アラクネパニッシュ
スクレ
第1話
「僕の命は、もうすぐ、っ消えるけど、僕のこ、とを、忘れて、自由に、っ生きるんだ……」
忘れられるはずなどない。私を受け入れてくれた人は、この世にあなただけなのだから。忘れることなどできない。だからあなたの元に向かう前に、やり残したことがないように――。
◇
「んっんん~~~っ!はぁ、今日はいい天気だな。絶好の冒険日和だね」
澄み渡る昼下がり、一人の青年が気持ちよさそうに体を伸ばしている。彼の名前はメルダール、職業は冒険者だ。と言っても実力は大したことはなく、やっていることは一般人でもできる雑用を代わりにやるようなことばかり。
ある時は狭く苦しい空間でじっと潜み待ち続け、またある時には狩りのため獲物を追跡して四六時中観察するということもあった。
まったくもって華やかでなく、汚れることも多いがメルダールはその泥臭い仕事のありようにやりがいを感じていた。
「さて、前回の仕事は失敗しちゃったけど気を取り直して頑張りますか!」
メルダールが気持ちを切り替えてやってきたのは冒険者ギルドだ。いつものごとく良さそうな仕事を見繕うために掲示板を見る。
「なになに~、〈行方不明の妻を探してます〉、〈薬草を大量に取ってきてください〉。う〜ん、どれも良さそうだな。ん、これは……」
依頼の掲示板の隣には、ギルドの連絡事項が張られた別の掲示板がある。メルダールはその中でひときわ目立っている張り紙を見た。
「〈行方不明者多数、人食いの魔物にご注意ください〉 うわぁ、最近はホント物騒でやんなっちゃうよね。怖い魔物に出合わないよう気を付けないと」
メルダールは連絡事項から目を戻し依頼の確認を続けるが、どの依頼も捨てがたく決めかねていた。そんな時にメルダールは視界の端に一人の女性を捉えた。
女性が訪ねているのはギルドの受付だ。受付には依頼を受ける冒険者用の窓口と、依頼を発注する人の窓口があるが、女性は後者の窓口を訪れていた。
「な、何て可憐なんだ……」
メルダールは女性に目がなく、美しい女性を見かけると謎の行動力を発揮する系の男だ。そして女性が依頼の発注手続きを済ませた所を見計らって、即座に声をかけた。
「そこのお美しいお方!あなたのような可憐な方がこの冒険者ギルドに依頼をされるなんて、きっとよほど困っているに違いない。掲示板に張り出される前によければ私にお話を聞かせていただけませんか?」
「えっと、よろしいのですか?ギルドで受注手続きを経ずに依頼を受けるのは、あなたに罰則がくだされるかもしれませんが?」
ギルドの依頼は掲示板の依頼書を受付に持っていき、正式な手続きを済ませてから依頼人に話を聞くというのが決まりとなっている。別々の冒険者が同時に依頼に取り掛かるなどして、あとでトラブルになるのを避けるためだ。
「大丈夫です!後で一番早くあなたの依頼を受けますから!掲示板に依頼が張り出される前にぜひ!」
「……わかりました、ではお願いします」
女性は名前をアラクネと名乗った。依頼の内容ををまとめるとこうだ。
・ある行方不明の恋人を探している
・その恋人はこの町の近くの森へと出かけて行ったきり帰ってこない
・その森には危険な魔物が住むという噂なので荒事が得意な冒険者にお任せしたい
「そうだったんですね、それはお辛いでしょう。僕に任せてください、人探しは得意中の得意です!」
「ありがとうございます!ではよろしくお願いいたします」
女性と別れたメルダールはさっそく次の仕事の準備に取り掛かる。必要なものはロープ一本、それから入念な下調べも大事だ。
◇
メルダールが女性から依頼をうけて数日がたった後のこと。
「アラクネさん!喜んでください、あなたの恋人を見つけましたよ!」
何と数日もしないうちにアラクネの恋人を探し出したのだという。
「本当ですか!でもギルドからは何の報告も来ていませんが……」
「ついさっきギルドに報告をしてきたばかりですから、まだ連絡が届いていないのかと。でも発見したアラクネさんの恋人は重傷を負っていて。今は医者が見てくれてるので急いでアラクネさんに伝えないとと思って」
「それは本当にありがとうございます!それで、私の彼はどこにいるんですか!?」
「ご案内します、ついてきてください!」
そう言ってメルダールは、アラクネを連れて移動する。だが不思議なことに二人は、病院に行くどころか町のはずれの方に向かっている。だんだんと人通りが少なくなってきた所で、アラクネが疑問を感じて立ち止まった。
「あの、本当にこちらに私の恋人がいるんですか?」
「はい本当ですよ!あなたの恋人はこちらの建物にいます」
メルダールが指したのは、外観が薄汚れていてとてもケガ人を運び込む病院には見えない。それどころか人の気配もしないような建物だった。
