【論理×文香三部作 番外編】夢魔のおくりもの
徳間・F・葵
一、夢魔のおくりもの
ミサイルが落ちてくる!
「きゃあああああっ」
絶叫。逃げまどう。でも一面火の海。足がもつれる。転ぶ。走り回る人たちが頭上を駆け過ぎる。ヒューっとミサイルが空を切る音。着弾する!地響き。衝撃。炎。熱い。熱いよっ。ボク死ぬんだ…。こんなわけのわかんないとこで。嫌だよ、怖いよおっ…。
家の玄関。三和土に弟がしゃがんでいる。ボク生きてる?さっきのミサイルは?弟、何してるんだろう。立ち尽くすボク。そのうち、弟がゆっくりと振り向いた。ぞっとするほどの無表情。そして弟の生気を失った声。
「俺ら…もう死ぬんだよ…」
その弟が怖かった。ほんとに、ほんとに死ぬんだと心底思わされた。足が震える。思わず一歩後ずさる。そんなボクの前に、弟がぬっと立ち上がる。
「死ぬんだ…これから…はは…ははははは…」
どろりと瞳を濁らせて、弟が生ぬるく笑いながら、ボクに歩み寄ってくる。いけない、こいつに触れられたらボク死ぬっ。
「いやああっ‼︎」
逃げた。でも逃げた先は荒れ野。無数の人影。ゾンビだ。腐臭を放ちながら、何百人というゾンビが徘徊している。嫌だ、怖い。ボクどこに入りこんじゃったんだろう。でもそのうち、ゾンビの一人がボクに気づく。
「あ…い…つ…だ…」
ゾンビの声。その声とともに、ゾンビがボクを指差す。周囲のゾンビすべてが、ボクに向かってくる。
「嫌…嫌ああっ、助けて!助けてーっ!」
全力で逃げる。でも足元の石につまずく。転んだボクの上に、ゾンビたちのおぞましい手が伸びてくる。ああ、今度こそボクダメだ!そのボクの視界に、白い大きな文字のテロップ。
「ここで目を覚まさないとあなたは死にます」
え⁉︎目を覚まさないとって…これ夢なの?でも死ぬ?嫌だよ死にたくない!早く目を覚まさなきゃ。だけどどうやって?のたうちまわるボク。お願い覚めて!覚めて!覚めてーっ!
突如、真っ暗な暗闇。覚めていく…の?ボク、死なずにいられるの…。身体が中空に放り出されたような感覚。そして…いつもの布団の上に、ボクはいた。ハッと目を開ける。息が弾んでいる。寝汗もぐっしょり。そんなボクの隣では、ご主人様(夫のことをボクはそう呼んでいる)が安らかに寝息を立てていた。
まだ息が上がっている。心臓もバクバク。ああ…毎晩毎晩悪夢にうなされている。なんでボク、こんな夢ばかり見るんだろう。もう嫌だよ。なんで…なんで…。怖さとつらさで、涙があふれてくる。
「うっ…う…ぐずっ…嫌、だよぅ…嫌だよ…すはあああっ、ええええ…ええええん…っ!」
枕元のスタンドの淡い光の中で、ボクは泣いた。ほんとうに、もうこんな夢嫌だった。一晩でいい。楽しくて幸せな夢を見たい。一晩でいいから──。
「ふう…ちょっとやりすぎちまったな」
不意に背後から声。え?ボクとご主人様の二人きりのはずなのに、誰?驚きと恐怖とともに、ボクは泣き止み、恐る恐る後ろを振り向いた。
「‼︎」
そこには、女の子が一人立っていた。
「落ち着いたかよ」
高くて甘ったるいロリボイスで、女の子はボクに声をかけた。未だ状況が飲み込めないボクは、その場に呆然とするばかり。そんなボクのもとに、女の子がしゃがみ込む。闇色の艶やかなロングヘアが、はらりと胸元に流れ落ちた。そしてその格好は…。なんか「魔法使いの女の子」って感じのする、派手な姿だ。胸元には左右に大きく広がる羽飾りの着いた、ネイビー色のワンピース。喉元とお腹にはかわいいリボン飾り。お腹から臙脂色のバッスルがスカートの裾にまで伸びている。頭の両脇にもリボン、おでこには髪飾り。どちらも服に合わせたネイビー。そして左手には大きな杖。下は石突きがどっしり、先っぽには小宇宙をかたどった紋章。何この格好。コスプレか何か?それにしてもこの子、どっかで見覚えがあるような気がする。
「いやぁ、今夜の夢はインスピレーションが湧いてな。いろいろ凝った内容にしたぜ。どうだ、なかなか怖かっただろ」
女の子がそう言ってボクの顔をのぞき込む。女の子は美少女だった。大きくてぱっちりした目は、くっきりした二重まぶた(ボクは目が小さい上に一重だから、こういう子はうらやましい)。その中の瞳も黒々として深く、きらめきがある。鼻も高くて鼻筋も通って、口も大きくて印象が深い。肌もなめらかで真っ白だ。ん…やっぱ見たことあるよこの子。それにしても、インスピレーションって何?いきなり現れて、この子何者?
