最奥に座す魔王は二つも要らない
ツチノコ
第一章 『玉座に出でし王』
第1話 イレギュラー
曰く、この闘争は千年続く争いの歴史。
曰く、この戦乱は万年続く衝突の歴史。
曰く、この混沌は永遠続く二律の歴史。
血で血を洗い、肉で肉を断ち、骨で骨を砥ぐ。
終幕を知らない愚かな宴。
酷く抉れた、世界の歩み。
――その最たる敵とは何か。
嗚呼、それは『魔族』である。
嗚呼、それは『人』である。
人ならざる化け物よ。化け物ならざる人よ。
ただそれだけで奪い合い殺し合い滅ぼし合う哀れな憐れな者たちよ。
叶うならば、一刻も早い決着を。
それがたとえ――片一方の絶滅によってもたらされるものであったとしても。
戦え。敵より多くの血を以て、礎とするのだ。
争え。一つでも多く首を掲げ、力とするのだ。
それら全て、この世界に生まれた者の宿命である。
未来永劫続くのであろうこの混沌の時代に生を為した業である。
玉座に座りし者よ、選ばれた頂よ。
『魔王』よ、『英雄』よ。
――この世を統べるに足るは、ただ独りと心得よ。
◇
――静寂を裂くために、力を誇示する必要はない。
それを少女は知っている。
歩くたび響かせるヒールの音がその証拠だ。
白い肌に銀の髪を靡かせ、傅く同胞たちの視線を己が美貌で引き寄せることがその表れだ。
身に纏う覇気こそが、何にも勝る圧倒的な『個』の証明。勝てないと思わせるだけでは物足りない。その思考に至る以前に、過程からして根こそぎを消し飛ばしてこそ本物だ。
示し続けてきた。
自らの力を、一度だって余すことなく全力で。
その全ての結実こそは――今。
恐怖ではなく畏怖で以て数多の同胞を従えるこの光景こそが、少女にとってこれまで歩んできた道のりの歴史。
成るべくして成った、頂点の。
「――アムリニア様」
背後からの声に少女――アムリニアは応えない。
その理由はごく単純に、それは己らしくないからの一言に尽きる。
他人に合わせるような凡俗は、生まれる以前よりありはしないのだから。
そして、その性質を知っている背後の見知った顔は無言をこそ返答と、言葉を続けた。
「ご即位、誠にめでたく」
「わざわざ口にするようなことかしら? そんなもの、私が生まれた瞬間からの確定事項だったというのに」
「仰る通り。しかし、アムリニア様のおそばに仕え続けてきた身といたしましては、この高揚を表明せずにはいられません」
アムリニアは鼻で笑う。
微かに目線を後ろにやり、見せつけるように髪を払った。
「くどいわ、ニール。けれどその忠義、見事よ。今後も私の傍に仕えることを許すわ」
傲慢を固めたような言葉に、しかし一切の厭味ったらしさはない。
持って生まれた抜群のカリスマ性。そして鍛え上げられた極限の実力。それらが作り出したアムリニアが歩くこの道こそは、即ち玉座の継承、その総意。
全ての『魔族』が望んだ、新たなる『魔王』の誕生に他ならない。
「さて、先代『魔王』。その座、明け渡す時が来たようね」
「……異論はない。とうに心積もりは終わっている。僕にこれ以上、この玉座に座る資格はない」
「ふんっ、その俯きが勇敢な戦士たちにも伝播した。多くの被害を出した東部戦線、貴方に全盛期の気概さえあれば制圧だって可能だったはずだわ」
「気概の問題ではないのだよ、次代。老いさらばえた我が力、もはや憎き『英雄』共を相手にするには程遠い」
その言葉に、アムリニアは目線の先で玉座に腰掛ける『魔王』の老いを顕著に感じ取った。
見た目の変化は極々微細である。それが玉座に座る『魔王』の特性であると理解している。今尚健在の『魔族』においても目を引く額から伸びた一本の枝分かれする角は、行使する魔法と相まって大きく恐れられた。
