夏の終わりに君と
塩焼きそば @SAL所属
全ての瞬間を君と
昔から地元は好きじゃなかった。
田舎だし、退屈だし。
車の運転は皆荒いし、その癖、車社会だし。
もう何年目になるのだろうか。
僕がこの街で夏を過ごすのは。
汗をかくのも好きじゃないし、人混みもあまり得意じゃない僕は、祭りの時期であるこの季節が、実を言うと苦手だった。
外に出れば、皆楽しそうに笑ってて、汗ばむ首筋のことなんか気にもせず力強く、その足で夏を踏みしめている。
今年もいつも通り、例年通り、何もない夏が始まって終わっていくのだと思っていた。
「ねえ、そっちに遊び行ってもいい?」
部屋のエアコンが冷やしているのに、体温が上がった気がした。
あなたはいつもそうだ。
無邪気に笑って、僕の目の前に現れる。
断る理由もないし、退屈な夏がほんの少しだけ楽しみになるだけでもありがたい。
僕は、二つ返事で彼女の提案を受け入れた。
「そうだなぁ、日程的に九月の頭になるかなー。でも夏休みが終わって、逆にいいタイミングかもよ? バイク乗ってるんでしょ? 後ろ乗せてよ!」
いつもそうだ。
僕は君の言葉をそのまま受け入れる。
文句は何もない。
懸念があるとすれば、こんな何もない田舎にあなたが来て、楽しめるだろうかということ。
何もないこの街。
自然に囲まれて、流行りに取り残された街。
そんな場所で、君はいつも通り笑ってくれるだろうか。
約束の日は、あっという間に来た。
普通は高速バスで来るのだけれど、今回は飛行機を勧めた。
理由は、単純。
その方が、圧倒的に早く着くから。
片道五時間もかけてバスに揺られるより、飛行機で三十分で移動を終える方が賢いと思ったから、僕はそう勧めたのだ。
時期的なものもあり、飛行機のチケットはかなり安く予約できたようだ。
空港に、朝の風を浴びながらバイクを走らせる。
背中に背負ったリュックにはもう一つヘルメットが入っている。
「二人乗りでカッコ悪いとこ見せないように気をつけなきゃ」
誰に聞かれてるわけでもないのに、小さく呟いて、僕は気を引き締めてハンドルを握り直す。
九月一日、午前八時。
宮崎ブーゲンビリア空港に福岡発の飛行機が到着した。
「久しぶりーっ! こっちは暑いねぇ! お迎えありがとう」
会うのは半年ぶりくらいなのに、僕も自然と久しぶりと応えていた。
以前と変わらない屈託のない笑顔。
以前と変わらない元気な声。
全てが記憶のまま、僕のよく知る君そのものだった。
「せっかく宮崎に来てくれたんだし、海に行こう」
二人で空港の中を並んで歩く。
違和感はある。
この街で君と歩く日が来るなんて、想像したこともなかったから。
「バイクどこ停めたの?」
「ちょっと離れたとこに停めてるよ、駐車場の係の人がそこならタダで停めていいって」
「へぇー、優しいね! いきなりいいことあったね」
小さなことにも感謝して、素直に言葉にできる。
君の良いところだ。
「あ、これ? かっこいいねぇ! バイクかぁー、私も免許取ろうかな。そしたら、一緒にツーリングできるよね」
「確かに……でも、君はせっかちだからなぁ」
「へへ、それはそう! まぁいいっか! こうして後ろに乗るのもきっと楽しいし」
いつも乗ってるバイクに、僕が跨ると、そっと君が後ろに乗ってくる。
それだけで、いつもとは違う何かが始まった気がした。
ドラマや映画のように格好いいことは言えないけれど、せめて君が少しでも楽しめるように。
エンジンが音を立てて回り始め、バイクはゆっくりと進みだす。
朝とは言え、日差しは強い。
それでも、全身で浴びる風は気持ちよかった。
僕たちは、海沿いを走り、夏の残り香を満喫する。
横を通り過ぎていく車から向けられる視線なんか、全く気にならない。
遠慮がちに背中を掴む手が、少しでも安心できるように、ハンドルを丁寧に操作する。
最初に着いたのは青島神社。
