第二章:牙は撫でれば丸くなる

「……っ、なんであたしがこんな格好で……!」


 鏡の中にいるのは、わたし――早乙女こまち。でも、ただの“あたし”じゃない。


 白いブラウスに、深緑の細身のベスト。黒いプリーツスカートは、丈が……短い。店の制服なのに、こんなのありかよ!? ってくらい、膝上十センチ。


 「遥のババアあああ……ッ!!」


 叫んだって仕方ないのは分かってる。けど、叫ばずにはいられなかった。


 これは――これは罠だ!!


 ⸻


 事の発端は、昨日のこと。


 喫茶店『月灯』の傘を返しに来たついでに、ちょっと店の掃除を手伝った。そしたら遥がニコニコしながら、


 「助かったわ。小さな看板娘、って感じで可愛いし」


 などと言い出した。


 わたしは「バカじゃねーの!? やるわけねーだろ!」と断った。断った、はずだった。


 ……なのに。


 「ほら。サイズ、ぴったり。というか、むしろ“ぴっちり”ね」


 「うるせぇ!! ピッチリって言うな!!」


 「だって、可愛いんだもの」


 はあぁぁぁぁぁ!?!?!?


 ⸻


 制服姿のわたしを見て、遥は頬に手を添えてうっとりしていた。


 「どう? 自分でも気に入った?」


 「気に入ってねぇ! これ、丈おかしいだろ!? お尻ギリギリなんだけど!?」


 「そこがいいのよ」


 「最低かよ!!」


 言ってる意味は理解できるけど、絶対に認めたくなかった。


 遥はというと、わたしの腰に手を添え、ちょっとスカートの位置を直した。いや、下に引っ張るとかじゃない。なんか、ウエストの位置を……持ち上げてきた。


 「ひっ……ちょ、ちょっとっ……なに触ってんだババア!!」


 「サイズ合わせよ? 大事な儀式だから」


 「その“儀式”のせいで羞恥で死にそうなんですけどぉおお!!」


 ⸻


 そんなやりとりを経て、気づけばわたしは、エプロンまで装備されてカウンターの中にいた。


 「……くそ……なんでこうなった……」


 遠くで鳴ってるレジの音が恨めしい。


 店内には、数人の常連客。昼下がり、雨上がり。ふわっと陽が差し込んで、店内は落ち着いた空気。……なのに、ひとりだけ発火寸前の人間がいる。


 もちろん、わたしだ。


 だって、だってさ――。


 「こまちちゃん、その紅茶のお代わりお願い」


 「……っ、ちょ、待て。あたしは店員じゃ――!」


 「照れない照れない。ちゃんと“いらっしゃいませ”って言うのよ?」


 「うるせえええええええ!!」


 もうやだこの女。ぜってー、黒いわこの人!!


 ⸻


 でも――その後も不思議だった。


 注文を取りに行くたび、「あの子、かわいいねぇ」「遥さんの新しい養子?」「この制服似合ってるなぁ」と、常連たちは優しかった。


 そして……遥も。


 「よくがんばったわね、こまち」


 「……別に、あたしは頼まれてやってるわけじゃ……っ」


 「ご褒美、いる?」


 「はあ!? いらねぇし!」


 「……ほんとに?」


 「な、なにを――」


 遥の手が、わたしの頭にぽん、と置かれる。


 その瞬間、脳みそにバグが起きた。


 「あっ……」


 やべ。声出た。


 やっば。見られた。これ、絶対顔真っ赤だ。


 遥は、にっこり笑って――。


 「こまち、ほんと撫でるとすぐおとなしくなるわね」


 「う“わあああああああああ!!」


 店の奥まで響き渡る叫び声。


 スカートが揺れて、恥ずかしさが全身に伝染していく。


 ⸻


 その日の夜。


 自室のベッドの上で、抱き枕に顔をうずめながら、わたしは叫んでいた。


 「くっそおおおお!! なんなんだよあの人ぉぉぉぉ!!」


 ガサガサと枕を叩く。跳ねる。転がる。


 「撫でて……頭撫でて……ちょっとだけ嬉しかったのが……悔しい……!!」


 そのうち、目元がじんわりしてきた。


 どうしてこんなに悔しいんだろう。


 「なんで、嬉しいとか思っちまったんだよ……」


 わからない。


 あの人の手、あったかくて、柔らかくて、……なんか、懐かしい気がした。


 わたし、バカだ。


 ⸻


 翌日。


 わたしは、また『月灯』のドアを開けていた。


 「いらっしゃい、こまち」


 「……うるせえ。今日は手伝わねーからな。制服も着ねぇからな」


 「そう? でも今日のこまち、制服なくてもすごく可愛いわ」


 「うあああああ!? やめろその顔で言うな!!」


 「ふふっ」


 こいつ……こいつほんとに、毎回毎回……。


 「……撫でんなよ」


 「まだ何もしてないわ?」


 「今からする顔だった!」


 「ばれたか」


 「ばれてるわ!!」


 そして、また今日も、わたしは転がされる。


 この店の大人の女に。言葉に。手に。視線に。


 ちいさな牙は、今日も、撫でられて、へにゃんと曲がる。


(第2章・了)

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