しかし、生まれた時より聞き続けた、暴虐の化身はもはやここにはいないのだ。『英雄』と互角に渡り合い一時は寸前まで追い詰めた『魔族』最強は、遂には力だけでなく心の火すら消えかけていた。
玉座に座るには余りにも不足。上に立つ覇気は見る影もない。
不可思議な光沢を放つ玉座に座るには、『魔王』を名乗るには。
――戦う目をしていなかった。
「ならば、明け渡しなさい」
「無論、そのために」
まるで、それが己にとって『魔王』としての最後の仕事であると言わんばかりに背筋を正し、水晶の瞳を衆目に晒す。
引き締まる空気は、まだ玉座の在り処が目の前の『魔王』にあるのだとアムリニアに強く思わせた。
たとえ戦う目などしていなくとも、同胞へ手向ける言葉の一つを真にする力は残っていたらしい。王たる者の義務である。
「――聞け、我が同胞たちよ!」
空間中に響き渡るのは『魔王』の声。
哀愁と、喪失と、回顧と、新たなる奮起への予兆。
ない交ぜになる全てを、アムリニアは背中に受け止めた。
偉大なる先達と軌跡を同じくし、同時に超越する意思を固くする。決して折れぬように、輝きを失うことのないように。
「新たなる王は示された! 今日この時を以て、玉座の主は書き換わる!」
『魔王』の視線がアムリニアへ注がれる。
乱反射する光は、今確実にアムリニアのみに向けられている。
逃げるつもりなど微塵もない。
必要なのは十全と見せつけること。
継承する後ろ姿を、その表情を。
――この私こそが『魔王』であると。
「アムリニア・デムガウゴルカス! 貴様にその覚悟はあるか!」
「――――」
「この玉座の主となる資格はあるか!」
「――――」
「『魔族』の頂に立つ力はあるか!」
一つ。
カン、と床を打つ。
連なる問いにアムリニアが起こした行動はたったそれのみ。
それだけで――
「……っ、素晴らしい」
「アムリニア様……流石にございます」
放たれる魔力の奔流に、同胞全てがたじろいだ。
言葉は要らない。
見せつける力もまた必要ない。
求められるのは、そこに在るだけで勝利を齎す普遍無敵の異常。
それを示し悟らせるだけの力は、もう既に持っている。
問う。
異論はあるか。
異議はあるか。
このアムリニア・デムガウゴルカスが『魔王』に相応しくないと声を上げる者はいるか。
――いる、はずもない。
「――当然だわ」
「なればこそ、今こそ玉座の継承を!」
『うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉぉっ!!』
瞬間、玉座が光を放つ。
超常の力が織り成す光景に、しかしアムリニアが目を瞑ることはない。
やがて光は収束し、形を成す。
円環だ。
玉座の周囲を回転し、目まぐるしくも神秘的に空間を彩る。
同時に溢れ出した爆発的な、それでいてどこかおどろおどろしくもある奔流がアムリニアを包み込む。
皮膚に触れられ、内部に何かが侵入したかのような感覚。溶け込み血肉と一体化するようなそれは、今までに感じたこともないものだ。
それに伴い、逆に『魔王』からは何かが抜けていくのを感じ取ることができた。消耗と、それによる脂汗が窺える。
理解を超えた現象。それを為す玉座。
それは、まだ終わらない。むしろここからが本番だと、『魔王』は声高に唱えた。
「名も忘れられた同胞よ! 礎となった者たちよ! その無念、その未練、委ねるべくは新たなる王! その名は――アムリニア・デムガウゴルカス! 集うがいい、求めるがいい、希うがいい!」
光が、強くなる。
奔流が、増していく。
自然、アムリニアの手が伸びた。
無意識に、求めるように。
新たな『魔王』たる想いが、そう為した。
「――玉座よ、我が手に」
「――『魔王』よ、此処に!」
眩い漆黒が全てを包む。
