第2話 8月31日 夕方①

 俺は想定通り夕方には宿題を終わらせた。雄輝の方はなんとか読書感想文は終わった物の、このまま閉館まで数学の課題をやってリードを広げるつもりらしい。

 今日が締め切りなのだからリードもなにも無いと思うのだが、俺はあいつを残して帰ることにする。

 外に出ると殺人的な日差しはなりを潜めていたが、むせ返るような熱気が身体を包んだ。日差しが少し陰ったからと言って、真夏の暑さは人間が耐えられるような気温では無かった。

「ありがとうございます。宗真先輩」

「いいよ、俺も丁度宿題が終わったタイミングだったし、雄輝は八時の閉館まで粘るみたいだしさ」

 頭を下げる澄玲ちゃんに手をひらひら動かしてそう言うと、俺たちは家路を辿ることにする。兄貴が付き添うとは言え、夜道を歩かせるのは悪いということで、俺が彼女を嶋田家の寺まで送り届けることになったのだった。

 我が葉南高校は、広大な敷地と夏休み中でも開放しているエアコン付きの図書室や自習室、売店などがあり、非常に暮らしやすい場所ではあるのだが、校門から一歩外に出ると、左右を木々に囲まれた何もない山道となってしまうのだ。春は桜が咲いて華やかになる物の、それ以外の季節は中々に陰鬱な雰囲気を醸していた。

 この山道を下り終えると、町を東西に貫く川に平行な国道が通っており、そこではコンビニやチェーン店が並んでいる。そして更にそこから進むと、反対側にも山がそびえていて、河原や田畑などが広がり、格安の学生向けアパートや営業しているのか怪しい古びた商店が立ち並ぶことになる。

 元は古びた商店が建ち並ぶ寂れた町が元の姿だったのだが、国道が町を貫くように出来たので、その沿線が開発されていった。この町のいびつな姿は、そのように形作られていったのだ。と、地域学習の時にそう聞いた覚えがある。

 クソ田舎。と言うには些か栄えすぎているが、都会と言うには建物の高さも土地の密集度も足りない。そんな中途半端な町。それが俺たちの住む秋生町である。

「それにしても、澄玲ちゃんが図書室に来るなんてな、宿題は終わってるだろうし、行きたい大学でもあるの?」

 俺と雄輝は二年生だが、妹である澄玲ちゃんはまだ高校一年生だ。その頃から目標を決めて勉強をはじめているとすれば、よほど高い目標なのだろうか。

「いえ、進学はあまり考えてないです。家に迷惑を掛けられませんし」

 そう言われて、嶋田家の事を考える。金に困るってことは無いだろうけど……女は進学せず家庭に入れ、とか古いことを言われているのかもしれない。俺はそう考えて勝手に納得した。

「私が図書室に行ったのは、お兄ちゃんが宗真先輩と一緒に居るからって聞いて、じゃあ会えるかなって思って……」

 澄玲ちゃんは俺と雄輝が遊びに出かけると、決まってついてくるような子だった。その性格が今も続いていると思うと、微笑ましい気持ちになる。

 山道を下りきって、視線の先に車通りの多い国道が見え始める。西日で茜色に輝く車が、左右に猛スピードで行き来していて、熱風を道路脇まで届けてきた。

「あっ」

 遠くに同年代くらいのグループがたむろしているのが見えた。部活帰りだろうか、見知った顔も二,三つあった。

「っ……」

 声を掛けようかと手を挙げかけたが、澄玲ちゃんに服の裾を引っ張られて止められてしまった。

「ん? どうした?」

「で、出来れば、このまま二人っきりが良いなって」

「……そっか」

 まあ、澄玲ちゃんにも顔を合わせたくない奴くらいいるか。あんまり友達と遊んでる姿見ないし。

「まあその、なんだ。嫌なことあったらすぐに言えよ」

「え?」

 それはそれとして、俺は澄玲ちゃんのためになら出来ることはするつもりだ。

「出来ることは少ないかもしれないけど、上級生だし、なにより澄玲ちゃんには何でもしてあげたいし……」

 まあ嶋田家が出てくればなんとかなるだろうってことは想像に難くないが、鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いんというか、大根を政宗で切るというか、過剰戦力で蹂躙するかのような事態になりかねないだろう。そういうときは、俺がなんとか頑張って穏便に済ませると言うことも出来るはずだ。

「……」

「……あれ?」

 隣を歩く澄玲ちゃんは、完全に黙ってしまった。ヤバい。なんか変なことを言ったかな? 怪しまれない程度に彼女の顔をのぞき見ると、どこか苦しげな表情に見えて、俺はそれが気まずくて顔をそらした。