地元の人は滅多に来ないけれど、割と有名な観光地だ。
狙い通り、人足は少なく、のんびり歩くには最高の空間だった。
「あっついねぇー! あ、かき氷あるよ! 食べよ! シロップ二つ選べるんだって。一個ずつ選ぼうよ」
「はいはい、君はいちごでしょ?」
「え、なんでわかるの?」
「アイスはいちご味って前言ってたでしょ?」
「ふへへ、正解っ!」
「それで、あと一個気になってるのがあるんだよね? 僕のことはいいから、気にせず選んでいいよ」
「流石ぁー、よくわかってるねぇ。じゃ、宮崎っぽくマンゴーがいいっ!」
日焼けが似合うおじちゃんに、注文を一つ。
君には先に影のある場所を探してもらった。
「おじちゃん、この日向夏ジュース……氷多めで一個ください」
かき氷とジュースを片手に、君の元へ向かうと、木々の影に覆われたベンチで海を眺める横顔を見つけた。
君との付き合いはかれこれ六年近くになるけれど、こうして二人で出かけるのは本当に久しぶりだった。
仕事で出張したり、何かのお祝いで出かけることはあったけれど、そのどれとも違う。
ただ、この時間を思い切り楽しむためだけに一緒にいるのは、思えば初めてかもしれない。
「はい、お待たせ」
「ジュースもある! 美味しそうだね、色も綺麗」
「うん、美味しいよ。海を目の前に飲んだら、きっと倍は美味い」
「じゃ、一緒に飲も」
木陰が揺れ、心地いい風と共に海の香りが僕と君の間を通り抜ける。
波の音も、風の音も。
遠くではしゃぐ人の声も。
全てがこの空間に必要なものだと思った。
「もう、幸せなんだけど」
「あはは、早いって」
「私が海好きなのも、知ってるでしょ? 向こうで見る海と全然違うし、こうして私がマイペースにぼんやりしてても、何も言わずに横にいてくれるよね。なんか、全部が心地いいなぁ」
日差しのせいか、日焼けのせいか。
僕の顔が赤くなっていないことを祈るばかりだ。
青島神社では、縁結びの神様がいると言われていて、パワースポットととして多くの人が訪れるらしい。
僕たちも例に倣い、砂浜を渡り、離れ島となっている神社の本堂へ向かう。
神社の作法はお互い知っている。
こういう場所が、好きな者同士。
自然と動きがリンクする。
願いを神様に届けるというのは、一体どれほどの意味があるのかわからないけれど、隣で真剣に手を合わせる君をみていると、この子の願いくらいは叶ってほしいなと、凡人の僕は思う。
どんな日常を送って、この地に来てくれたのかはわからない。
忙しなく働いて、色んな人たちに囲まれて。
人との繋がりを大切にできる君だからこその悩みもあるかもしれない。
「よしっ、たくさんお願いして、たくさんお礼も言った! 満足っ!」
作法は心得ていても、その心持ちが正しいかは怪しかった。
それでも、笑ってる君に苦言を呈する気にはならない。
願い事は、結局のところ自分で叶えるしかないのだから。
それならば、悩んで沈んでいくよりも、胸を張って笑っている方がいいのかもしれないと、少しだけ納得した。
「次はどこいくの?」
「この先に、堀切峠ってところがあるからそこでここよりも大きな海を見せたいんだよね」
「いいねぇー! 行こう行こう!」
バイクに跨り、青島の海岸線をゆっくりと走っていく。
堀切峠はバイカーにとって、聖地とも言える場所らしい。
太平洋を一望できて、海岸沿いの道を長く走ることのできる道は、最高と言っても過言ではない。
そのスタート地点にあるのが、「道の駅、堀切峠」である。
バイクが坂道を登っていく。
木々が作る自然のトンネルの先に、青一面が遠くに見え始めた。
少しアクセルを緩め、少しでも長く、その景色を堪能できるように車体を安定させる。
「うわーーー! 広ーーーいっ!」
どこまでも続く水平線と、雲ひとつない青空。
背中から、君の興奮が伝わってくる。
「やばいよ! こんなに青いの? めっちゃ綺麗!」
こんなに喜んでもらえるのなら、この水平線も青空も、きっと本望だろう。
バイクは風を切り、視界いっぱいの海を僕たちは堪能する。
時刻は正午を指そうとしていた。
「道の駅 堀切峠」は予想通り、数台のバイクと、観光客の家族が数組、平日の昼間とは思えない賑わいではあったけれど、シーズンに比べるとだいぶ過ごしやすかった。
「気持ちいいね、こんなに視界いっぱいに海があるって最高っ! 宮崎、良いところだね。もう好きになってきた」
「そう言ってもらえて、連れてきた甲斐があったよ」
二人で、遠くの水平線を眺めながら、自販機で買った炭酸を飲む。
「そろそろお腹空いてきたんじゃない?」
「流石、私のお腹のことまでわかってるんだよねー。安心して任せられるよ」
「じゃ、もう少し海を見てからとっておきのお店に連れてって差し上げましょう、姫」
「あはは、じゃよろしくお願いしようかな」
海は緩やかに揺蕩い、目の前に広がっている。
こういうのを、なんと言うのだろう。
こんな気持ちを、皆はなんと言うのだろう。
「あ、一枚写真撮ってよ。バイクの前に跨ってる写真!」
「いいよ、きっと僕より似合うから。じゃ、せっかくだし青空と海を背景に撮ろうか。バイク移動させてくるから、あの辺りの木陰で待ってて」
「はーい」
僕はこの時に撮った写真をずっと忘れないだろう。
最高のロケーションに、最高に格好良い君が笑っている。
結果、六枚も撮ってしまったけれど、本人が大満足してくれているから、良いとしよう。
その後、僕たちは青島から少し市内に戻る途中にあるハンバーガー屋に来ていた。
宮崎はサーフィン文化が根強く、県外や海外からも多くのサーファーたちが来るのだけれど、そんな人たちが愛するハンバーガー屋が、僕が連れてきたかった店だ。
鉄板で丁寧に焼き上げてくれるハンバーガーは暑い夏にピッタリだ。
男の僕でもお腹いっぱいになるほどのボリュームだけれど、君は嬉しそうに、そして楽しそうに頬張っていた。
「普段ハンバーガー食べないから知らなかったけど、こういうところのハンバーガーは本場って感じで美味しいね! ありがとう。私だけじゃ選ばないものをいつも選んでくれて。いっぱい新しいことを知れて、楽しいね」
それは、きっと僕が言うべき言葉だったのだろう。
感謝するのは僕のほうだ。
いつも元気な君を見て、僕がどれだけ救われているか、きっと君は知らないのだろう。
そのほんの少しでも返せていたらいいなとこっそり思う。
お互いのお腹も満たされ、次なら目的地は山だ。
そう、山。
海ときたら、次は山。
宮崎は、飽きるほど自然に溢れた県であり、そういう方面での案内には全く困らない。
「次はどこ連れて行ってくれるの? それとも一旦ホテル行って休む? ずっと運転だと疲れるでしょ? 私はなーんでも楽しいから、好きにしていいからね」
「じゃ、もう一個だけ行ったら、ホテルにチェックインしようかな。だから、もう一箇所付き合って」
「おっけー! わくわくだね」
宮崎には、山はいくらでもあるけれど、僕が君を連れていくのは綾町の照葉樹林に囲まれた山だ。
今は確か違うけれど、数年前まで世界最大規模の吊り橋で有名な場所、照葉大吊橋。
綾南川を上流に向かってひたすら登り、空気も涼しく感じるほどの山の中。
水面からの高さは百四十二メートル。
橋の長さは二百五十メートル。
連れてきた僕が言うのもおかしな話だけれど、この橋を渡るのは本当に勇気がいる。
高所恐怖症の僕は、ここに来ても、いつも皆の帰りを待つだけだった。
「すっごーーーい! 高いし、涼しいし、気持ちいい! あ、怖いんでしょー? 手、握ってあげよっか?」
「下さえ見なければ大丈夫……多分。いや、無理かも、肩貸してもらっていい?」
いつもは歩かないのに。
永遠に近い戦いに身を投じる勇気を、君は簡単にくれるんだ。
ずるいなぁ。
「頑張れ頑張れー。本当は一人でもいいって言いたかったけど、来てくれそうだったから。一緒の方が楽しいもんね」
