寺を包囲する軍勢などもはや関係ない。オレは墨絵のような世界となったその寺の中に入っていく。


ん、何かいる。


オレはその気配のする場所の戸を開ける。

切腹している武士がいる。

墨絵のような世界でその男は動いている。


「何者ぞ? 日向の手の者か?」


日向?


「オレはカヤト⋯⋯」


「なんとカヤトでしたか。某は織田信長。申し訳ございませんでした。このようなことになってしまい⋯⋯」


織田信長?

こいつが?


「どうした。別にお前を助ける義理はないがどうする?」


織田信長はオレにすがるような眼差しを送ってくる。


人間なんてこんなこんなものか。


「どうする?」


オレはもう一度織田信長に訊く。すると織田信長は首を静かに横に振る。


「最後にカヤトにお会いできただけでも⋯⋯」


さっきからこいつは何を言っているのだ。


「そうか。では、そのまま逝くがいい。言い残すことはないか?」


オレがそう訊くと織田信長は首を横に振り⋯⋯。どうやら事切れたようだ。


まあ、ここも鬼導丸きどうまるの封印場所ではないらしい。


オレはそのままその寺を出た。織田信長が亡くなったとあれば国中が混乱するはず。ここは堺に戻り雪乃の様子を確認にいこう。



 オレはその日の昼前には堺の今井宗久邸の離れに到着した。雪乃は今井家の下女たちとのおしゃべりに夢中だ。


「あ、カヤト。お帰り」


「ああ」


オレの気のない返事に雪乃が苦笑いをする。


「ああじゃないわよ。全然帰ってこないで⋯⋯。女房が浮気するとか心配しないの?」


雪乃の浮気より織田信長の死の方がオレにとっては重要だ。オレは黙って首を横に振り今井宗久邸へと向かった。どうやら先客がいたようだ。徳川家の家臣、服部半蔵。


「カヤト殿、ちょうどよかった。今呼びにいこうとしてたんだ」


今井宗久がオレに言う。


「服部様、なぜ堺に?」


服部半蔵はしばらく考えてから口を開いた。


「我が主君がこの堺にいるからだ。急ぎ浜松に戻りたい。伊賀越えの案内をしろ」


「この異常事態に伊賀越え? 服部様、お気は確かか?」


オレの言葉に服部半蔵は目を見開く。


「お主まさか⋯⋯」


「最後を看取ってきた」


オレがそう言うと服部半蔵はオレの胸ぐらを掴んできた。


「お主、なぜ助けてこなかった。伊賀攻めの復讐のつもりか。あれは違うぞ」


「仕方ねえだろ。切腹した後じゃ」


オレがそう言うと服部半蔵はオレの胸ぐらから手を離す。


「まあいい。とにかく浜松への護衛は頼む。伊賀衆であるお主には拒むことはできないはずだ。そうだろ」


「伊賀を抜けるところまでならいい。その先は北畠の領地だろ。オレよりも徳川家の方が融通がきくんじゃねえか。違うかい」


服部半蔵の依頼にオレはあくまでも噛み付く。三河に逃げ込んだ伊賀衆を人質にとるなど考えられない。


「承知した。では、伊勢路に入る前まででよい。案内せい。時間がない。すぐに出発だ」


服部半蔵はそう言って立ち上がった。


「服部様、カヤトって何かご存知ですか?」


オレがそう訊くと服部半蔵は首を横に振りこう言った。


「なんの冗談だ」


「信長がそう言ったんですよ」


「わからんが、家康様ならご存知かもしれん」


服部半蔵はオレを連れて今井宗久邸を後にした。

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