木の道と異形の森 #8


森に足を踏み入れてから、しばらくの時間が経っていた。


ぬかるんだ泥はどんどん濃くなり、足元は悪化していくばかりだった。


ネコサウルスは不機嫌そうにしかめっ面を浮かべた。





「ぬるぬる……また足についてる……」





踏み出すたび、泥が足の裏にまとわりつき、不快な音が鳴る。


枝や岩、倒れた幹が行く手を阻み、背の高い木々が光を遮っていた。


それはネコサウルスにとって、前に進むこと自体がストレスになっていた。


一方で、背に乗るトカゲくんは、景色を眺めながら無邪気に笑っていた。


この森が、自分にはとても合っている気がする、そんな表情を浮かべていた。





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木の上を行こう


ネコサウルスはふと空を見上げて、ぽつりとつぶやいた。





(……木の上からのほうが、速く進めそう)





決意したように背を振り返ると、トカゲくんに声をかけた。





「トカゲくん、しっかり掴まって」


「え?う、うん!」





驚きながらもトカゲくんがしっかり体を抱きつけると、ネコサウルスは地面を強く蹴り、木の幹に飛びついた。


鋭い爪が樹皮をとらえ、滑りながらも確実に登っていく。


その動きは力強く、次第に泥の世界を離れ、高さと共に自由を手に入れていった。




---




木から木へ、枝から枝へ。


ネコサウルスはトカゲくんを背負ったまま、軽快に木の間を跳び移った。


風が頬をかすめ、葉がすぐ横を通り過ぎていく。





「わあ……! なんだか空を飛んでるみたい!」





トカゲくんが風を浴びながら嬉しそうに笑った。


ネコサウルスの足取りは軽く、地面の障害物もぬかるみもなかった。


泥の重さも、地上の苦しさももうない。


ネコサウルスは、自由になった体で、ぐんぐん進んでいった。


しかし、上空の道には罠もあった。


どこまでも似たような風景。


見下ろす森は均質で、どこから来たのか、どこへ向かっているのかが分からなくなっていく。


不安が、少しずつ胸の奥で広がっていった。





---





しばらく進んだあと、二匹は太くて安定した枝を見つけ、腰を下ろした。


ネコサウルスは狩ってきた大きなトンボを一匹、自分の前に置く。


トカゲくんは、小さな葉の上にミミズ、ムカデ、地虫などをきれいに並べていった。





「……相変わらず、好きだね、虫」





ネコサウルスがやや渋い顔で言うと、トカゲくんは目を輝かせた。





「うん! この森の虫は、種類も豊富で面白いよ!」





ネコサウルスも虫を食べること自体は嫌いではなかった。


けれど、身体が求めているのは、もっと“肉らしい”味だった。


彼女はトンボの羽をつまみ、口元に運ぶ。


少し固いが、噛むたびにじわじわと旨味が広がっていった。


香ばしいけれど、羽はあまり好みではなかった。





(……まぁ、悪くはないけど。うーん……羽、ちょっと苦手かも)





心の中でそんな感想をこぼす。


トカゲくんは、自分の虫をぱくぱくと食べながら、ちらちらとネコサウルスのトンボを見ていた。


その視線に気づいたネコサウルスが、ふと笑って言う。





「……いる?」


「いいの!? 食べてみたい!」





ネコサウルスが少しちぎって渡すと、トカゲくんは嬉しそうにそれを口に運んだ。


しかしすぐに、表情が微妙に変わる。





「ちょっと……羽はね……クセあるかも……」


「……」





ふたりは顔を見合わせて、くすっと笑った。


ネコサウルスはトンボの頭を割り、中の柔らかい部分を味わった。


肉に似た食感があり、匂いはやや強いが、悪くはなかった。


昔から、自分の好みじゃないものを食べることには慣れていた。


この森で生きるなら、それが当たり前になっていくだろう。


気づけば、トカゲくんの葉の上は空になっていた。


また、じっとこちらを見ている。


ネコサウルスは、残していた分を少しトカゲくんに分けて差し出した。


トカゲくんは嬉しそうにそれを受け取り、噛みしめるように食べたが、やはり表情はどこか複雑だった。だが、その次の瞬間、トカゲくんの瞳はキラキラと光出した。





「...!やっぱ、羽じゃないとこは美味しいかも」


「ふふ」





二匹は、木の上の食卓に少しずつ慣れていった。


食事を終えた二匹は、枝の上でゆっくり立ち上がると、再び森の中へ歩き出した。





--





食後、二匹は枝の上を進みながら、泊まれる場所を探していた。


ネコサウルスの動きはすでに迷いがなく、森の上を自在に駆けていた。


加速するスピード。変わっていく景色。


ネコサウルスは、この森に順応しはじめていた。


だが、その感覚の奥に、微かな違和感があった。


森の中に虫たちは無数にいた。


木の皮、湿った葉、空気そのものにさえ、命が漂っていた。





(……数が多すぎる。虫の割に、それを食べる動物が、いない……?)





ネコサウルスは、直感的に違和感を抱いていた。


あまりに豊富な餌に対し、それを狙う者の姿があまりにも少ない。


それはただの偶然なのか、それとも


ふと、木々のあいだから見える地面に、奇妙な光景が現れた。


裂けた幹。砕けた枝。荒れた地面。


まるで、何か巨大な生き物が暴れたような痕跡。


大きさも形もまちまちで、場所によっては数本の木が丸ごと倒れていた。


それが、ネコサウルスの不安をさらに深めた。




(何が……ここで、起きてたんだろう)




さらに、空を覆うほど高く太い木々に対して、足元の地面はぐちゃぐちゃに乱れていた。


湿った葉や小枝、泥などが、あちこちに散らばっていた。




(……おかしい。木は、育つのにすごく時間がかかるはずなのに……)




長い年月で安定した生態系ではなく、何か不安定で、整っていない雰囲気がある。


この森は、まるで最近作られたばかりの舞台のようだった。


成熟して見える外見と、どこか未熟な内部構造。


それがこの場所に、妙な「ずれ」を生んでいた。


ネコサウルスにも、その正体はわからなかった。


けれど、本能が告げていた。


彼女はそっと背中のトカゲくんに目を向けて、静かに言った。




「……この森、やっぱり、変」




だが、二匹は進むしかなかった。


この異様で、それでもどこか魅力的な森の奥へと。


新しい生活に、少しずつ、慣れながら。


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