな。さて、早く帰ろうぞ』

 身体の内側から声がする。なんとも奇妙で耳がぞわぞわする感触だが、もうここまで来るとナリの言うとおり「慣れるしかない」のだろう。

 なんとか普通に歩ける程度には回復したことで、俺は鳥居を潜って石段を下る。体力的には問題ないが……この切り裂かれて血まみれの学生服はどうしようか。

「まだ色々聞きたいことがあるんだけどさ」

『ほう、では道すがら教えてやろう)

 帰り道に人と出会わないことを祈りつつ、小声でナリと話す。

「あの人はどうしたんだ?」

 俺は自分を斬り殺しかけた彼女のことを考える。事情はよく分からないが、あの剣幕で戦っていたのだ、簡単に引き下がるとは思えない。

『気になるか? お主が死にかけている間に追い払ったわ、安心せい』

 かかか、とナリの笑い声が頭に響く、どうやら言っていることは本当らしいが、俺が見る限り、ナリが押されていたように思えたのだが……

『む、ソーマよ、お前の考えていることが少し流れてくるぞ、儂は力を失っても神霊じゃ、あんな小娘のままごとに後れを取るはずないじゃろう』

 ナリは自信満々に話している。どうやら俺が心配することではないらしい。

「じゃあ、あともう一個。鳥居から外に出て大丈夫なのか?」

 凄い自然に出てしまったから気にしそびれたが、通常鳥居という物は、外と内側を隔てるものであって、その内側は神域とされる場所であり、外側の俗世間とは切り離された空間である。

 だとしたら、神域の外に出た神霊はどうなるのだろうか。一見してなんともないように見えるが、実際のところはどうなのか分からない。

『まあ、普通の状態であったら外に出るようなことはせぬな。儂の権能が使えなくなるし、力がかなり落ちてしまう。それこそ存在を維持出来ぬほどにな』

「え、大丈夫なのか?」

『落ち着け、これは通常の話じゃ、今はお主と同化しておるじゃろう。そのおかげで俗世間でも多少は無理が利く。神域ほどの力は発揮出来ないがな』

 なるほど、神霊という存在から、人間に近くなることで、神域ほどの力を得られない代わりに、神域の外でも活動ができる。と言ったところか。

『うむ、そういうことじゃな)

 歩き続けて、ようやく自宅までの分かれ道にさしかかった。スマホの時計を見ると、既に夜十二時すぎ、相当な時間倒れていたらしい。まあそのおかげで全く人通りがないからありがたいな。

『そういえばソーマよ。家内の人間にその姿を見せて大丈夫か?』

「ん、ああ、大丈夫だよ」

 俺はナリの心配を、何でもないかのように答えて歩を進める。

 外灯が整備されている道を歩いていくと、その左側には、長い石垣がそびえていた。

 この石垣は鎌倉時代、当時この地で力を持っていた桐谷氏という神職の家系が建てた屋敷にあったもので、屋敷が取り壊され、桐谷氏が力を失ったあとも石垣だけが残されている。というものだった。

「そういや神様なんだから、ここら辺とは関係があるんじゃないか?」

『む? いや、分からんな、そもそもこんな立派なものを建てられるなら、儂の社ももっと立派だったじゃろうて』

「……たしかに、言われてみればそうだな」

 あの古びた社を思い浮かべる。たしかに、この石垣を作れるくらい立派なら、あんな小さな社で満足するはずがないはずだ。

 となると、本格的にナリの出自は分からないことになるな、家に帰れば少しは資料があるかとは思ったんだが。

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