第3話
ここまで真っ直ぐ来たので、少し休憩の意味合いもあった。
従兄弟は、
「傷が開くといけないからもう一度薬を塗り直すぞ」
「しみて痛いから嫌だ」
「痛くない」
「痛いってば」
「痛くても我慢しろ」
「ヤダ!」
「嫌だじゃない。
などと終始仲良く遣り合っているので、
「
元直なら薬塗っていいよ。兄貴は馬鹿力で押さえてくるからヤダ」
「いつの間にそんな軟弱になったんだお前は……」
徐庶は馬岱の傷に薬を塗ってやる。
薬は強い粘り気があって、止血も出来る。
そして直ぐに乾くのだ。
「涼州騎馬隊の秘薬なんだよ」
「そうなのか。すごく便利だね。だけど傷は一度開いてるんだからな、
無茶は駄目だよ」
「もっと注意してくれ。徐庶殿。こいつは俺の言うことを全く聞かん」
「はは……風雅は一緒に旅をした時は、何かと頼りになって大人びて見えたけどなあ。
なんだか馬超殿といるとちゃんと弟に見えるね」
「そうかなぁ。まあ昔から兄貴とは兄弟みたいに育ったから、どうも兄貴の側だと勢いが出なくなるというか……」
「心配するな。そんなことはない。昔からお前は俺の前だろうがなんだろうが暢気は変わらん奴だった」
馬超は辺りを見回した。
「……お祖父様の庵はもう過ぎたか……ゆっくり挨拶も出来なかったな」
従兄の呟きに、
「大丈夫だよ。俺がこの辺りに留まって、よく庵を使ってた。
ちゃんとそのたびにお墓を綺麗にして、お花も植えたり添えたりしておいたから」
「そうだ、馬岱……お前に言っておかねばならないことがあったんだ。
父上と弟達の遺体を、桃の庵の側に埋めただろ。
だが掘り起こされた跡があった。
装飾品や武具も共に埋葬したから、恐らく賊の類いではないかと思うんだが……。
俺のせいで父上達の遺体まで守れず……俺は本当に長男失格だ。すまない」
馬超が従弟の前に頭を下げた。
そんなことがあったのか可哀想に……という顔をして見ていた徐庶はふと、馬岱がわざとらしく痒くもない首の辺りを手で撫でつつ、明後日の方向を向いていることに気付いた。
「……
「えっ! 何が? どうもしてないよ。
そんなに気にしないでよ、兄貴! うんまあ、なんだ……そのうち何とかなるって!」
心から詫びていた馬超は、怪訝な顔をする。
「何とかなるわけ無いだろう……」
「いや、そうじゃなくて過ぎたことはしょうがないし、俺全然気にしてないから。
いでで! 翡翠! 俺の髪食べないで!」
髪をガブガブ噛まれながら、馬岱は肩を竦める。
馬超はまた半眼になった。
「……馬岱。何を隠してる?」
「いや何にも隠してません」
馬岱がそう言った途端、馬超が目にも留まらぬ早さで従弟の首に腕を掛けて、締め上げた。
「あだだだだだだあああああっ! 分かった分かった! 隠しました!」
「言え。なんだ」
「言えない! 喉をそんなに締め付けられたら喋れない!」
馬超が腕を外してくれた。
「……実はそのー、父上達の遺体を、移動させまして……」
「移動させた⁉ お前がか⁉」
「だ、だってあの辺り思ったより人通り多いんだよ! 本当に賊とかも捕まえたことあるんだ。
兄貴が本当は父上のお墓は故郷に作りたがってたの知ってたし、誰かに掘り起こされたり荒らされたらきっと悲しむと思って……絶対に掘り起こされない所に移動させたんだ」
「どこにだ」
馬岱が地面に、短剣で図を描く。
「今ここ。
確かに人の寄りつかない場所だ。
「でも涼州の山々も、西の平原も見渡せる、とても綺麗なところだ。
三日三晩掛けて深く掘って、花と木を植えて来たから、絶対掘り起こされないよ」
馬岱が示した位置は、定軍山を更に越え、どちらかというと成都に近かった。
「兄貴が成都に行ったから。……この辺りなら、好きな時に足を伸ばせばいつでも会いに行けるかなと思って……うわ!」
いきなり馬超に抱き寄せられて、馬岱は前のめりになった。
「お前は……! 俺は本当に心配したんだぞ。父上達を守れなかったら、お前に申し訳ないと思って……!」
くしゃくしゃと馬岱の髪をかき混ぜて来る。
「申し訳ないってなんだよ……俺にとっても父上なんだから、どっちがお墓を守ったっていいじゃない。兄貴ちょっと、涙脆くなったんじゃないの?」
「誰が泣いているか! これは汗だ!」
二人の遣り取りに笑ってしまって、徐庶はふと、目の前にふわりと落ちてきた雪に気付いた。
「また降り始めたか……。
もしかしたら数日は強く降るかもしれんな」
涼州の二人には、数日間の天気が予想出来るようだ。
「雪が強くなったら、
「そうだな……」
徐庶は空を見上げた。
木々の合間から夜空が見え、
雪は舞い落ちて来るのに、星が見えた。
……飽きること無く、窓辺で降り積もる雪を見上げていた
その後ろ姿が脳裏に浮かんだ時、徐庶は言葉に出来ないほどの強い想いが胸に浮かんだ。
故郷や家族を幼い頃から持たなかった彼は、いまだにその感情を知らないままだった。