「俺は今恐怖と戦ってるけどね? まあ、楽しそうでなによりなんだけどさ」
「へへへ、私といたらどんどんいろんなことできるようになってくねぇ」
「そうだねー、ありがたいねー」
「棒読みじゃん」
わかってる。
きっと、君に救われている人は沢山いるのだろう。
それが聞かなくてもわかることが、誇らしくも嬉しくもある。
これは、きっと恋愛感情とは違う。
僕はずっと、そう思っている。
三百六十度照葉樹林に囲まれ、マイナスイオンを浴びるだけ浴びた僕たちは、再びバイクに跨り、今夜泊まるホテルへと向かう。
フェニックス・シーガイア・オーシャン・タワー。
宮崎で最も有名なホテルだと思うけれど、地元に住んでいる僕は当然のように泊まったことなんて一度もなかった。
泊まりたいとさえ思ったことはない。
現地に住んでいる者は、大体そういうものだと思う。
でも、君が泊まりたいと言ってきた時、そこまで魅力的なものなのかと疑心暗鬼ではあったけれど、一緒に泊まることに決めた。
気まぐれというか、せっかく来てもらったのに夜はあっさり解散と言うのも申し訳ないという気持ちもあった。
しかし、そんな懸念や心配は一瞬で吹き飛んだ。
「え……こんなにすごいのここ?」
「なんで地元の人が驚いでんの? 私の友だちも、シーガイアは泊まりたいって言ってたよ?」
「いや、宮崎に住んでたら、泊まる機会ないし。でも、これはちょっと期待以上だった」
「あはは、良かったね! バーとか温泉とかもあるし、あとで一緒に行こ」
お互い、部屋に荷物を持って行き、軽くシャワーを浴びて、エントランスで待ち合わせることにする。
部屋から見える景色は、想像よりも遥かに綺麗で、まさしく絶景だった。
「夜ご飯どうしよっか、もしかして何か決めててくれてたりする?」
「地鶏か宮崎牛、どっちがいい?」
「うわー、悩む! 決めてよ、どっちに行っても絶対美味しいのはわかるけど、私優柔不断だからさ」
「じゃー、宮崎牛で」
「よーし、レッツゴー」
「みやちく」と聞いて、ピンと来る人がどれだけいるのかはわからないけれど、少なくとも九州ではそこそこ知名度のある店だ。
日本を代表する宮崎牛を目の前でシェフが丁寧に焼いてくれる。
目でも楽しめる最高の店である。
僕も何度か来たことはあるけれど、今までの人生でここ以上に美味しいステーキは食べたことがない。
自信を持って紹介できるお店なのだ。
ディナーはコースのみで、部位ごとにコースが決められている。
「また悩むよぉー。モモも良いなぁ、でもロースも食べたい」
「じゃ、僕がこっちのミックス頼むから、君はロースを頼みなよ。シェアすれば色々食べれるでしょ?」
「いいの? 嬉しい」
「ん、いいよ」
僕たちは、分厚くも美しい肉が丁寧に焼かれる様を、子どもが宝石箱を覗き込むように見つめて、楽しんだ。
肉の焼ける匂い、音。
全てが食欲を刺激して、すでに幸せだった。
お互い、そこそこいい大人と言ってもいい年齢だ。
それなりに舌は肥えているのに、美味しいものは何度食べても、いつ食べても最高だ。
口の中で溶けてしまうステーキに、少しだけ寂しさを感じるけれど、それもまた美味しさの証なのだろう。
言葉にならない感動を、僕は君と目を合わせることで共有する。
僕たちの食べる速度に合わせて、ゆっくりと肉は焼かれていく。
間に茄子や小松菜などのステーキも出され、それすらも感動ものだった。
コースのメニューを食べ終わった時、僕も君も、頬は緩み、さぞかしだらしない顔をしていただろう。
この店を選んだよかったと、本当に思った。
「美味しかったぁ、お肉がなくなっていくのが悲しかった」
「うん、顔に出てたよ」
「幸せだね、こんないい場所で色んな景色見て楽しんで、美味しいもの沢山食べれて。こういうのを一緒に共有できる相手って、改めて貴重だし、ありがたいね」
