第5話 選途開路(2)

「アル、なんで体力強化に来なかったんだ?」


 部屋に戻ると、シグマが待ち構えていた。


「なんだっけ?」


「単位不足分は2年と一緒にやれって言われたじゃないか!」


 シグマは詰め寄るように言った。


「あ、ごめん。今日「情報」の見学で情報棟に行ってたんだ」


 だが、その答えにシグマは顔を少し曇らせると、プイと背中を向け中へと入っていった。その様子に、ふと言葉がよぎった。


(……俺だけ3年生……か)


 部屋に入ると、他の皆がアルに視線を向けた。


「えっ……なに?」


 シグマが何か言おうとしたが、ファイが腕を握り止めた。


「まだ、今日の予定が残ってる」


 その言葉でタウとローが立ち上がった。


 戸惑うアルにシグマが一言だけ告げた。


「情報コース行くのか?」


「あ、まだ決めてない……」


 アルが答えると同時に、廊下からタウの声が響いた。


「早く行かないと食いっぱぐれるぞ」


 その声にアルとシグマも部屋をあとにした。


 ◇


 夜、自習などを終えた頃、待ち構えたようにシグマが切り出した。


「ここってさ。1年〜6年って香港と一緒なくせに、3年から専門に分かれるって聞いたけど、そうなのか?」


 シグマの質問にアルが頷いた。


「そう。“教養”、“情報”、“実践”ってコースがあるってオリエンテーションで言ってた」


 話を聞いて、タウが確認を入れた。


「3年からは“情報”が選べるってことか」


「でも、どうせ最後は、組織運営の方に回されるんだろう?」


 アルが口にした言葉に、ファイが静かに注意する。


「アル。それは口外禁止だって言われたろう」


 アルは思わず口を塞ぎ、隣に座っていたシグマが呆れた目で見ていた。


「どうせ“教養”が無理なんだろ? だったら“情報”を極めたら?」


 その提案に、アルは目を丸くしてシグマを見た。


「“情報”か?」


 皆が注目する中、ファイが静かに呟いた。


 「“情報”は、単なる“選択科目”じゃない。将来を決める、“行き先”だ」


 重たい口調でファイが言うと、その言葉に振り返りながら、シグマが答えた。


「だからこそ、今のうち決めておかないと育成できない。アルはこれから先、4年間続けなきゃならないんだ」


 アルには、二人が揉めている理由がまだよく分かっていなかった。


「3年でついていけない奴のために“実践”って受け皿があるんだ」


 様子を見ていたタウが説明を加えた。

 “実践”は実技に特化した課だった。ローがシグマに向き直って言った。


「“教養”が無理なら“情報”を選べと言うのか?」


 シグマは静かに頷いた。


「“情報”なら一教科で済むし、“教養”も赤点取らなきゃ進級できる」


 そこまで言うと、タウが低くヒュウと口笛を鳴らした。


「相変わらず悪知恵は働くな」


 ローも笑いを含むが、ファイは真剣な表情で諌めた。


「簡単に決めれることじゃない」


 その意見にシグマが被せた。


「だけど、“情報”を選べば、組織の中で中核的なポジションにつけるんだぜ」


「つまり……“情報”だけ極めた方が楽ってこと?」


 ようやくアルファが口を開いた。

 その言葉にシグマが頷いた。


「だけど“情報”についていけなくて、“教養”に戻るやつもいるって聞いた」


 シグマの声が少し低くなった。アルも必須課題の数を思い出し、納得した。


「戻って“教養”に間に合わなくなって、最後は“実践”に行く連中も、半分くらいはいるって聞いてるよ」


 そう伝えると、シグマが顔を曇らせた。


 部屋に帰ったとき、シグマの様子がおかしかったのはこのことだったのかと、アルはようやく気がついた。


「……つまり、今年で決まるんだな、俺の未来が……」


 静かに呟くアルに、誰も次の言葉をかけなかった。



 しばらく考えていたアルがやがて口を開いて言った。


「俺、1年“情報”で頑張ってみる」


 皆が顔を向けるが、言葉はなかった。


「今年やって無理なら、来年死ぬ気で“教養”頑張るから……」


 笑いながら言うアルに、ファイが静かに念をおした。


「そっちがダメならこっちと言うほど甘くないぞ」


 ファイにアルは静かに目線を送り答えた。


「お前らがせっかくそこまで調べてくれたんだしさ。やってみるよ」


 そう告げると、隣に座ったシグマを見てニコっと笑った。


「別に、調べてねぇよ……!それより、また『無理、無理』って言い出すんじゃないのか?」


 シグマはそう言ってアルを見返した。


 だがアルは肘を膝につき、顎を乗せたままシグマを見ていた。


「泣きごと言ってる場合じゃないからね」


 笑いかけるアルには、いつもの落ち着きが戻っていた。──いつものアルだった。


 シグマは少し不安そうだったが、黙ってアルを見ていた。


「じゃあ“教養”の方は俺たちでサポートするから」


 と、ローが言うと、


「“情報”がんばれよ」


 と、タウも優しく言葉を添えた。


 ファイはシグマに目配せしながら、微笑んでいた。


 ◇


 その夜、部屋の灯りが落ちた後も、アルは天井を見つめていた。


 あの寺で過ごした日々――朝の鐘の音、禅問答、読み書き。

 笑い合い、競い合い、叱られながらも、同じ時間を過ごした仲間たち。


(あの頃は、未来なんて考える必要もなかったよな……)


 同じ時間を過ごした仲間たちと、今も一緒にいる。けれど──。


 「一人だけ、学年が上」と言われたその日から、何かがずれていた。


 それが今夜、言葉になって突きつけられた気がした。


『将来を決める、“行き先”だ』


(行き先かぁ……考えてなかったなぁ……)


 そう思ったとき、シグマの言葉が頭に浮かんだ。


『“情報”なら一教科で済むし、教養も赤点取らなきゃ進級できる』


(あいつ、そこまで考えてたんだ)


 “悪知恵”とローが言った。でもアルには、それが先のことを考えた結果だと分かっていた。


 1年違うだけでこんなにも早く進路を決めなければならない。そのことに戸惑いながらも、皆が気にかけ、調べてくれていたことが嬉しかった。


 (どこ行っても俺たち、一緒だよな……)


 そう考えながら目を閉じようとするが、ファイの言葉が頭を離れなかった。


 自分の未来を自分で選ぶ感覚。


選ぶということの責任を自覚させられ、アルは眠れずにいた。


 皆の寝息が静かに響く部屋。


 アルはベッドの中で、そっとタブレットを開いた。


“情報専科 オンライン講座 基礎編”


 アルは小さく息を吐き、画面を見つめた。


 タブレットの光が、静かな室内を淡く照らしていた。


 その光の中で、アルの瞳はわずかに揺れ、そして静かに息を吐いて言った。


「やってみるか、俺の人生だしな」


 そう心の中で呟き、どうせ眠れないならとポチリと画面をタップしたのだった。


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