第2話 新の魔王

「喜べ、この俺こそが魔王である――」


 告げられるは声高々な宣誓。いや、もっと傲慢な宣言だ。

 座すその玉座を己のものであると断じて疑わない、常軌を逸した自尊心。それに同調する覇気。

 切れ長の瞳に宿る数多の、自信が像を結ぶ神秘的な瞳孔に射貫かれた大半が、その言葉への反論を残らず潰された。


 円柱にも似た背もたれと、王に傅くかのごとき装飾の施されたひじ掛け。

 不可思議な光沢の中に不透明な透過を持つその物体こそは、象徴であり王たる所以。

 誰も彼もがそも叛逆の余地を持たない。そこに至るまでの途方もない研鑽と昇華に裏打ちされた力をこそ重視するからだ。

 そして、そこにどうあれ腰掛けるのであれば、それはつまり『魔王』たる所以――


「――誰よあんた!?」


 否。

 ただ唯一、その座を持つ権利を持った少女だけが、その宣誓を宣戦布告と受け取った。


 幾分仮面が外れたか、王としての覇気が鳴りを潜めるその最中。それでも変わることのない威勢で以て玉座に詰め寄った。

 堂々たる光景に水を差す、まさしく『魔王』の所業である。

 しかしその点で言えば、今玉座を占有するその男こそは正真正銘だったのだろう。


「……ふん」


 鼻を鳴らす。

 品のないなどと一切思わせないその優雅に満ちた嘲笑が空間に知れ渡ると同時、侮られたのだと理解したアムリニアの憤怒が金髪の男によって支配されていた空気を一変させるほどの魔力となって放出された。


「この私が、誰だと、聞いているのよ」


 想起される『死』の一文字。

 見る者にとって、それがたとえ己に向けられたものでないのだと理解していたとしても関係なく、遠慮もなく、そして慈悲もなく。

 重力として上から降り注ぐ天罰を超えた、全方位から押し寄せる圧力による王の罰だ。


 それを放てるだけの力を所有していることが、餌食となる『魔族』たちに自身もまた『魔王』であると理解させた。

 故にこそ困惑。

 で、あるならば。目の前に存在する、相対する王とは一体何事か。その玉座持ち得るはただ一つであったはず、と。


 死を内包する威圧。

 そこに微かに混ざり出す疑念。

 形を成さずとも暴力を伴って暴れ出す奔流が、この空間を徐々に軋ませていた。


「……っ」


 それでも尚、アムリニアは舌打ちをした。

 目の前の男の視線が、悉く癇に障った。


 効いている様子がない。

 毛ほど一つもこのアムリニア・デムガウゴルカスの魔と力を畏怖しない。

 何より、この混沌と化した場を支配するに足りていない。


 何故なら、今この瞬間。目の前の男によってのみ、事態は動きを見せるのだから。


「――出迎えご苦労。この俺を飽きさせぬ、趣向を凝らすその愚かな努力も笑ってやる」


 足を組みかえ。

 頬杖をつく。

 次いで、見下ろす。


「だが、飽いたぞ」


「なっ!?」


 アムリニアが驚嘆を露わにした。当然だ、自分の意思とは無関係に膝が折れたのだから。

 それを為したものの正体を、不幸にも自らの強さ故に悟ることのできたために驚嘆はより一層の鮮烈さを放つ。


 ――文字通りの眼力だ。


 有り体に言うのなら、ただ睨まれただけ。

 たったそれだけで、蛇を前にした蛙か何かのように体が硬直し思うように動かない。

 アムリニアは生まれながらに強者である。敗北は、数えるほどしか経験したことがない。同様の相手に苦渋を舐めさせられたことなど一度もない。そしてそのどれもが、しのぎを削る拮抗の中に見出されたある種運に似た戦歴だった。

