第30話 惜別 ③

髪留めさえ重く感じるようになり、最近は装飾品をほとんど身に着けなくなっている。

唯一付けている左手の小指に嵌った指飾りは、祖父のヘンリー元王の形見の品だ。

その指飾りにそっと手を触れると、祖父のヘンリー元国王との最期の時間が目の前に広がった。



◆◆◆

国王ヘンリーの臨終に際し、王族が隣室に控えていた。

最初に寝室に呼ばれたのは王太子である父リチャードと兄のジョージだった。

王妃の首飾りを握りしめて退出してきた父と兄は、扉の側に控えていた母バーバラを突き飛ばす様に押しのけ、バランスを崩した母には見向きもせずにシェリル様と弟チャールズの元へ駆け寄り、興奮した面持ちで母の王妃が孤島に幽閉されていた事と幽閉先から護衛と共に姿を消して行方が分からない事を蒼白な顔で訴えている。


この部屋の中でそれを知らぬものは父リチャードと兄ジョージだけ。

誰も驚かぬことに疑問を抱かず慰め合う二人を尻目に、血縁者が次々と寝室に呼ばれていく。


第一王女のアメリア・フォン・グレイ公爵夫人は式典用の指飾りを贈られ、涙を堪えて退出し、夫のグレイ公爵に肩を支えられている。

弟のチャールズは、留学中のもう一人の弟ルイスに宛てた手紙と、それぞれに贈られた指輪を握りしめてシェリル妃に寄り添われて俯いている。

父のリチャードは、いつものように母のバーバラに見向きもせず三人を抱えるように手を取り背を撫でていた。


最後に招き入れられたのは、ホーエン公爵と私だった。

国王ヘンリーとホーエン公爵アレクシスは、言葉を交わすことなく固く両手を取り合い頷き合っている。

こうして並ぶと、二人は普段間近で接している私でさえ見分けがつかないほどによく似ている。


ヘンリー国王は私を枕元に呼び、いたずらっ子のように微笑んで内緒話をするように囁いた。


「私とアレクはね、双子なんだ」


目を瞠った私に、まだ内緒だよと言って話を続けた。


「この国の後の事は、アレクと既に長い間話し合って決めている。

アレクがオルレシアン王国のヴォルク大公の下で育ったことはこの国の僥倖だった。

そのおかげで、遅過ぎはしたが、私の命のあるうちに国を正す道筋をつける事が出来た。

乳母の弟だったカッセル侯爵の影響力が強く、母である先王妃の実家のヴォルク大公家も手出しが出来なかったために、私はカッセル侯爵の傀儡のように育てられてしまったのだ。

重臣たちがカッセル侯爵家の増長を危ぶんで、その力を抑える為に議会で決められたサフォーク侯爵家のマリアンナ嬢との婚約だったにもかかわらず、私は虐げた挙句にあのような形でサフォーク侯爵家ごと国を捨てさせてしまった。

私は、私に都合の良い甘い言葉だけを掛ける貴族たちにしか目を向けていなかった。

その外で高位貴族たちから向けられる寛大な冷笑に気付いてさえいなかった。

アレクに決断を迫られて王妃を幽閉しカッセル侯爵から離れ、漸く周りが見えるようになり人々の声が聞こえるようになったのだ。それ以来、過去を振り返っては羞恥に身を焼かれるような日々だった。私は何という愚か者だったか。

ヴォルク大公とアレクの支えがなければ、私は愚物のまま利用されこの国はカッセル侯爵に簒奪されていただろう」


苦し気に胸を押さえ、肩で息をする王の背中をホーエン公爵がさすり、少し落ち着くと話を続けた。


「王妃は、カッセル侯爵が孕ませた侍女を派閥の子爵家に下賜して生まれた、カッセル侯爵の庶子だ。カッセル侯爵家が躍起になって広めていた[輝く金髪に翡翠色の瞳]は、我が王家ではなくカッセル侯爵家に伝わる色だ。