「そうだね、僕もそう思うよ」
「ね、バー行かない? ホテルにあったよね! 少し散歩して、バー行って、お部屋でお菓子食べながらもう少しだけ飲もうよ」
「満喫しようとしてるねぇ、賛成」
不思議だと思う。
普段なら、一人の時間が欲しいとか、夜くらいはゆっくりしたいとか、斜に構えたこと思う癖に、横に君がいて、ほんの少し目を輝かせるだけで、そんな考えは一ミリも湧いてこないのだから。
ホテルにバイクを停め、その足でホテルに併設されているナイトプールへと向かった。
シーズンを過ぎているため、遊泳禁止の看板は建てられていたけれど、ライトアップされ、鮮やかに照らされるプールはとても綺麗だった。
人もほとんどいなく、静かだった。
遠くで、鈴虫のような音も聞こえる。
小さく揺れる水面を見ながら、プール横のハンモックにそれぞれ身を任せて目を閉じる。
軽い散歩のつもりが、こんなにも穏やかな空間があるとは思わなかった。
「非日常って感じなのに、こんなにも落ち着くっていいね」
「あー、それはすごくわかる。宮崎にこんな場所があるってもっと早く知りたかったよ」
「えー、でもそしたら今日ここに来てなかったかもしれないよ?」
「意地悪なこと言うね」
「えへへ、いいじゃん。一緒に感動を体験できたってことでさ」
「姫のおっしゃる通りだよ、ほんとに」
二人で笑い合った。
バーは、プールのすぐ近くにも一軒あって、お洒落な空間を演出していた。
自然と二人でそこへ向かい、迷うことなく入店。
僕が頼んだのはキウイのカクテル。
君が頼んだのはパッションフルーツのカクテル。
ナッツも頼んで、一杯ずつ、ゆっくりと味わった。
「こういうお店ってさ、私も知ってはいるけど、一緒に来る人は選んじゃうよね」
「小さな価値観の違いとかで、楽しめなくなったりするからね。確かに、誰とでも来たいとは思わないかも」
「そうなの! わかってくれると思ったぁ。前から思ってたけどさ、私たち似てるとこ多いよね」
「あはは、確かに。好きなものとか、大切にしてるものとかは結構同じだしね」
時計の針は二十三時を指していた。
施設が一日の営業を終えようとする時刻。
僕たちは、グラスに残ったカクテルを一気に流し込み、席を立った。
一日の終わりに、美味しいカクテルと最高の雰囲気を味わえたのだ。
ご満悦もいいところだった。
「ナッツは部屋に持って帰って、ビールでも飲みながら語りますか!」
バーでは見せなかった、無邪気な笑顔で君は言う。
断る理由を僕は持ち合わせていない。
「明日もあるから、あんまり夜更かしはしないようにね」
「はーい。あ、朝起こしてよ。朝風呂行こうよ」
「はいはい、任せなさい」
結局、その後僕たちは夜中の三時過ぎまで語り合った。
大人になったなと感じた話。
共通の知り合いの近況の話。
これからやりたいことの話。
君を部屋まで送り、自分の部屋に戻った時、部屋の広さと静かさに少し落ち着かなかったのはナイショの話だ。
翌朝、僕たちは朝風呂として、露天風呂を堪能した。
松林から朝日が覗き、虫たちが元気に鳴いている。
一日のスタートに、これ以上はないだろう。
部屋に戻って、一杯ずつ二人でコーヒーを飲んで、今日の予定を決めていく。
「帰りの飛行機が、夜八時だから……七時には空港にいないとかな」
「ん、わかった。チェックアウトしたら、そのままお昼ご飯食べに行こうか。連れて行きたいお店は決めてるから」
「わかった、前教えてくれた鰻でしょ?」
「正解、少しだけ距離はあるんだけど、後悔はさせないよ」
「後悔なんてしないよ、だって今まで連れてってくれたお店で満足しなかったことないし」
僕が連れて行こうと思ったのは、「うなぎ処 もりやま」という高岡町にある鰻屋。
市内から少し走ると、山道に入るのだけれど、その中にポツンとある名店だ。
バイクで四十分ほど走って、僕たちは目的の店に辿り着いた。