次いで訪れる衝撃。アムリニアを以てしても後ろへ仰け反らされるほどの。
鼓膜をつんざく爆音が轟いた。聴覚が機能を悉く放棄する。
それだけではない。意識が突如としてありとあらゆる情報を遮断されたかのように独立した。暗闇の中己のみが漂っているような感覚。
そんな中で、ふと聞こえるのは不透明な声。
『アムリニア・デムガウゴルカス……承認』
『継承……保存』
『再起せよ、君臨せよ、排他せよ』
『宿業によって、新たなる王を刻め』
『……の…願果……れる時……』
『……が王よ、永久……穏を……手に』
意識は黒から白に変わる。
それに気づくまでに数秒を要したのは、アムリニアにとって初めてのことだ。
「っ、何が……」
異常事態であると理解が及んだからこその反応だった。
これまでの『魔王』継承の記録に、このような現象は発生していない。
黒の光も、あのような声も。
何かが起きている。
それが何なのか、一刻も早く確かめる必要がある。
『魔王』とは即ち頂にして要だ。継承が為されていないなんてことがあれば、それは拮抗の崩壊を意味する。あってはならない。
何より、このアムリニア・デムガウゴルカスが『魔王』となるその門出を何者かに妨げられたなど、決してあってはならないことだ。
視界の回復が遅い。
目を凝らしたところで虚ろが像を結ぶばかりで、明確な姿を捉えられない。
しかし、いる。
間違いなく、何かがいる。
それが何であるのかも、どこにいるのかも不鮮明。それでもいるのだと確信できる。
「っ、誰だ!」
絹を裂くような鋭い声を飛ばす。
身を竦ませるほどの声音に、だが反応はない。意にも介していないのだ。
「答えろ、痴れ者が! 『魔王』継承の儀式と知っての狼藉か!」
続ける。
返事はない。
視界は回復しつつある。
徐々に結ばれる輪郭の先、見つけたのは――
「――なっ!?」
見たこともない、金髪の男だった。
白の礼服を身に纏い、黒を基調としたアムリニアと対を為している。
一瞬アムリニアをして息を呑むほどの造形美だ。あり得ないと即座に意識を取り戻せたのは、その美しさが常軌を逸していたからだろう。
或いは、その男が――玉座に座っていたからだろう。
問いかけたはいいものの、アムリニアには全くこの状況が分からない。
理解及ばぬ混沌が、目の前で形を成しているのだから然もありなん。その初めての感情が、より一層アムリニアを困惑に叩き落としていた。
静寂が生まれる。
およそ全ての、新たな『魔王』の誕生を見届けていた『魔族』たちの視力が回復したであろう頃合いであるにも関わらず、だ。
誰もが言葉を発せぬままに、時間だけが過ぎていく。
その恐ろしいまでの、一言も発さずとも遺憾なく発揮される支配力に、アムリニアは『魔王』の片鱗を悟った。悟ってしまった。
故に弾けた羞恥に、顔が熱くなる。初めてだ。敗北とやらを理解したのは、これが初めてだった。
「――――」
何が、きっかけだったのだろうか。
少なくとも何か、そうだと察せられるような兆候は何一つなかった。
男の目が、開き始めたのだ。
暗黒が光によって微かに光沢を持つ。
ゆっくり、時間をかけて瞼を持ち上げた男は、にわかにその漆黒の――数多の瞳孔を持つ瞳を動かし辺りを見回した。
そして、
「クク、ハハハハハ」
笑いながら、玉座に背中を預け足を組む。
傲岸不遜の体現。
己こそが世界の中心であると信じて疑ってもいなさそうな態度が、明け透けに示された。
呆然と、静寂が呑んでいた。アムリニアを含め、誰もが呑まれていた。
それを、ただ言葉だけで切り裂いた。
何よりの証拠である。
即ち、
「喜べ、この俺こそが魔王である――」
魔王の君臨だ。
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