後になって、
その強い、どうにもならないもどかしさのような気持ちが、
『郷愁』という名前の感情なのだと、知ることにはなるのだが、
その時は全く分からなかった。
ただひたすら無性に、彼に会わなければならない気持ちになったのだ。
「
……すみません。
俺は、やはり
馬岱と馬超が徐庶を見た。
「……
徐庶は俯く。
「多分、彼は俺が戻ることを望んでいないと思う。
彼には、他の人間に言えないことを話した。
君を、どんなことがあっても涼州に返したいから協力してほしいとも頼んだんだ。
いざとなったら魏軍に逆らっても砦から連れ出したいって。
彼は
彼は承諾してくれたし、君は涼州に戻った方がいいと彼も思ってくれていた。
だからそういうことを事前に話していたから、
……彼は俺が投獄された時、動いてくれたんだと思う。
こうなることも、覚悟の上で出て来たんだ。
…………今回のことだけじゃない。
陸議殿には涼州遠征が始まってからの付き合いだけど、何度も助けて貰った。
俺の中にある、
それを否定しないでくれた。
「魏に来て、誰もが忘れろと言ったよ。忘れなければ魏で生きていけないからって。
でも陸議殿は本当に大切な想いなら、忘れないでいいと言ってくれた、ただ一人の人だった。
彼はあの若さで恐らく、養父を含めた多くの親しい人達を失ってるんだ。
自分も会いたくても会えない人をたくさん持っているから……俺などを気に懸けてくれたんだと思う」
「
大切なのは過去でも未来でもなく、現在なんだと俺は思ってる。
苦しい過去から逃れるように願ってそう生きていれば、今までとは違う現在の自分になれるし。
未来は、現在の自分次第で変えて行ける。
俺だって、昨日までは涼州でずっと一人で戦っていかなきゃならないと思い込んでた。
でも今は兄貴や元直が一緒にいて、みんなで蜀に行こうとしてる。
本当に未来は一日先だって何が起こるか分からないよ」
馬超の方を見ると兄の顔で、笑って頷いていた。
「
「だから過去とか未来とかじゃなくて、今、元直がどうしたいかで決めてほしい。
未来に蜀に来たいのなら、きっと君ならそう出来る。
でも今、陸議君が気がかりなのに目をそらしてそれから逃げたら、きっと未来でもずっとその気持ちは残ったままになるよ。
それに思うんだ。
今回の涼州のこと、確かに魏軍の遠征軍が来たことは涼州にとって喜ばしいことじゃない。
でも魏軍の中に君がいてくれた。
君は俺や涼州の人達を気に懸けて、色々と親身になってくれた。
軍は確かに、国に尽くす兵士が集まって強い軍になるけど。
だけど、いいんじゃないかな。
軍の中に、他の国の人を気に懸けたり理解したり、親交を持つ人がいても。
そういう人がいるから軍の歩みを止め、弱い他国の人を傷つけては駄目だとか、無茶をしなくなる。
言わば、君のような人は軍の良心だ。
これから涼州に魏軍の支配が広がるにしても、どうせそうなら君のような人がそこにいてほしいって俺は思うんだ。
だから蜀を想っても魏にいること、
俺の事も、陸議君のことも、どちらも大切に想ってくれること。
――きっと間違いとかじゃない」
徐庶は目を閉じた。
「天下が太平になったら、行きたい場所に行って、
会いたい人に会う。
……そういう未来がいつか来たらいいと、
そんな話を俺にしてくれた人なんだ」
馬岱が徐庶の肩を叩く。
「俺と兄貴は強いから、ここからは二人で大丈夫だ。道も詳しいしね」
「
……すみません。
貴方たちと蜀へ行けると思った時、間違いなく俺は嬉しかったけど。
まだここでやり残したことが俺にはある」
「いいんだ。徐庶殿。貴方のおかげで馬岱と再会出来た。
俺は感謝している。
考えてみれば俺も、貴方が魏軍にいたら戦いにくくて嫌だと思ったのだが。
……確かにこいつの言う通り、
この乱世で敵方に、討ち取りたくないと思う人間がいることは。
もしかしたら悪いばかりじゃないのかもしれないな」
馬超の言葉に、馬岱は少し驚いた。
幼い頃から、涼州の敵は容赦なく斬り捨てて来た、従兄の言葉だと思えなかったのだ。
そんな馬岱の驚きを見透かしたように馬超は彼の方を見て、小さく笑んだ。
「厄介な想いだがな。
きっと大切だ。
国など関係なく、人が人を想うということは」
馬超が差し出して来た手を、徐庶は取った。
馬岱もそこに手を乗せる。
「必ずまた会おう。
「君も。馬超殿も」
「劉備殿には貴方のことを話すよ。
だから訪ねて来れるなら、いつでも訪ねて来い」
徐庶は頷いた。
立ち上がる。
「道に迷ってただけで逃げる気なんてなかったって絶対言うんだぞ。元直。
なんでも馬鹿正直に喋ってまた投獄されたりしちゃ駄目だぞ!」
後ろから最後まで投げかけられた言葉に、徐庶はもう一度振り返って笑った。
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