平日ということもあって、すぐに席に案内してもらえた。
「鰻丼がいい!」
「間違いないね、じゃ僕はこっちのうなぎ定食頼むから、少しずつ食べていいよ」
君は鰻丼が運ばれると、子どものように笑って、口いっぱいに頬張って、鰻を堪能していた。
「こっちの定食にはさ、鰻の蒲焼と塩焼き、それと鰻の南蛮漬け、うな玉があるから……塩焼きはぜひ食べてほしい」
「いいの? すっごい分厚いよね。こんなに分厚いの食べたことないよ! じゃ、お言葉に甘えて……いただきます。んーーー美味しいっ!」
「美味しいよね、好きなだけ食べていいよ」
美味しいものは、どうしてこんなにも心を満たしてくれるのだろうか。
この瞬間のために、日々を頑張ることすらできてしまいそうだ。
僕もしっかりと鰻を堪能したし、君もきっとそうだったと思う。
表情を見れば、誰でもわかってしまうだろう。
「はぁー、お腹いっぱいだぁ」
「いっぱい食べたね、次の目的地はすぐ近くだからそんなに揺られないと思うよ」
「ありがとう、いつもいろんなことに気を回してくれるよね」
「そう? あんまり意識はしてないけど」
「うん、それが良いところだよね。自然とそういう風に人に優しくできるんだね」
「そんなにいいもんじゃない気がするけど」
「照れてる?」
「ほら、出発するよ」
バイクが山道をゆっくりと走っていく。
目的地は、綾町にあるクラフト城。
正式には綾城/国際クラフトの城というらしいのだけれど、いわゆる伝統工芸を体験できる場所なのだ。
僕はもともとこういう遊びが好きだったこともあり、子どもの頃から何度も来ている場所だった。
「山の中に、お城があるんだね。ここで何するの?」
「今回は機織り体験を一緒にやってみようと思ってね」
「機織り? 鶴の恩返しのやつ?」
「あはは、そうそう。それで合ってる」
実際、綾城では機織りや陶芸、去年までは藍染めの体験ができる場所として、コアな観光客が訪れる場所として有名だった。
機織り体験は、実に有意義だった。
僕たちの倍以上を生きてきた大先輩である職人さんがマンツーマンで丁寧に教えてくれる。
「二人はなんとも言えないいい空気を纏ってますね」
職人さんが、僕たちの作業を見守りながら優しく言った。
「波長が似ていて、言葉を交わさずとも通じ合ってる」
思わず、僕たちは目を合わせて笑った。
そんなことを第三者から言われるのは初めてだったから。
「二人とも、いい模様になってますよ。機織りっちゅうのはね、その人そのものが表れるんですよ」
僕たちは、揃って話の続きを聞き入った。
「縦糸と横糸ちゅうもんがあるでしょ? 縦糸は自分がやりたいことや斯くありたいと思う自分を表すんですわ。だから、縦糸というのはとても大事なもんちゅうことですわな。そして、横糸。これはその瞬間瞬間をあなたたちがどう生きたかを表しちょるんです。人間関係も一緒。ほら、こうして横糸を捻ると糸は表情を変えるでしょ? 言葉や態度、それを少し捻ったり、強く張ったり……そうして何一つとして同じ模様はできんのです。日々をどう生きるか、それが横糸。でもね、心配いらんよ。どれだけ失敗して、糸がもつれたり、ほつれようとね……ほら、少し引いて見たら味のあるいい模様でしょう? 沢山悩んで、沢山試して、それでダメでも良いんです。縦糸があなたの人生をちゃんと導いてくれますから。いろんなことを経験して、たくさんの時間を過ごした時に少しだけ引いて振り返ってみてください。そしたら、あなたたちの歩いてきた人生の模様は、きっと素晴らしいものになってますから」
すごいなと、心から思った。
多分、どこかで聞いたことのあるような言葉ばかりではあるはずなのに。
目の前で糸を紡ぎながら、丁寧に機織り機を操る職人のお爺さんの言葉は、どんな教科書よりも大事なことを教えてくれたような気がした。
迷っても良い。
失敗しても良い。
それでも人生は続くし、時は流れていく。
