第7話# 最終話さあ、開け、光の扉! いざ、シンデレラ城へ!
## 最終話
例の「共同研究」の約束から数日後の夜。わたしは少しだけソワソワしながら、その時を待っていた。
今日の部屋着は、ヨレヨレのスウェットじゃない。ちょっと奮発して買った、肌触りのいいジェラートなんとかっていう、女子力の高そうなやつだ(笑)。王子様と会うのに、スウェットじゃ失礼だからね!
スマホの画面が21時59分58秒を指す。
ごくり、と喉が鳴る。階上の高橋さんも、今、同じように固唾を飲んでいるだろうか。
ピ、ピ、ピ、ポーン。
時報の音と寸分たがわず、わたしはアナログ時計の針を「0時」に合わせた。
さあ、開け、光の扉! いざ、シンデレラ城へ!
……しーん。
目の前には、見慣れたユニットバスの壁があるだけ。陽炎も、光の粒子も現れない。
「え?」
おかしいな。タイミングがずれた?
わたしはもう一度、時計の針をぐるりと回し、神経を集中させて「0時」にセットする。
しーん。
何度やっても、結果は同じ。壁はただの冷たい壁のままだった。
試しに「5時」にしてみる。開かない。「5時30分」は? やっぱりダメだ。
まるで、今までのが全部夢だったかのように、不思議な通路は跡形もなく消えてしまった。
嘘でしょ…。
わたしの、唯一の楽しみが…。
楽しかった冒険の日々が、頭の中を駆け巡る。初めて見つけた秘密の露天風呂。桜の花びら、金の葉っぱ、銀の砂。旅館の美味しい夜食。そして、高橋さんとの、あの抱腹絶倒の王子様ごっこ。
灰色だったわたしの毎日を、カラフルに彩ってくれた魔法が、終わってしまった。
どっと疲れが押し寄せて、わたしはその場にぺたんと座り込んだ。
アナログ時計の秒針が、カチ、カチ、と無情に時を刻む音だけが、静かなバスルームに響いていた。
その時だった。
ピンポーン。
無機質なインターホンの音が、部屋に響いた。モニターを見ると、そこには少し気まずそうな顔をした高橋さんが映っていた。
『あの、佐藤さん。そっちはどうです? こっちは、全然ダメで…』
モニター越しの彼の声を聞いたら、急に涙がこみ上げてきた。
「こっちも、ダメです…。もう、開かないみたい…」
声が震える。
『…そうですか』
少しの沈黙の後、高橋さんが何かを言いかけた。その時、わたしは気づいた。モニターの向こうじゃない。玄関のドアのすぐ外から、彼の声が聞こえる。
慌てて玄関に走り、ドアを開けると、そこにはスマホを片手にした高橋さんが立っていた。
「あの…」
「高橋さん…」
お互い、かける言葉が見つからない。魔法が解けてしまった今、わたしたちはただの「ご近所さん」に戻ってしまったのだ。その事実が、ずしりと重くのしかかる。
しょんぼりと俯くわたしを見て、高橋さんは少し照れたように、ぽりぽりと頭を掻いた。
そして、ぼそりと呟く。
「別に、あの場所じゃなくても…話くらい、できますよね」
「え?」
「だから、」
彼は少しだけ意を決したように、まっすぐにわたしを見た。
「魔法がなくても、こうやって会えるじゃないですか」
その言葉に、わたしはハッとした。
そうだ。わたしはいつからか、不思議な世界に行くことそのものよりも、そこで高橋さんと会って、くだらない話をして笑うのが、一番の楽しみになっていたんだ。
温泉で鉢合わせるドキドキも、王子様ごっこでの大爆笑も、全部、高橋さんがいたから楽しかったんだ。
「…そう、ですね」
じわじわと、胸の中に温かいものが広がっていく。
魔法は解けてしまったけれど、もっと大切なものが、ちゃんとここにある。
「あの、佐藤さん」
「はい」
「飲みに行きません? あの…奢りますから。共同研究の、打ち上げってことで」
少し早口で、でも真剣な彼の誘いに、わたしは最高の笑顔で頷いた。
「はい! 行きます!」
---
後日。朝5時。
クリーム色のアナログ時計が、ジリリリリッ!と元気に鳴り響く。
わたしはそれを止め、いつものようにバスルームへ向かう。目の前の壁は、もう揺らめくことはない。
でも、不思議と寂しくはなかった。
だって、今日は高橋さんと、週末に行く日帰り温泉の計画を立てる約束があるのだ。二人でガイドブックを広げて、あーでもないこーでもないと話す時間は、魔法よりもずっと楽しくて、きらきらしている。
平凡な日常に戻った。
でも、もう「地味で平凡」だなんて思わない。隣に、一緒に笑ってくれる人がいるだけで、世界はこんなにも色鮮やかに見えるのだから。
わたしと高橋さんの、ちょっと不思議で、最高に愉快だった冒険は終わった。
そして、新しい物語が、今まさに始まろうとしている。
めでたし、めでたし(笑)。
魔法がなくても、きみに会いたい 志乃原七海 @09093495732p
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。魔法がなくても、きみに会いたいの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます