砂よ悪魔の血を啜れ

落葉れざがど

第1話 プロローグ

バラカンダ大陸。

かつて超大陸として一つだったこの地は、悠久の時を経て分裂と融合を繰り返し、今なお果てしない広がりの中に無数の物語を宿している。

この物語はそのうちのひとつ。

赤と金の砂が地平を覆い、昼は焼けつく陽光が、夜は凍える冷気が支配する。

時として砂嵐は交易路を遮り、旅人の命を試す。

その過酷な大地の中心に、交易都市レイエスタールは屹立していた。

そびえ立つ石壁は、幾年もの砂嵐に耐え、表面には部族の古い紋章が刻まれている。

渦巻く砂を槍が裂くように交錯する意匠は、かつてこの地に根を張った遊牧民の魂を今に伝えている。

物語が始まる前、世紀がひとつ離れたレイエスタールはオアシスのほとりに築かれた集落に過ぎなかった。

それが今や砂漠を渡る交易路の要衝として栄え、大陸中から絹や香辛料、宝石などが集まるこの都は、自由と実利の旗の下、多様な民を受け入れていた。



灼熱の陽光が降り注ぐなか、市場は朝の鼓動に脈打っていた。

石畳の広場には、色とりどりの天幕が連なり、香辛料の刺激的な香りと焼き立てのパンの甘い匂いが漂う。

ラクダの鈴が軽やかに鳴り合い、商人たちの叫び声が空気を震わせる。

「極上のサフラン! 一オンスで君の料理が王の宴に変わる!」

「東の絹、触れればわかる極上の滑らかさ!」と、異国訛りの声が響き合う。

子供たちが荷車の間を駆け回り、旅芸人が笛を吹き、どこかで剣を研ぐ金属音が響く。

市場の端には、部族の遺物を売る露店もある。

古びた祭事品や、砂漠の神を象った石像が、埃にまみれて並ぶ。

この雑多な活気こそ、レイエスタールの魂だ。

この都市はどんな出自の者も金さえあれば受け入れてくれる。

だが、その裏では、近隣部族の略奪や傭兵団、ならず者どもの襲撃の脅威が、常に影を落としていた。

レイエスタールの統治者は、酋長ラハム・ゼル。

部族の血筋を継ぐ彼は、戦士の威厳と商人の知恵を兼ね備えた指導者だ。

都市の中心に立つ石造りの居館は、かつての部族長の天幕を思わせる簡素な外観だが、内部は交易で得た富を反映し、絹の垂れ幕や金細工の装飾が施されている。

ラハムは中立を保ち、商人ギルドや住民の支持を得て町を治める。

彼の統治は、都市の自由を守るための繊細な均衡の上に成り立っている。

市場の端には、酋長の紋章を掲げた旗竿が立ち、その下で「砂の衛兵」が目を光らせる。

砂の衛兵は、「サンドガード」と呼ばれるレイエスタールの自警団。

部族の伝統を受け継ぐ槍を手に、市場の秩序と城壁の防衛を担う。

彼らの革鎧には砂塵と槍の紋章が刻まれ、都市の誇りを体現している。

だが、衛兵の数は少なく、大規模な脅威には傭兵を雇わざるを得ない。

サンドガードは、都市の誇りを守る象徴だが、実際の戦いは商人ギルドが雇う傭兵や一攫千金を狙ってレイエスタールを訪れる流れ者に委ねられることが多い。

一方、商人ギルドは、レイエスタールの経済を支える柱だ。

ソキエタス・アレナエ(砂の集合体)と呼ばれるそれはひとつひとつの力は弱くともそれぞれが協力し合うことで急激に都市を発展させてきた。

武器や絹を扱う大商人たちが市場の中心を占め、交易路の安全と利益を確保する。

彼らは高額な会費を払い、評議会の席を得て、都市の未来を左右する。

一方、ギルドに入らない商人はシングラと呼ばれ、市場の外縁で細々と商売を営む。

自由を愛し、規約に縛られぬ取引を求める者。

ギルドに加入する金が無い者。

理由はさまざまだが、シングラはならず者の襲撃や詐欺等のリスクを自ら負う必要があった。

そのシングラのひとりに香辛料商の男、バルクがいた。

白いターバンを巻き、絹のローブをまとった彼は、富と権力に飢えていた。

シングラとして今まで幾つもの窮地を乗り越えてきた。

自ら武器を持って野党と戦ったこともある。

レイエスタールの地に根付いてから5年、次の仕事をまとめればようやくソキエタスへの加入条件が整う。

組織に属し、より上を目指す。そのために危険な橋を渡るのは厭わなかった。

そんな折、バルクにひとつの話が舞い込んできた。