 初めてだ。戦うまでもなく、屈服させられたのは。


 先ほどまで同じ高さにあった双眸が、急激に高みへと押し上げられた。

 格付けが済んだのだと、直感的に理解した。


「芸のない垂れ流しに意味を見出すのは凡愚だけだ。無駄に浴びるそよ風ほど不快なものはない。理解したか、銀髪の女」


「……くっ!」


「ほう、その気概は買ってやろう。久しく見ていない反骨だ。良いぞ、見込みがある」


 愉快に語る男は、口角を不気味に持ち上げた。

 対称的にアムリニアの憎々し気な表情は下を向くその顔の節々から迸る。


 それがツボであるのか、男はさらにくつくつと笑みをこぼした。


「気に入った。女、この俺の右腕として置いてやる。その欠片も洗練を感じないただ多いだけの魔力も、使い道はあるというものだ」


「何をっ――」


「――あぁ、忘れていた。魔王たるこの俺の名を教えてやらねばなるまい」


 アムリニアの言葉を遮って紡がれたのは、自己紹介の意思表示。

 本日二度目の生まれて初めてを更新したアムリニアの次なる初体験は、怒りによる脳の沸騰であった。


「こ、の……」


「心して聞くが良い。この俺の名は――」


「――敵襲! 敵襲ぅぅっ! 数三百! 将軍コルドの姿を確認しています!」


「なっ、こんな時に……!」


 一体の『魔族』が報せたのは、この機に乗じた『人』の明確な進軍の意思。

 銀髪の少女は歯噛みして、よりにもよって最も嫌なタイミングでのそれに頭を回した。


 記録にないイレギュラーは発生したものの、そも『魔王』の継承は『人』に露見していたと考えるべきだろう。

 その偵察として動かされていた部隊が、イレギュラーをこそ好機と捉えて攻め込んできた。そう見るのが自然だ。『英雄』には遠く及ばないまでも、将軍コルドも十分な傑物。隙を見逃さぬ嗅覚は持ち合わせていたらしい。


 事態は至極最悪だ。

 何せ、『魔王』の継承は失敗したと言っていい。

 詰まる話が、『魔族』は柱を喪った。最強を失くした。

 玉座は今どうなっているのか。もう一度継承を行うことは可能なのか。その場合主導権は目の前の男と見るのが良いのか。この短時間に男を説得することができるのか。

 浮かんでは消える疑問の中で、最後のそれだけに容易く否がついた。


「……私が行くしかない。今すぐに兵を揃えなさい! 迎え撃つわよ!」


 良く通る凛とした声が場の混乱を沈めた。金髪の男を渦中とする混沌までもを収められたわけではなかったが。

 それでも端的に今すべきことを示すその手腕を、男は心中に微かに立ったさざ波から返った我で賞賛した。


「やはり見込みがあるな。――しかし女、その命令は撤回しろ」


「はっ、何言ってんのあんた!? おめおめと攻められるのを待ってろっての!?」


 振り返り、傲慢とも似つかない阿呆を言いふらした男へ抗議する。無抵抗こそは最もあり得ない行為に他ならないのだから。


 瞬間。

 アムリニアは目を見開いた。


「まあ、少し動けば思い出す……か」


 立ち上がった男の、不遜に笑う上背に一瞬目を焼かれた。

 なるべきだった希望の光を今、確かに見たのだ。

 眩く輝く、目を瞑ってしまいそうな煌めきがそこに。


 何も言えず、動けずにいると男は横を通り過ぎた。

 遅れて、アムリニアは男を目で追う。

 もう一度振り向き、開かれた『魔族』の道を一切の躊躇ない足取りで歩く『魔王』を名乗ったイレギュラーに問うた。


「何する気なの!?」


「決まっている」


 流れ込んだ感覚を、なんと形容したものか。

 アムリニアのような魔力による圧ではない。

 しかし明確な重みがここにあるのだと理解できる。

 確固たる自信と、それ以上の実力によってのみ為された圧ならざる圧。


 そしてアムリニアは、また一つ初めてを奪われる。


「――王の初陣だ」


 微かに沸き立つ胸中は、きっと気のせいなのだと言い聞かせた。

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