嗜むゆめ
ぴぴ之沢ぴぴノ介
嗜むゆめ
ざわめく店内に凛とした声が通る。幹部の
「それでは、今日はお疲れ様! 乾杯!」
「「「かんぱーい!!」」」
やっと飲める。グラスの音が疎らに響き、各々一杯目を嗜んでいる。「とりあえず生で」なんて一年前までは憧れの言葉だったが、今では身に馴染んだようだ。身体に染み渡る炭酸と苦味。気持ちがいい。
「あ〜……さいこー……」
ジョッキの三分の一は飲んでしまった。二杯目は何にしようか考え始めてしまう。
「喉、渇いてた?」
横から聞き心地の良い声がかかる。さっきまで全員の注目を浴びていた由芽は私だけに視線を注いでいた。
「まあねぇ。由芽もおつ〜今日くらいなんか飲んだら?」
「うーん、飲めるのあったけ……三杯目くらいからにしたいな」
「ファジーネーブルあるってよ。前飲んでなかった?」
「そう、だね……迷うなあ」
「え何? 明日早い感じ?」
飲酒を渋る由芽に問いかける。傍から見ればギリアルハラに入りそうだ。
「そうなの。バイト入れちゃってさ」
「え〜? もうそのバイト辞めれば? またヘルプなんじゃないの?」
「あはは、そうそう。朝番の子インフルなっちゃったらしくて……」
「うわ〜じゃあしばらく抜けあるじゃん。だる」
「もうやってらんないよね。社員の人も入ってくれるみたいだけど、私、歴がそれなりにあるからさ」
「断ってもいいのに。後輩に朝番覚えさせるいい機会じゃないの?」
「それが軒並みお断り」
お互い苦笑しながらアルバイトの愚痴が垂れ流れる。
由芽と私は同級生だ。上京してきて偶然アパートが隣の部屋だったことで意気投合してもう三年は経つ。所属サークルも学科も同じとなれば、会話に困ることはなく、いつの間にかニコイチとして見られるようになった。
飲み会の席だってこうして自然と隣になるし、由芽がサークル長なら私は副長。リーダーシップと信頼性をオーラにまとう由芽はいつも私の一歩先を行き、スポットライトの照度は一段階上だ。
だから、嫉妬するんだろうか。
「由芽、相変わらず飲まないね」
飲み会も中盤。賑わいは最高潮になり、食べ放題のポテトが無くなってきた頃合いだ。向かいの先輩との会話が聞こえる。
「そうですね〜、ちょっと明日早くて」
「え〜? 大変じゃん。てか明日早くなくても由芽飲まないもんね」
「え! 由芽先輩飲まないんですか!? 強そうなのに!」
斜向かいの後輩が絡む。そうか、この子ももう二十歳か。
「そうなの……あんまり飲まなくて」
「ワインとか飲んでるイメージなんですけど!」
「由芽って大人っぽいのに味覚はそうでもないよね」
「あはは……そうですね、まだまだ子供舌ですよ」
ああ、またこういう会話。
「え〜! 由芽先輩かわいい〜」
ほら、こういう会話。
「味覚だったらお隣さんの方が大人だよ、ねぇ?」
「ぅえ? あぁ、そうね。あんたがおこちゃまなだけですけど〜」
いきなりパス回してくんなよ。アルコールが入って余計に短気になっている。何やってもかっこいい、かわいい。欠点すらそれか。私の味覚は普通だ。あんたの異常性を際立たせる素材じゃない。
苛立って何杯目かのワインを流し込んだ。あんたはこの味を知らないんだ。
「もう! 飲み過ぎるなっていつも飲み会前に言ってるよね?」
「うぐっ……うるさい。路上で吐いてやろうか」
「やめなさい!」
帰り道のよくある光景だ。また飲み過ぎてしまった。アルコール耐性は人並みにあるが、強いわけではない。そのことは由芽も知っているし、度が過ぎた時に介抱してくれるのもいつも由芽だった。
「はぁ、そろそろ着くから我慢してね」
夜風の心地良さで嘔吐の直前で留まっている。階段を一段踏みしめるだけで自分の体重を恨む。吐きそう。と思えば本当に吐いてしまいそうだった。吐かない。はかない。
騒がしさに目が覚めた。どこだ? 数回行ったことのある居酒屋だと思う。
「次飲むの決まった?」
隣には由芽がいる。そりゃそうか、飲み会ならこの配置だ。飲み放題のメニュー表を差し出された。
「うーん、次はワイン行ってみる?」
「お、奇遇だね。私もワインかな。赤」
「……は?」
耳を疑った。確かに、隣にいるのは由芽である。じゃあ、なぜ。
「ワイン、飲めんの?」
「え? 飲めるよぉ」
ほろ酔いが疑える発音だった。もう既に何杯か飲んでいるんだろう。逆にこっちがおかしいみたいになるのはやめてほしい。それでも、何か言うのは面倒だった。
「あ、赤ワイン。グラス二つで」
店員に注文をしたは良いが、誰も突っ込まない。何故由芽がワインを飲める?