「驚かないよう気を付けてください。とてもひどいケガをされていたので、今も治療中なんです」
そう言ってメルダールはアラクネに扉を開けるよう促す。そして恐る恐る扉を開けて中に入るアラクネ。しかし、中は予想通りに人の気配がせず、それどころか治療のためのベッドや道具なども見当たらない。
「あの、どこに私の恋人が――」
問いただそうと振り向こうとする寸前、急に首が締まり呼吸ができなくなってしまった。
「この日のために都合のいい空き家を見つけるのに苦労したんだよ~。あっはぁ!やっと、やっとだぁ~!この瞬間をず~っと待ってたんだぁ~!」
メルダールはアラクネの首にロープを回し締め上げる。薄汚い殺意を込めて。
「な、な、ぜ……」
一文字しゃべるのもやっとなアラクネは、かろうじて疑問を口にする。
「あなたがお美しいからですよ!一目見た時からものすご~くタイプで、『そうだ、次はこの人を殺そう』って思ったんですぅ!」
およそ正常とはとても言えない思考回路。しかも発言から受け取るに殺人を犯すのはこれが初めてではないと言う。
わずかな抵抗も空しくアラクネの手から徐々に力が抜けて、次第に体を支えることもできず倒れてしまう。うつ伏せに倒れたアラクネにのしかかり、さらに首を絞めながら恍惚とした表情をするメルダール。
「これこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれこれ、これぇええ!この命の灯火がふっと消えるような、ロープを伝って手に、そして全身に広がる命を奪う感触っ!あああぁぁぁぁあ!!」
悦に浸っていた。メルダールはこれまで何人もの人間を殺し魔物に死体処理をさせ、いくつもの街を渡り歩いてきた。この女もその内の一人にすぎないと高をくくっていた。
だから気づかなかった。数分前から、この部屋の隅々に糸が張り巡らされていることに。
「なるほど、だからあの人のことはナイフで刺したんですね」
「っ!!」
すでにこと切れたはずの女の体から肉声が。メルダールが驚いてロープから手を離した時にはすでに遅く、彼の体は無数の糸でがんじがらめに拘束されていた。
「クソっ、何なんだこれっ。ていうか、どうしてお前、まだ生きてるんだよっ!」
「当然でしょう。私、人間じゃありませんもの」
アラクネの肉体が徐々に変形し、背中から蜘蛛のような毛深い八本足が生え、おでこと頬には昆虫の目のような無機質な塊が左右三つずつ現れる。
「そ、その姿。も、もしかしてお前が最近噂になってる人食いの魔物っ」
「確かに噂の正体は私ですが、事の発端はあなたがあちこちで人を殺し過ぎたせいですよ。私は濡れ衣で犯人にされただけ。人を殺したことなど一度もないというのに……」
「あの張り紙は俺の事?いやそんなことより、何で魔物が冒険者ギルドに依頼すんだよ!?」
「私、鼻がとても効くんです。私の愛しい人を殺した人間の臭いをたどってきたらこの町にたどり着いたので、罠を貼ってみることにしたのです。依頼書に彼の名前を書けば、気付いた犯人の方から近づいてくると。まさか依頼書も見ずに直接話しかけてくる愚か者だとは思っていませんでしたが……」
メルダールはこの町に来るひとつ前の街での出来事を思い出す。前回の仕事は失敗だった、獲物を仕留めるあと一歩のところで邪魔が入った。返り討ちにできたものの獲物には逃げられてしまったので、噂が広がる前に次の街に逃げることにしたのだ。
「お前の恋人ってのは、俺の仕事を邪魔したあのうっとおしい男かっ!せっかくタイプの女を仕留められそうだったのにっ!弱いくせに正義感を振りかざしてムカつくから、ナイフで腹をぐちゃぐちゃに刺してやったんだよぉ!」
そう発した瞬間、蜘蛛の糸が一層引き締まりメルダールをさらに圧迫する。バキッ、とどこかの骨が折れた音がした。
「あぁぁぁっ、い、痛い……。痛いよぉぉ……!」
「あの人は魔物である私を唯一受け入れてくれた人。あの人の元へ行く前に仇を見つけられてよかった」
アラクネは蜘蛛の糸を操作し、メルダールが正面を向くように軽く宙づりにしたまま一歩近づく。
「(ごめんなさいあなた、最初で最後、私は人を殺します。こんな私でもあの世で愛してくれるでしょうか……)」
「あ、あははは、ははははっは、ははははは!!楽しかったな~、一人暮らしの女のタンスに潜んで寝込みを絞め殺した時も、泣きながら旦那の名前を叫ぶ人妻をゆっくりゆっくり絞め殺した時も。はははははっはあっははははははあああはははは!!!」
アラクネの口が裂け人間の顎関節ではありえないほどの大口を開き、そして笑いつづけるメルダールを頭から食した。
アラクネパニッシュ スクレ @joyjoy
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