その先で、これまでのことを振り返った時、僕の目にはどんな模様が見えるのだろう。
そして、君の目にはどんな模様が見えるのだろう。
綾城の展望台で、僕たちは先ほどの話を振り返っていた。
「凄かったね。人生のお勉強をさせてもらっちゃったね」
「あのお爺さんから見た人生は、きっと温かい模様なんだろうね。ずっと糸と向き合ってきたからこそ、僕たちにもお爺さんの言葉が届いたんだろうね」
「うん、私たちって本当に恵まれてるよね。こうして天気にも恵まれててさ、沢山美味しいもの食べて、こんなにもありがたい話が聞けて。さっきね、お爺さんがこそっと言ってたんだけど、どんなに時間をかけて綺麗に編んでも、それは終わりじゃないんです、だって。そこから始まるんですって。人生って面白いなぁって思ったよ。今の私たちは、今までの経験からしかものを見れないけど、それも全てじゃないし、答えでもないんだなぁって。明日になれば、今日とは違う考え方があって、違う答えを出すかもしれない。そういうのを共有できる誰かを大事にしなさいって言われたよっ」
「もう、先生だね。ありがたいよね、本当に」
「うん、でもそれは君に対してもだよ? 私が好きだなあって思うものを一緒に体験してくれて、共有できて、本当にね、唯一無二だなってお爺さんの話聞きながら思ってた」
「確かに、僕にとってもそうかも。こうして何もないと思ってた宮崎で、こんなにも楽しい時間を誰かと共有できるとは思ってなかった。些細なことなのかもしれないけど、その小さい喜びだったり幸福を、他人と共有できるってかけがえのないことなんだよね、きっと。なんか、今言うことじゃないかもしれないけど、ありがとうね。二日間、一緒に遊んでくれて」
「それはこちらこそだよー。帰りたくなくなっちゃうね、宮崎……本当にいいところだったなぁ。ありがとう、私……来てよかった」
夕日が空を染めるように、君の横顔はほんの少し赤く見えた。
いろんな余韻を胸に、僕たちは空港へ向かう。
旅の終わりはどうしてこんなにも寂しいのだろう。
見送る方も、見送られる方も。
自然と湿っぽくなってしまう。
「あー、空港着いちゃった。あと一時間もしたら、現実だぁ」
「あはは、そう言ってもらえて嬉しいよ。楽しかったってことだしね。それにさ、宮崎はずっとあるわけだし、僕たちもこれが最後じゃないし、またおいでよ。いつでも歓迎するし」
「うん、絶対また来る。でも、次はこっちに来てもいいんだよ? 会いに来てくれるでしょ?」
「そうだね、次は僕が行こうかな」
「おおー、家からあんまり出たがらなかったのに、即答してくれるんだ?」
「そりゃするよ。君と遊ぶのは楽しいから」
「ほんと?」
「ほんと。どこに行っても何をしても、きっと楽しいよ」
「そうだね、それは私も自信ある」
搭乗の案内が空港内に響き渡る。
楽しい時間に終わりが告げられる。
「こういう寂しい気持ちってなんだろうね」
「なんだろうね」
「次はどこで会うだろうね」
「んー、どこだろう。どこにでも行くよ」
「……ありがとう」
搭乗口で手を振る君は、僕がよく知ってる君だった。
無邪気で、元気で。
人との繋がりを大切にしてて。
小さなことにも感謝ができて。
そして、僕が好きになった君そのものだった。
飛行機が飛び立つのを、僕は駐車場でバイクに跨りながら眺めていた。
「好き、なんだろうなぁ。ははっ、この気持ちはなんていうんだろう」
バイクのエンジンをかけ、家までの道を、いつもよりゆっくり走る。
背中の重みのないバイクは、今までで一番軽く感じた。
きっと、こういうのを人は青春と呼ぶのだろう。
僕はこの夏の終わり、君と青春の瞬間を過ごしたのだ。
夏の終わりに君と 塩焼きそば @SAL所属 @clip_er120
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