「由芽先輩ってやっぱり大人の女性って感じですよね〜。ワインもよく飲むんですよね?」
「あはは、大人の女性ってほどでもないよ。ワインとチーズの組み合わせ最近ハマっててさ。お酒飲めるようになったら試してごらん」
斜向かいの後輩との会話も耳を疑うものだった。そんな私を取り残して由芽は配膳されたワインを嗜んでいた。
やめてほしい。これじゃあ、あんたは完璧に見えてしまう。いや、子供舌でかわいがられる方が嫌かもしれない。わかってしまった。私は、由芽がどうあっても嫉妬してしまうんだ。
私だって、ワインはチーズと飲むのが好きだし、味覚は普通だし、年相応の生活をしている。後輩から頼られて、先輩から絡まれて、同輩と遊びに行く。
何なんだろう。由芽はいつもその先を行く。色目が透けた気色悪い男も、それをひた隠しにしているのか誠実そうに見える男も、下心でゴマをする女も、推しだの何だのと憧れの対象にする女も。どんな形であれ注目の的になる。その裏の苦悩だって知っている。私がこの三年間一番近くにいたから。
だが、同情と背中合わせに人が生まれ持ったカリスマ性への恨みがあった。単純な嫉妬だと理解している。だから早くやめたい。私が苦しいだけなのだ。
由芽がいなくなってもあんな視線は私に向けられない。あの子はアイドルだから。偶像を見出しやすい。理想を当てはめやすい。そんな子。そう考えると、少し、憐れだな。
「どうした〜? もう酔っぱらい?」
珍しく私が黙っていたからか、声がかかった。
「ねえ」
呼ばれた声に応えられない。
「あのさぁ」
段々と、背景が、音声が、感覚が、やわらかくなっていく。
「いつまで子供でいるつもり?」
目を開けた。いつの間に目を閉じていたんだろうか。少し、息が乱れた跡がある。
見知った自室のベッドから見える景色だ。どうやら夢を見ていたらしい。
射し込む昼の日が目に悪い。どことなく気持ちが悪い。なんなら少し腹を下しているような気がする。夢の中でも飲んでいたし、さすがに二日酔いは避けられなかったらしい。
スマホを確認すると、昨晩由芽から心配のメッセージが入っていた。面倒見が良い。また脳内で負の感情がかき混ぜられそうになったが、寝起きの頭がふわふわとしているお陰で緩く回避した。
私、いつまでこんな気持ちでいなきゃいけないんだろう。味覚は確かに私の方が大人だ。でも、最愛の友人の足を引っ張りたいだなんて、態度に出さずとも考えてしまうのはまだ私が未熟だからだ。
夢は深層心理を映すとよく言われる。今回ばかりはその通りなんだろう。
「『いつまで子供でいるつもり?』って。そんなの……酒が飲めるあんたに言われたら何も言えないじゃん……」
布団に顔を押し付ける。今日は外に出たくない。もうやめよう。何を考えたって、私の負けなんだから。
家のチャイムが鳴る。いつの間にか日が暮れていた。かろうじて着替えた部屋着で玄関口を映すモニターを見る。
「ああ、由芽?」
安心して家に通した。夕飯を作り過ぎたから持ってきたらしい。そんなことならスマホに連絡してくれたら良かったのに。私の二日酔いを心配してわざわざこっちにやってきた。こういう世話焼きなところが心に沁みる、と言いたいところだが、今日の精神状態では鬱陶しいと感じてしまう。
「あ、これブロッコリー入ってなくね?」
「え? ハヤシライスだけど? 入れるわけないじゃん」
「嫌いだから入れてないんじゃなくて?」
「……嫌いとは、言ってないじゃん。まだ」
「まだ、ね」
味はいいくせに具材に不満はある。食べさせてもらっている分際でこんなことを言えるのは数年の仲だからだ。こんな些細な不満では壊れたりしない。
サークルの今後のことを話している間に完食し、私は前の誕生日に貰ったワインボトルを取り出した。後ろで二日酔いのくせにだの野次を飛ばされているが気にしない。由芽にはりんごジュースでもやれば黙る。
二人でちびちび嗜んでいるのも大学生らしいといえばそうだろう。しばらくすると、話題は尽き始め、沈黙が多くなってきた。こんな隙を作られてまた色々考えてしまう。
由芽がブロッコリー嫌いなことと、由芽が味覚以外完璧に見られることは質は違えど同じく私が勝手に持つ文句であるはずなのに、どうして、後者に対してだけ感情を掻き乱されているんだろうか。
ああ、そうか。由芽を上に見たくないんだ。もしかしたら、下に、見たい?
