後編

-5-

触れ合った唇を離しても、手だけは離せなかった。

森の指はじっとりと汗をかいていて、それを握るカズフミの手も小刻みに震えていた。


「……もう少しだけ、そばにいていいですか」

カズフミの声は、迷うことなく真っ直ぐだった。


「もちろん」

森は短く答え、彼を抱き寄せる。

胸に顔を埋めたカズフミの呼吸が、早くて熱い。

それだけで森の心臓も落ち着かなくなる。


体温が近づく。鼓動の速さが揃っていく。

二人はいつの間にか、ベッドの端に腰を下ろしていた。


部屋の灯りに照らされながら、二人は互いの服を脱ぎ合った。

シャツをめくり上げると、カズフミの腹の柔らかな起伏が現れる。少し丸みを帯びた胸板、控えめだがしっかりした肩。

森は息を呑んだ。

「……想像より、ずっと……」

「そんな目で見ないでください……」

照れ隠しに笑いながらも、カズフミの耳は赤く染まっていた。


互いに下着まで脱ぐと、隠しようのない昂ぶりが目の前に現れる。

二人とも無言のまま、視線を泳がせた。

その沈黙を破るように、森がそっと手を伸ばす。


手のひらに触れた瞬間、カズフミの体がびくりと跳ねた。

「……熱いね……」

「……森さんのせいですよ」

震える声で答えながら、カズフミもまた森に手を伸ばす。

互いの昂ぶりを握り合うと、脈打つ熱が指先に伝わり、息が詰まった。


しばらくはただ、確かめるように擦り合わせていた。

肌と肌がこすれ、湿った音が部屋に小さく響く。

「……変な気分だね」

「でも、すごく……気持ちいい」

顔を赤くしながら笑い合い、唇を重ねた。舌を絡ませるたびに、甘い吐息が混ざった。


やがて、もどかしさに耐えきれず、森はカズフミをベッドに押し倒した。

カズフミは驚きつつも、腕を伸ばして森の背を抱いた。

「……最後までしてみたいです」

「本当に?」

「……はい。森さんとだったら……」


森は深呼吸をひとつしてから、彼の太腿を開いた。

そこに手を添えると、温かさと重さが伝わってくる。

潤滑の準備も不十分なまま、恐る恐る前へ進む。


「……っ……痛っ……」

カズフミの顔が苦痛に歪んだ。

森はすぐに動きを止め、汗ばむ額を拭った。

「無理しなくていいよ。やめとく?」

「……やめないでください。大丈夫ですから」

その言葉に頷き、森はさらにゆっくりと進めた。


熱の中に包まれる感覚。狭く、締め付けられ、呼吸が荒くなる。

「……入ってる……森さんのが……」

「ごめん、でも……すごく……」

互いの声が震えていた。


少しずつ動きを重ねると、軋むベッドの音に混じって、濡れた音が次第に大きくなる。

最初は痛みに眉を寄せていたカズフミも、やがて喉から声を漏らすようになった。

「……あ……そこ……気持ちいい……」

「ほんと?」

「……もっと、動いて……」


森は汗で滑る背を抱き寄せ、ぎこちないリズムで動き続けた。

拙さのせいで呼吸も荒く、時折ぶつかる鼻や額に笑いがこぼれる。

「……俺、下手だね、ごめん」

「僕もですよ……でも、すごく……好きです」


繋がったまま、森はカズフミの昂ぶりを握り、手を動かしていく。

濡れた音と、吐息と、震える声が混ざり合い、部屋は熱で満ちていった。


「……カズフミ……もう、限界……」

「僕も……一緒に……」


最後に深く重なり合った瞬間、二人は同時に声を上げた。

脈打つ熱が一気に弾け、白濁が重なり合う。

その瞬間、全身の力が抜け、倒れ込むように抱き合った。


汗と涙と体液でぐしゃぐしゃになったまま、カズフミは森の胸に顔を埋めて言った。

「……本当に、僕でよかったんですか」

「君だからいいんだよ」


その言葉を聞いたカズフミの目に、安堵の涙が浮かんだ。

熱と湿気に包まれながら、二人はやがて静かな眠りに落ちていった。



-6-

薄いカーテン越しに射し込む朝の光が、ほの白く二人の肌を染めていた。

時計の針はまだ早朝を指している。外の世界は静かで、狭い部屋の中にだけ、二人の呼吸音が響いていた。


森はゆっくりと目を覚ました。

視界の端に映るのは、すぐ隣で眠るカズフミ。

寝返りの拍子にずれた掛け布団の下から、乱れたシーツに包まれた肩と胸元がのぞいている。

その寝顔は、昨日まで「決して近づけない」と思っていた距離の向こうにあったはずのものだ。


「……」

森は思わず息をのむ。胸の奥が熱くざわめく。

伸ばした手を、彼の額の乱れた髪に触れさせようとする。だが指先は空気をすくうだけで止まり、布団の上に戻された。

(……触れたら、夢が壊れてしまいそうで)