 そんな空気の中ずっと道を歩いていると、国道沿いの建物は徐々に無くなっていき、古い商店が見え始めた。

「あー……あ、そういやまだやってんのかな、駄菓子屋」

 俺は気まずさをなんとか紛らわそうと、思いついた話題を振ってみる。俺たちが小学生の頃、よく通っていた駄菓子屋は、ここから少し歩いたところにあるお店だった。

「えっと、たしかおばあさんがやってるお店でしたよね? やってると思いますよ。もう少ししたら閉まりそうですけど」

 たしか、最後に行ったときは日没前後までやってた記憶があるな。そうだとすればあのカウンターで座っているばあさんを見ることが出来るかもしれない。

「今度久々に行ってみるか」

 今日は家まで送り届けなければならないので無理だが、明日始業式の後にでも寄り道しようかな。

「あ、いいですね。じゃあ――」

 幸いなことに、重苦しい沈黙は払拭されたようで、思い出話が盛り上がりはじめた。

 引っ越してから最初に出来た友人が雄輝とすれば、初めて出来た後輩が澄玲ちゃんだ。

 元々俺は事情が事情で状況も悪かった。その上元々の気質として友人を作るのが苦手だったこともあり、彼らには非常に助けられている。

 助けられていた。というのは別に具体的なエピソードがあるわけではないが、例えば「あのおうちは○○だから関わっちゃいけません」だとか、そういう偏見に対してそれを気にせず接してくれるとか、そういうことだ。

 事実俺はそのおかげで小中とクラスで浮く事も無かったし、中学以降は不特定多数からされるような嫌がらせも受けていない。

「じゃあ、ここまでで良いかな?」

 古い商店が並ぶ場所を抜けて、山道と舗装された道路のY字路にさしかかったところで、俺は澄玲ちゃんに声を掛ける。嶋田家である松鶴寺があるのは、この山道をしばらく歩いた先である。正確にはこの山道に入った時点から松鶴寺の私道なので、ここまで来れば送り届けるという仕事は達成したことになる。

 日没からしばらく経っていれば、非情に暗く、足下もおぼつかない道なので、ついて行くべきだろうが、夕暮れとはいえまだ日没までは少し時間がある。誰かとすれ違う危険性もなく、熊や危険な獣が居ないのならば問題はないだろう。

「あ、そ、そうですね」

 少し残念そうに澄玲ちゃんは頷く。昔話に花が咲いていただけあって、この山道で遊んだ思い出も少し思い出しているのかもしれない。

「じゃあ、また明日。始業式で」

「はい、また明日……」

 俺は舗装された道路を進み、澄玲ちゃんは山道を登っていく。振り返って様子を見ようかとも思ったが、なんとなく気まずくて、俺は何でも無いかのように歩調を崩さないように務めた。


 家まで近づいてきたところで、また分かれ道がある。

 先ほどのしっかりとした山道とは比べものにならないくらい細い道で、ともすれば見逃してしまいそうな分かれ道である。

 ここまで来れば、あと一〇〇メートルも歩けば我が家だ。日もずいぶん陰ってきている。早いところ家まで帰ってしまおう。

「……ん?」

 急いで通り抜けようとした分かれ道だったが、唐突に何か歌声のような物が聞こえてきた。どうやら細い道の先で誰かが歌っているらしい。来ぬたは聞き覚えがある。たしか……

――夜明けの晩に、鶴と亀が滑った

「っ……」

 思わず、生唾を飲み込む。

 かごめ歌だ。いつもなら気にせず帰っていただろうが、昼間に雄輝から変なことを聞かされたせいで、背筋に冷たい物が伝うのを感じる。

 どうしよう。見に行くべきだろうか。そういえば、こちらに引っ越して何年にもなるが、この先はいままで特に興味も無くスルーしていた。

この歌の出所に興味が無いと言えば嘘になる。このまま無視してしまった場合、通学でここを通るたびに、このことを思い出してモヤモヤする羽目になるであろうことも容易に想像できた。

――後ろの正面だあれ

 いや、でも明らかに誰かが歌っているようだし、案外子供が一人で遊んでいるのかもしれない。それに、いざとなれば家まで走って帰れば良いのだ。もしくはスマホで警察を呼んでも良い。

「すぅ……よしっ」

 腹は決まった。俺は奇妙な歌声の発信源を探るため、自宅へ帰る方では無い細い道へ一歩踏み出した。

 道を進んでいくと、すぐにこちらの道が異常なほど寂れていることに気づく。

 今ではほとんど見ない。というか教科書や資料集でしか見ないようなトタン屋根の長屋や、誰が座るか分からないような錆びて朽ちかけたパイプ椅子などが転がっており、この場所だけ時間が止まって朽ちて行っているようなもの悲しさがあった。今まで通ってきた古びた商店街とはレベルが違う。恐らく、国道が通る以前の町並みはこんな感じだったのだろう。俺は少しだけ、この町の歴史そのものを見たような気がする。この辺りは開発するに当たって見捨てられたんだ。そう感じさせる何かがあった。