「あ、あなた…誰…ですか…?」
やっとのことでこういうボク。そう聞かれた女の子、かわいい顔にニタアッと笑みを浮かべる。
「あたしか。あたしはなぁ、てめぇらのよーく知ってるやつだ」
「よーく知ってるやつ?」
「そうだ」
女の子が「ふっ」と笑う。
「てめぇら夫婦が小説の中で、被虐待児にしてみたり、ドMな変態女にしてみたり、合唱部員にしてみたり、アイドル声優にしてみたり、オカマに片想いさせてみたり、好き勝手にしてるやつだ」
「えっ…」
ボクはさらに言葉を失う。確かに、ボクたち夫婦は小説を書いている。その小説の中で「佐伯遥(さえきはるか)」ってキャラクターを気に入っていて、ボクたちが書いた全部の作品に登場させている。その中には、虐待された役もあったし、その虐待の結果ドMになったところもあったし、主人公の友だちとして合唱部員になってた役もあったし、アイドル声優にしたこともあったし、LGBTの子に片想いする役もあった。でも…なんでこの子がそれを知ってるんだろう。
「まだわかんねぇか」
女の子は相変わらずボクの前でニヤニヤ。
「てめぇら夫婦が夢想してる佐伯遥ってのは、あたしのことだ。てめぇらが夢みたやつの実体があたしだ」
え…。実体って…。佐伯遥は、ボクたちにとって身近なキャラ(かわいくて被虐待児で変態で秀馬(しゅうま)くんに夢中、というのが愛らしくてしかたないキャラ)だけど、キャラはあくまでキャラ。架空のはずだよ。なのに実体?
「ごめん…。あなたの言うこと、よくわかんない」
「あなた、なんて呼ぶな。遥でいい。てめぇらもそう書いてるだろ」
そう言って女の子──「遥」って呼べるの?──は、ボクの肩を軽くポンとたたく。うん…確かにこの顔、この髪、この声、ボクたちが小説で描いた通りの子だ。ならこの子がほんとうに佐伯遥なの?
「それで遥…いったい遥は何者なの?」
「あたしか。あたしは──」
遥はそこで一旦口を引き結ぶ。そして改めて口を大きく開き「はあああっ」と息を吸い込む。それもまた小説で数多く描いた遥のしぐさだ。
「──夢魔だ」
「夢魔?」
「ああ。英語じゃ『ナイトメア』とも呼ばれているな」
ナイトメア?それなら知ってる。いろんなゲームに出てくる魔物だ。確か、人に悪夢を見させる馬の姿をした魔物。
「遥が、ナイトメア?」
「そうだ」
遥がこっくりうなずく。
「ちなみに夢魔が馬だというのは、人間の勝手な想像だ。本当の夢魔村の住人は、みんな美少女美青年揃いだ。文香(ふみか)お好みの超イケメン坂口秀馬(さかぐちしゅうま)も村の住人だぜ」
坂口秀馬は、遥と固い絆で結ばれた恋人として、ボクたちの全作品に登場している。架空の人物ながら、ボクは秀馬くんに少し恋心を抱いたりしている。
「え…秀馬くんも村の住人って、やっぱナイトメアなの?」
「そうだ。秀馬とあたしは許嫁だ。今、お互い夢魔としての修行に励んでる。一人前の夢魔になれたら、あたしは秀馬と結婚できるんだ」
そか…。未だよくわからないけど、「実体」の遥と秀馬くんも熱い仲なんだな。許嫁か。そういえば作品の中で、秀馬くんが遥に婚約指輪渡したシーンも描いたことあったな。あ、でもそんなことより──。
「ねえ遥。遥がナイトメアだってことは、さっきボクが見ためちゃ怖い夢も、遥が見させたものだってこと?」
「もちろんそうだ」
しれっと答える遥。
「夢魔見習いになったときから、文香はあたしの担当だ。毎晩文香が見る夢はあたしがこしらえてる」
「どうしてそんなこと!」
思わずボクは叫んだ。毎晩毎晩、ボクは悪夢に悩まされている。楽しい夢なんて一つもない。あまりに悪夢がひどくて、睡眠外来に行ったり、精神科に相談したりもしていた。夜眠るのが嫌でしかたがなくて、ボクを寝かしつけたがるご主人様に「寝たくない」と駄々をこね続けている。そんなボクの悩みの原因が、遥なの?