対して、我が王家の男から遺伝する左手の小指の遺伝は、母親の血筋に左右されると広められているが、そうではなく、父親から必ず子に出現する。

私は捻じ曲げて伝えられたこれらの言葉を鵜呑みにし、真実に目を向けるのが遅すぎた」


国王はふと目を細め、緊張で強張る私の頬をそっと撫でて続けた。


「聡いそなたにはみなまで言うまい。

バーバラを責めてはいけないよ。

婚約時にホーエン公爵を立会人として王家とガレリア侯爵家が結んだ契約書には、王太子妃の責務として「王家の子」を産むことと記載されている。

その為にバーバラには惨い事を強いてしまったし、そなたにも辛い思いをさせてしまった。

本当にすまない事をした。

愚かな私を許してくれとは言えない。

だが、これだけは言わせて欲しい。

そなたは私の自慢の孫娘、我が王家の誇りだ」


掠れた声を絞り出すように話し終わると、最後の力を振り絞るように自分の指に嵌った指飾りを外して私の指に嵌めると、肩の荷を下ろしたように静かに息を引き取った。

その手を取って最期を看取った後、ホーエン公爵の威厳を纏ったアレクおじい様に促されて、王女の威勢を正した私は国王崩御の号令を発した。

それは国王の最期を看取った者の義務であり、また、その号令を発した者は亡き国王の最も信頼する人物であるという宣言でもあった。


◇◇◇

撫でていた指飾りからふと顔を上げると、額縁の中からバーバラお母様とトビアス閣下が寄り添って覗き込むように私に笑顔を向けている。


祖父ヘンリー国王の葬儀の後、バーバラお母様とトビアス閣下は私の様子から恐らく真実であろう事実に確信を得たことに気付いていたようだが、二人ともそれまでと変わらない態度で私に接してくれた。

物心ついた頃からずっと、頭を撫でてくれる度、泣いていると寄り添って涙を拭いて慰めてくれる度、一人で不安な時にふわりと抱き上げてくれる度、あぁこの方がお父様だったらどんなに良いだろうと心の底から憧れていた。

もちろん、真実は神のみぞ知る事だが、それが現実だと思えることが何より嬉しかった。

それ以来、あれ程顔色を窺いその表情に一喜一憂していた側妃宮の住人から、どんなに無視されようが冷遇されようが全く気にならなくなった。


だって私には心から愛して慈しんでくれる家族がたくさんいるのだもの。

その家族みんなを愛する事で私はとても忙しいの。

赤の他人にどう思われようが、そんな事どうでもかまわないわ。


それからもずっと、私たちは変わらずトビアス閣下、ビアンカ殿下と呼び合った。

心が通じ合っていれば、呼び名など些細な事だった。


二人は、補佐として支えていた王太子フィリップの成人を見届けた後、王宮を辞してガレリア侯爵家の別邸に移り住み、二人で穏やかな晩年を過ごしていた。

お母様は、領地の隣り合うフォルン伯爵家の別邸で暮らす、女男爵となったシェリル様と、少女の頃のようにフォルン領とガレリア領の境に跨る湖のほとりの一番大きな椎の木の下でよくのんびり過ごしていたそうだ。

体の弱かったシェリル様が早くに旅立たれた後は、お母様とトビアス閣下が椎の木の下で寄り添って過ごしていると、フォルン伯爵を継いだ弟のチャールズから届く手紙で伝え聞いていた。大変な筆まめだったチャールズから届くまるで日記のような手紙を私は心待ちにしていて、おかげでガレリア侯爵領の出来事はまるで見ているかのように知ることが出来たのだった。

数年前からもう届く事の無くなった手紙の束を手に取ると、会えば必ず開口一番に言われていた言葉が耳元に響いた。


『姉様、手紙の返事が少なすぎます』


思わず、額縁の向こうで腕を組んで満足げな笑顔を向けるチャールズに返事をした。


「ごめんなさいねチャーリー、そちらに行ったら頑張るわ。貴方の手紙はいつもとても楽しみにしていたのよ。ありがとう」


そうしてお母様とトビアス閣下のポートレートを手に取った。


トビアス閣下と二人でお母様を見送ってからほんの一月足らず、トビアス閣下も後を追うように最期を迎えた。

天に召される直前、トビアス閣下は窓の外を見やって小さく呟いた。


「あぁ、私の大切な小鳥が迎えに来てくれた」


そう言って私の頬に手を伸ばし、子供の頃にこの方が父であればと憧れ続けていたあの柔らかに輝く瞳に私を映すと、最期の言葉を残して小鳥と共に飛び立ってしまった。


「私たちの可愛い雛鳥」



額縁の向こうの二人に笑顔を返して、そちらに行けばお父様と呼ばせてもらえるかしらと独り言ちた。


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