 古びた家屋には人の気配が無く、窓の割れていた建物の中をのぞくと荒れ果てており、本当に誰も住んでいないのだと言うことが分かる。

――かごめかごめ

 先ほど終わりまで歌って途切れたかごめ歌がまた聞こえてきた。朽ちたあらゆる物が茜色に染まる中、その歌声は不吉と言うよりも、寂しさを感じる。まるで、誰も居なくなった公園で、一人残された子供のような、そんなイメージが頭をよぎる。

 まだ奥から声は聞こえている。俺はそれに引き寄せられるように、前へ進んでいく。

「……ここは」

 前方に延びていた道は突き当たりになり、山肌がすぐそこまで迫っていた。俺はその突き当たりまで足を進めると、かごめ歌がどこから聞こえてくるのか、周囲を見回した。

――籠の中の鳥は、いついつ出やる

 道の先、行き止まりかと思った場所の先から声が聞こえてきたのに驚き、俺はその先に何があるのか、目をこらしていた。

 鬱蒼と生い茂る緑色。夕日と混じって色素が薄れていたが、その先に微かな人工物が見えた。あれは……鳥居か?

 ぞわりと、全身が粟立つのを感じる。更によく見てみれば、石造りの階段が行き止まりかと思われた俺の目の前から一直線に続いているのだ。

「……ど、どうする。俺」

 正直なところ、絶対に何か普通じゃない事が起きている直感があった。この自然に埋もれかけた石段を登った先で、声の主を見てしまえば、きっと取り返しがつかないような気がする。

――夜明けの晩に、鶴と亀が滑った

 だが、もうここまで来てしまっては、尻尾を巻いて逃げ帰る事を好奇心が許さなかった。そして何より、歌にこもった寂寥感が俺の心を掴んで離さない。

「っ……くそっ、もうどうにでもなれ!」

 一人で悪態をついて石段へ踏み出す。そもそも今帰ったとしても、ずっとモヤモヤした気持ちがずっと続くのだ。調べてみるしか無いだろう。

 一歩一歩進んでいくうちに、明らかに歌声が近づいてきているのを感じる。幻聴では無いという確信はあった。そして、近づくほどに声の主の感情が痛いほどに伝わってくる。

 それは誰からも忘れ去られ、放置されてきた存在の、誰かが自分を見つけてくれることを期待する声だった。

 草木をかき分けて進むと、鳥居がはっきりと見え始める。夕日を浴びている部分は鮮やかに色づいていたが、それ以外の部分は塗料が剥げて木の地肌が半ば露出していた。もう、後戻りは出来ないし、する気もない。先ほどまで感じていた分からない物への恐怖は、既に好奇心と声の主に手を伸ばしてやりたいという気持ちに押し出されていた。

――後ろの正面だあれ

 石段を登り切ったところで、視線の先にあるのは古びて自然に飲み込まれつつある鳥居と、古びた小さな社、そして、紅白の巫女装束を着た真っ白な髪色をした小さな人影だった。それは社の方を向いていて、俺からは後ろ姿が見えていた。髪の毛が夕日を浴びて輝き、光の粒を纏っているかのようだった。

 その人影は奇妙な髪型とアクセサリーをつけていた。髪は装束の襟にかかるくらいの長さだったが、頭頂部だけがちょうど二本の角のように逆立っており、それほど風が吹いていないというのにピクピクと動いていた。なんとなく、風に揺れていると言うよりも、生物的な物を感じる。そして、腰のあたりから下げている尻尾のようなアクセサリー。いや、アクセサリーにしては生々しいような……?

 人影――少女はゆっくりとこちらを振り返る。

「――」

 言葉すら出ない。まず印象的だったのはその瞳で、丸く愛らしいその形と、晩秋の紅葉のように濃く深い紅に染まっていた。そして、次に目立つのが、逆立っていると思っていた頭頂部にある二つの髪束で、それは正面から見れば白くもこもこした毛に覆われた獣耳だった。

 明らかに現世の存在では無いのだが、俺はその姿を見ても逃げ出そうという気にはならなかった。それは腰が抜けていたわけでも、金縛りに遭ったわけでも無く、彼女の姿が、愛らしい子供のようだったからで、獣耳も、瞳も、その全てを美しいと思ってしまったからだった。

 とどのつまり、俺はその姿に完全に見蕩れていた。

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