第三章 輪環影

第5話 選途開路

第5話 選途開路(1)

 その夜、9月の編入式を兼ねた入学式を終え、部屋に戻るなり、アル(アルファ)は枕を頭からかぶって叫んだ。


「無理、無理、無理。絶対無理〜」


 肩を落とし、ベッドに崩れた姿は、どこか魂が抜けたようだった。


 彼らが入学したのは、中高一貫・全寮制のミリタリー学園。9月始まりで、軍事教練を含む独自の制度が敷かれていた。


 今年、新たに五人の少年が加わった。


 そのうちのひとり、8月生まれのアルだけが、制度上の扱いで初級ではなく中級、すなわち3年生への編入となった。


「俺だけ一学年上とかさぁ……なんか不安しかないよ」


 アルは枕を少しずらし、潤んだ目で床を見つめた。


 今日、誰とも話せなかった。

 新しい教室、新しい仲間、知らない人ばかりの中で、黙って席に座っているだけの一日だった。


 その不安が、今になって一気にあふれ出した。


 だが、異を唱えたのはアルだけではない。そんな彼を見下ろしながら、最年少のシグマも腕を組み、憮然とした表情で言った。


「だいたいずるいよな。本来なら、お前ら全員3年生じゃないのか」


 そう言って、他の三人を横目で見た。小柄な体に似合わず、口調はいつも強気だ。

 世話のかかる最年長と、13歳になったばかりの最年少に、残りの三人は苦笑いを浮かべていた。


「寺では4月始まりだったのに、こっちは9月とか、意味わかんねぇし」


 6月生まれの彼にとっては、寺で実力を誇っていた三人と学年が分れることが、むしろ好都合だったのだ。


「まあまあ、そこは学園のきまりなんだしさぁ」


 タウがシグマの頭を軽く撫でて、優しくなだめた。

 するとローも肩を叩きながら苦笑した。


「“8月末に何歳か”で学年が決まる仕組みだし、仕方ないだろ?」


 と、穏やかにシグマを宥めた。だがシグマはその手を振り払い、


「ローだって2月生まれじゃん。だから、寺では俺だけ1学年下で済んでたのに」


 腰に手を当て、不服そうに眉をひそめてみせた。


 そんな彼に、ファイが微笑んで言った。


「飛び級してたんだから、文句言わない」


 シグマはバツが悪そうな顔で視線をそらした。


「だって、お前らの中じゃ俺、全然目立たないし……」


 拳をぎゅっと握りしめ俯いた姿に、タウはクスクスと笑った。


「いや、十分目立ってるって」


 からかうように念を押すと、隣でローも笑いをこらえていた。


 気づけば、部屋の空気は少しだけ和らいでいた。


 ◇


 彼らが「寺」と呼んでいるのは、この学園に来る前にいた養護施設のことだ。

 13歳にして、いわば修行僧のような生活を送っていた彼らにとって、このミリタリー学園の生活もそれほど苦ではなかった。

ただ、


「だからって、五人の中で一番成績の悪い俺だけ、一学年上とかないよなぁ」


 ベッドから起き上がったアルが、枕を抱いたまま皆に向き直った。


「サポートするから、悩むなって」


 タウが軽く返すが、アルは再び枕に顔を埋めた。


「中級なんて、ある程度でき上がってる奴らばかりじゃん。俺なんて、無理だよぉ……」


 アルのため息とともにこぼれた本音に、部屋の空気が少しだけ静まった。


「普通に過ごせば大丈夫だよ、アル」


 横でファイがなぐさめるように声をかけるが、すぐにシグマが口を挟んだ。


「余計なこと言わなければいいのさ」


「その一言が余計なことだよ、シグマ」


 ローが穏やかに注意した。


 こうして、彼ら五人の編入式の夜は、どうにか穏やかに終わりを迎えた。


 ◇


 翌日から、授業が始まった。


 3年の教室では、当然ながら周囲はすでに人間関係ができあがっていた。


 ぽつんと座るアルに、誰も話しかける者はいなかった。


 授業は英語。問題はなかったが、ときおり耳に入る母国語での陰口が気になった。


(まあ……仕方ないけどさぁ)


 ため息とともに窓の外へ目を向ける。陽に照らされた木々が風に揺れていた。

 その揺れに、心をそっと逃がすように視線を重ねた。


『とにかく、なにか楽しみを探すことだよ』


 昨日、ファイがくれたアドバイスを思い出していた。


(楽しみねぇ)


 ふと、膝の上に置いた冊子に目が行った。


 (あ、オリエンテーションのコース案内……)


 手に取ってページをめくっていくと、「情報コース」の案内が目に入った。


 『3年選択可能/4年間履修/年間課題数200〜/3年生必須200課題』


 その数字に、思わず眉をひそめる。


(3年生必須200課題って? でも履修制……)


 近代PCの写真や、「テクノロジー」「IT」といった単語も目を引いた。


 (必須って、やっぱり難しいのかなぁ……)


 思考があちこち巡る中、アルは何度もページを行き来しながら冊子を見つめていた。


「そこ受けるの?」


 いきなり声がして、アルは鉛筆を取り落とした。


 顔を上げると、茶髪の少年が机に片手をつき、のぞき込むように立っていた。


「えっ……と?」


 少年は気にする様子もなく笑って言った。


「ああ、俺? ラルフ。君はアルファだよね」


「うん、アルファだよ」


 それ以上、何も出てこなかった。


 仲間たち以外と話すことに慣れていないアルは、どう返せばいいのかもわからなかったのだ。


 「変わった名前だね。なんか理由があるの?」


「1番目だから。そう付けたんだ」


「誰が?」


「えっと……教授?」


「じゃあ通称か。本名はなんていうの?」


 そこで、アルはハッとした。


『余計なこと言わなければいいのさ』


 昨日、シグマに言われたことが頭をよぎった。


(本名って言っていいんだっけ? いや、言えるなら名前を変える必要はないんだから……)


 黙り込んだアルに、ラルフはあっさりと手を引いた。


「まあいいや。じゃあ放課後、またな」


 そう言って去っていった。


(あー。せっかく話しかけてくれたのにぃ〜)


 机を軽く叩き、アルは思わずうなだれた。


 自分が、どれだけ人と話すのが苦手かを改めて思い知った瞬間だった。


 ◇


 放課後。情報棟の入り口には3年生たちが集まっていた。


 アルもその中に混じり、施設内の見学に加わった。


 教授の説明を聞きながら、他の生徒たちが設備を見回す中で、アルの視線は履修室のモニターに向いていた。


 ガラス越しに見える画面には、課題番号とプログラム問題が表示されていた。


(412…313…219…)


 まだ新学期が始まったばかりだというのに、どれも200を超えていた。


(やっぱ、200課題できなきゃ切られるのか)


 心の中で呟きながら、皆と一緒に視聴覚室へと移動した。


「情報コースの基本課題は年間200。オンライン対応で進められます。最初の1年で8割の理解がなければ、次年次には進めません」


 教授の言葉に、教室内がざわつく。


(200のうち160課題。しかも1年以内……)


 資料を見つめながら、鉛筆を握る手に力が入る。


「この課題は“教養課程”と内容が一部重なりますが、“情報専科”ではより深い理解が求められます」


 淡々とした説明の中で、アルの中に一つの選択肢が、静かに形を成しつつあった。




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