昨夜のことが、脳裏によみがえる。

交わした言葉、震える手、ぎこちなくも必死に分かち合った熱。

思い返すたびに、胸が締めつけられるように熱くなる。

後悔は一つもない。ただ、信じられない幸福と、くすぐったい照れくささが胸を満たしていた。


その時、カズフミが小さく身じろぎをした。

まつ毛が震え、ゆっくりと瞼が開く。

まだ眠たげな瞳が森を捉え、ふわりと笑った。


「……おはようございます」

かすれた声。けれどその響きは、まるで森の胸に直接触れるようだった。


「……おはよう」

森は目をそらしたくなる自分を、必死に踏みとどめた。

気恥ずかしさに負けそうになりながらも、そこにある温もりを確かめたいと思った。


布団の下で、自然に手と手が触れ合う。

最初はそっと、指先だけ。

やがてカズフミが森の手を探すように握り返し、指と指が絡まった。


「昨日のこと……夢じゃないっすよね」

小さな声に、森は息を呑む。


「……夢じゃないよ」

森は微笑む。

言葉の一つひとつに、昨夜の記憶と、これからの日々への約束を込めるように。


二人の間に漂う朝の沈黙は、気まずさと甘さがないまぜになったものだった。

けれどそれは決して不安ではなく、確かに芽生えた新しい絆を静かに確かめ合う時間だった。


――「好きだ」という言葉が、昨夜の熱に流されただけのものではなく、朝を迎えてなお残り続けていることを、互いに深く感じながら。



-7-

「よし……朝ごはん、作るね。カズフミくんは寝てていいよ」


森はキッチンに立ち、フライパンに卵を落とした。

ジュッと油がはねる音と、香ばしいトーストの匂いが、狭いワンルームいっぱいに広がっていく。

その香りに誘われるように、布団から顔を出したカズフミと目が合った。


寝癖で髪が少し跳ね、瞼はまだ半分眠そうだ。

それでも彼の笑みを見ただけで、森の胸は不思議なくらいに温かくなった。


「ん……いい匂いっすね」

ふらりとキッチンまで歩いてきたカズフミに、森は思わず笑みを返す。


「寝てていいのに。コーヒー淹れるから待ってて」

「……コーラはないんすか?」

「あるよ。カズフミくん、ほんとコーラ好きだよね。……俺もだけど」


思わず二人で吹き出した。

昨夜の照れくささが、笑いの中で少しずつ薄れていくのを感じた。


テーブルに並んだのは、トースト、ベーコンエッグ、ヨーグルト。

カズフミは姿勢を正し、照れくさそうに小さく手を合わせた。

「いただきまーす」

「いただきます」

森も同じように声を重ねる。


熱々のトーストを頬張りながら、カズフミがぽつりとつぶやく。

「なんか……幸せっすね、これ」


その言葉に森は一瞬、返す言葉を失った。

胸の奥がじんわり熱くなり、喉がつまったように動かない。

それでもなんとか笑みを作って、答えを返した。


「……そうだね。俺も幸せ」


カズフミは少し照れながらも、はっきりと森を見て笑った。

その笑顔を見た瞬間、森は胸の奥が満たされていくのを感じた。


食卓では、取りとめのない会話が続く。

昨日の居酒屋で食べた唐揚げの話。

学生時代の失敗談。

日頃の愚痴。

どれも特別ではない。けれど不思議と、かけがえのない瞬間に思えた。


やがて食器を片づけながら、森は横目でカズフミを見た。

そこには、当たり前のように自分の部屋で朝を過ごしている彼の姿がある。

コップを手にしてコーラを飲む仕草さえも、胸を打つほど愛おしかった。


(……この光景が、できればずっと続いてほしい)


そう強く願った時、森は気づいた。

昨夜始まった二人の関係は、今このありふれた朝を迎えることで、ようやく本当の意味で確かなものになったのだと。


カーテンの隙間から射し込む朝の光が、二人のこれからを優しく照らしていた。


-完-

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家庭教師 5年後 もっさん @mossan_sa

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