第4話 師父の采配

シー、どこへ行っていた」


 静かに見下ろす釈雲セックワン眼差まなざしから、思わず司は目をらした。


「道に……迷いました」


「そうか」


 釈雲はわずかに目を細め、何も言わなかった。

 それからしばらく司を見ていたが、やがて静かに、


「司は、欠場とする」


 とだけ告げた。


 フォン(ファイ)たちみんなが息を飲んだ。司は目を逸らしたままだった。思わずヤン(アル)が擁護ようごした。


師父シーフー、リックは初めての武道館で緊張して……!」


 その言葉に答えず、釈雲は司に話しかけた。


「迷いがあっては勝てない。己の道を決めなさい」


 その言葉が、司を否定したものでないことは、皆にも伝わった。

 司は一礼をして、皆と並んでその場に座った。


 試合が始まった。初めは小学生、シュンがマットに上がった。


 司は先ほどの少年の事を思い出した。

『道場に迷惑はかけられない』そう言って彼は何を言われても黙っていた。

 多分、先ほどの事は言わない方が良いだろうと、おぼろげに考えていた。


「そこまで」


 戻って来た孫は呼吸を整えながら司のとなりに座った。司は少し顔を向け笑いかけると、孫もまた満足そうに笑い返した。すると、審判の声が会場に響いた。


「赤、司志恒シーチーハン選手の棄権により、白、不戦勝とします」


 この言葉に、思わず司が唇を噛んだ。誰よりも負けず嫌いの司に、この不戦敗は痛手となった。


 彼にとって、この出来事は忘れたいほどの黒歴史となったのだ。


 ◇


「あ、おかえりなさい」


 部屋にはその時の元凶がいた。

 ジョイの声かけには応えず、シグマは黙って自分の席についた。


 二度目の出会いも喧嘩の仲裁とあって、シグマにとってジョイのイメージは良いものではなかった。


 シグマはノートを開き、今日習ったことを思い出しながら書き出していた。そこへ、


「これ、どうぞ」


 と、ジョイが机の上に、チョコレートミルク缶とピーナッツクッキーを置きなから話しかけて来た。


「今日の争奪戦の戦利品」


 ピーナッツクッキーは購買部でも人気の商品だった。思わず凝視するシグマに、自分の席から椅子を運んで来たジョイが付け加えた。


「あいつら(六年生)、これが買えなかったから横流よこながししろって言うんだぜ。断固拒否ったら力ずくだもんな。参ったよ」


 それよりも、そのせいで生徒会が仲裁に入らなきゃならなかった状況の方が、よほど馬鹿らしかった。

 シグマはあきれたようにつぶやいた。


「ばっかじゃないの」


 するとジョイがケラケラと笑い出した。


「やっぱシグマだあ。あん時もあんた、いきなり同じこといったよなあ」


 懐かしそうに笑うジョイを横目に、シグマはまた、大会の事を思い出した。


 ◇


「審査員賞、馮睿哲フォン・ユイ・ジッ!」


 馮は前へ出ると、役員らしい身なりの整った人から表彰状と記念品が手渡された。

 それは、馮へと言うよりも、師父の教えへの証のように皆が喜んだ。


「なんか認められて良かった」


 馮もどことなく誇らしげだった。その言葉に司は、改めて少年を守る為に動けた自分を誇らしく思った。

 会場では次々と名前が呼ばれた。


「個人戦、最優秀賞、ダミアン・ラングリー」


 その名前に会場がざわめいた。

 前に出てきた中学生らしい少年は黒髪だったが、顔立ちに英国の流れを受け継いでいた。


「あいつ、大会の優勝常連らしいぜ」


 ヤンが馮にこっそりと耳打ちするのが聞こえた。


『有名な大会で三回も優勝してんだ』


 司はそう言った少年の言葉を思い出した。それを裏付けるように、観客席には、目一杯の笑顔で拍手を送る、あの少年の姿があった。


 ◇


「だいたいお前、なんで俺の名前知ってんだよ?」


 結局、ジョイに乗せられ、シグマはチョコレートミルク缶を開けて飲んでいた。


「パンフレット見たから」


 すまして答えるジョイに


「そんなのあったのか」


 シグマは感心した。


「指導者と、あと入勝者にも記念で配られるんです。俺、兄貴が持ってたのを見たんで。そしたら、棄権したって聞いたから、間に合わなかったんだって思って……」


 そう言ってジョイはピーナッツクッキーをポリっとかじった。その様子を横目で見ながらシグマは思った。


(誰のせいだと思ってんだよ?)


 心でなじりつつも、シグマもクッキーに手を伸ばした。そして、寺へ帰ったあの時のことを思い出していた。


 ◇


 寺へ帰り着くと、留守番をしていた弟弟子おとうとでしたちが駆け寄って来た。土産話みやげばなし催促さいそくされる中、釈雲が静かに司に告げた。


「あとで私の部屋に来なさい」


 その言葉に気づいたのか、楊が皆に、


「着替えるから、また後でな」


 とうながした。




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