「遥!どれだけボクが遥の悪夢で苦しんでると思うの。こんなことやめてほしい!」
「いやいや、あいにくだけどそんなわけにもいかねぇんだなこれが」
「実体」の遥も、小説の遥通り、言葉遣いが悪い。そして遥は口を開き、はあああっと息を吸い込む。小説で描いた通り、目立つブレス音だ。そんな音とともにお腹の空色のリボンがぐうっとふくらむ。歌とか歌うのかなこの遥は。
「夢魔見習いが誰を担当して修行するかは、村の長老の一存だ。従う以外ねぇ。そりゃあたしにも情けはあるから、担当したやつを苦しませるのは心苦しい。だけど、担当にどれだけ質の高い悪夢を見させるかで、あたしの修行の成果が決まるんだ」
遥はそう言って、ボクの手を取った。その大きな深い瞳が、ボクに縋ってくる。
「文香。毎晩苦しめてすまねぇとは思う。でもな…修行ができなきゃ、あたしは秀馬と結婚できねぇ。あたしがどれだけ秀馬を好きか、てめぇらには人一倍わかるだろ」
「う、うん…」
そう言われると返す言葉がない。遥と秀馬くんの絆の強さは、事あるごとに描いてきた。
「あたしは今、長老のもとで修行に励んでる。秀馬も一緒だ。てめぇらはひでぇ親だって書いてたけど、親父もお袋もほんとは優しくて、そんなあたしを温かく見つめてくれてる。そんなあたしの幸せな修行の時間が、文香の悪夢で支えられてんだ。これからもあたしの支えになってくれ。無理な頼みなのは承知だ」
描き慣れた、高くてかわいらしい、甘いアニメ声で(声を当てる声優さんは田口宏子さんということにしてある)、遥が囁くようにボクを説得する。うん…。毎晩の悪夢は嫌でしかたないけど、それが遥の修行になるというのなら…。
「…わかった。だけど手加減して。毎晩苦しんでるの」
「まあ、そうしてやりてぇとこだが、あまりぬるい夢ばかりじゃ修行になんねぇ。…とはいえ今夜はちょっとばかりやりすぎた。すまねぇ」
ボクの前で遥は両手を合わせ、謝るしぐさをする。
「その代わりと言っちゃなんだが、手土産を持ってきた」
「手土産?」
「ああ」
遥はそう言ってうなずき、にっこり微笑った。笑顔がすごくかわいい。やっぱ美少女だ。小説で描いてきた通り。
「今まで文香を散々苦しめてきた詫びに、文香にとっておきの夢を見させてやる」
「とっておきの夢?」
「ああそうだ。楽しい夢はあたしの専攻外だけど、今夜だけは特別だ。夢魔のおくりものを受けとるがいい」
特別な、夢魔のおくりもの。何だろう…。
「どんな夢なの?」
ボクにそう聞かれた遥は、得意げに「へへへ」と笑って、こんなことを言った。
「これから五日間、文香は二〇〇六年にタイムリープする。そこで、当時四十歳のご主人様・太田論理(おおたろんり)に会う。その五日間は、文香の夢だ。二人で自由に過ごせ。時期は…そうだな、クリスマス前の五日でどうだ」
優しい顔を見せながら、遥が言う。え…タイムリープ?四十歳の若いご主人様と、五日間一緒?それ、一度やってみたいって思ってた。それが叶うの?遥、やろうと思えばそんな素晴らしい夢だって見せられるんじゃん。
「え、いいの遥」
「ああ。いいぜ。んじゃ横になりな」
「うん」
ボクは布団の上に寝て、枕に頭を沈めた。
「あ、そうだそうだ」
ボクの枕元で、遥が思いついたように言う。
「夢の中でもスマホは使えるようにしてやる。二〇〇六年にスマホはねぇが、あたしの魔力だ。てめぇらの好きなドラドラドライブ…ってか、ほんとうの名前はドラクエウォークって言うんだったっけな、それも遊べるようにしとく。二人で楽しめ。それと、服は論理が好きでしょうがねぇやつを何着か持たせてやるぞ。ご主人様お気に入りの格好でいくがいい。それじゃいくぞ」
ボクの額の上に、遥の、少しゴツゴツした手が(これも小説で描いた通り)そっと乗せられる。
「眠れ文香。五日間、幸せにな…」
「うん…」
遥の手から、眠気がどっと吹き出してくる。ボクは目を閉じた。意識がすーっと遠くなる。二〇〇六年のご主人様…。どんな五日間になるんだろう…。そう思いつつ、ボクは眠りに落ちた。
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