最悪だ。馬鹿。隣には本人がいて、友人として最低な結論に行き着いてしまった。
「ねえ」
隣から声がかかる。どんな顔を向ければ良いのかわからない。
「……あのさぁ」
どこかで、見たことがあるような。デジャブ? なら、次に出てくる言葉は。
「だからなんでもないって言ってる!」
由芽からすれば一度目の問いかけにも関わらず、思わず語気が強くなった。由芽に非がないことくらいわかる。何故制御できなかった?
「いつまで子供でいるつもり?」
夢で言われたことがフラッシュバックする。幻聴かのようにリアルだった。言わせなくなかった。言うはずがないとわかっていたのに。こんな時、私は、一番の友人を信じることすらできないらしい。
「びっくりしたぁ……そんな大声出さないでよ」
よかった。夢と同じことは言われてない。トラウマになりかけているんだろう。不安感にストレスが溜まる。そんな自分に悔しくなる。あんたは、こんな表情私に見せたことないのに。あんただけ、大人なんだ。
簡単に言えば劣等感だろうか。そんな分析もしきれず、なにか、あたまの糸が切れた音がした。恐ろしいことに、無意識に近い行動だった。
気づけばワインを少量口に含んで由芽の口を塞いでいた。舌で無理矢理口をこじ開けながら後頭部と腰を抱いて身体を押し倒す。結合部からワインが溢れて行くのが視界の端に見える。由芽の中にワインが入っていく。あんたの嫌いなもの。あんたの知らない味。
絡ませた舌の温度に差異はない。私達は、同じくらいの体温で交わっている。身体を捩らせ抵抗してくるさまは、いつかの思い通り、惨めだった。支配欲が満たされている気がする。
私の胸や肩を必死に押している。そんなものに気を取られることなく、舌でかき混ぜる。どっちの唾液か判らなくなるように。ワインと唾液の境目を無くすように。あんたは情けなく声を漏らしている。面白くて堪らない。
こんなので満たされた気になれる自分に虚しさが覆い被さってきた。情緒は安定しない。酒のせいか。身体を離して、見つめる。
涙を浮かべて不快感を示している。そんなの、知らない。ざまあみろ。
「ほら、ごくん、て、して? 飲み干しなよ、それ」
由芽に馬乗りして見下ろす。端正な顔に手をあてがい、口元に残る滴を親指で口に戻してやる。
私は、今、泣いているのか、笑っているのか、わからない。どうして、こんなことをしているんだろうか。
舌に残る味は私もまだ知らないものだった。快不快に囚われない独特の違和感と興奮に付き纏われている。これからどうすればいいんだろうか。私は、なにをしたい? これこそ、夢であってくれよ。後悔が追い打ちをかけてくる。寄せては返す淀んだ感情に目を閉じてしまう。
目を開けたら、覚めていてほしい。一瞬の希望を持ってみる。うっすら目を開けるも、由芽が見えるだけだ。現実なんてこんなものなんだ。ゆめのせいでぐっちゃぐちゃ。
口にしたか定かではない言葉が頭に浮かんだ。
もう、ゆめなんて、みたくない。
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