遠方の都市への香辛料の輸送、ならず者の縄張りを通過する危険な仕事だ。

ソキエタス・アレナエお抱えの護衛は高額な取引にしかつかず、サンドガードは市場の外には出ない。バルクは自ら傭兵を探す必要があった。

「2人、いや3人はいるか…、久しぶりにソリアの顔でも見に行ってみるか」

ひとり呟いたバルクの顔には自然と笑みが張り付いていた。



市場の外縁、埃っぽい路地の一角に、煤けた木造の酒場があった。

砂漠の花を模した看板は汚れ、軋む扉から酒と汗、煙草の匂いが漏れる。

シングラや傭兵、流れ者が好んで使うこの酒場は、ソキエタスやサンドガードの目が届きにくい都市の裏側でもあった。

木のテーブルには、剣の傷や酒の染みが刻まれ、壁には古い織物と、折れた槍の穂先が飾られている。

薄暗い室内を、油灯の揺れる光が照らし、ざわめきと笑い声が響き合う。

片隅では、旅芸人が骨笛を吹き、甲高い音が喧騒に混じる。

別のテーブルでは、傭兵がサイコロを転がし、わずかの銀貨を賭けて叫んでいる。

「ならず者が交易路を荒らしてるってよ」

「ソキエタスの下級武器商が、裏で金を流してるらしいぜ」と、酔った声が漏れる。

酒場のカウンターでは、若い女従業員が杯を磨きながら、客の囁きに耳を傾けていた。

彼女の名前はソリア。

明るい笑顔と軽快な口調で客を和ませるが、その目は鋭く、市場の噂やならず者の動向を逃さない。

赤茶色の髪を緩く束ね、砂漠の花の刺繍が入ったエプロンをまとい、彼女は酒場にまさに花のような彩りを添える。

ソリアが目的で酒場に通う連中も少なくなかった。

「ソリアちゃーん!今日もかわいいねぇ、おじさんと飲もうよ!!」

赤ら顔の傭兵が叫ぶ。

「もうちょっと頑張ったら一緒に飲めるかもだから、もっと飲んでて?ソリアお酒弱いから!」

「もちろんだよぉ、じゃあエール追加ね!」「ありがと!」

酔っ払いを軽くあしらう様は慣れたものだ。

だが、彼女の笑顔の裏には、レイエスタールの混沌を知り尽くした冷静な観察が潜んでいた。



カランカラン!

ドアベルがまたひとりの来客を知らす。

白いターバンを巻き、絹のローブを纏った男が辺りを見渡しているのが見えた。

酒場の喧騒を縫い、彼はカウンターに近づき、ソリアに低く問う。

「頼れる傭兵の情報を知りたい。2~3人は欲しい」

ソリアは杯を磨く手を止め、バルクを一瞥した。

明るい笑顔が、ほんの一瞬、鋭い光に変わる。

「バルク、あんた随分と無茶な仕事を受けたもんだね」と彼女は軽やかに笑い、カウンターに身を乗り出す。

「聞いたよ、南の交易路を抜けるんだろ?あっちは最近荒れてるよ。噂じゃ、傭兵団まで動いてるってさ」

バルクの目が細まる。「流石に耳が早いな。で、誰かいるのか? 俺の荷車を守れる奴らだ」ソリアは肩をすくめて言った。

「どうもここは薄暗くて困るね。こう、ピカピカしたようなのがあればちょっとは違うのかね」

「まったく。大したもんだよ」バルクは懐から重みを感じる袋を出した。

ジャキっと音を立てた袋から銀貨を3枚取り出し、ソリアに渡す。

ニンマリとした顔でソリアは言った。

「クロト兄弟っていうのが最近売り出し中だよ。3人兄弟なんだけど、ここ半年くらいかなり仕事をこなしてる。ちょくちょくここにも顔を出すよ。今日はまだ見てないね。」

すると突然カウンターの脇で飲んでいた傭兵が口をはさんできた。

「クロト兄弟か?あの兄弟は実際頼りになるみたいだぜ。俺の仲間が1回だけ一緒に仕事をしたことがあるんだ。んなことよりよ、いい仕事なのかい?兄さん?それ俺が受けてやってもいいぜ」

バルクは軽く笑顔を作り、首を振る。

「また今度頼むよ、とりあえずクロト兄弟とやらを待ってみる」

そしてソリアに視線を戻し言った。「エールを1杯」

ソリアは杯に酒を注ぎながら、続けた。

「噂は風みたいなもんだからね。追いかけても追いかけてもってやつさ。クロト兄弟を待つなら、ゆっくり飲んでな。夜は長いからね」



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