第17話 日常。元には戻らないもの

 学校帰りに、商店街の方へ足が向いた。

 喫茶『南半球』に通じる路地の手前で、ゆっくりと立ち止まる。

 あの喫茶店に、もう翔はいない。

 従兄弟だという店長は、彼がいなくなってどうしているだろう。釣り銭を盗んでいたことを考えると、胸中は複雑だろうか。

 翔の両親は、友人は、今回の事件をどう受け止めているのか。

 知ったところでまつりにできることはないけれど、考えずにはいられなかった。

【オラクル】については、えにし堂と相談して、そのまま喫茶『南半球』で保管してもらうことになった。

 店を守ってくれている呪物だが、そのせいで不穏な噂が流れて客足に影響が出ている。

 まつりは、清流神社で引き取ることもできると、店長に申し出るつもりだった。

 だがえにし堂は、【オラクル】自身が店を守るべき対象として捉えているのだから、引き離すべきではないだろうと言った。確かに、無理やり引き離せば逆に災いをもたらしそうな気もする。

 えにし堂としては、呪物についての説明をして、今後店長の理解を求めていくつもりらしい。同じ商店街で店を経営しているとはいえ、彼にご近所付き合いができるとは思えない。つまり、必然的にまつりも同行することになるのだろう。

 しばらく路地前で足を止めていたまつりだったが、やがて歩き出す。

 商店街を抜け、家に帰るために。

 だが、数歩もいかないところで、蒼司と瑞葉に出くわしてしまった。

 妹はともかく、次兄はまずい。面倒なところで見つかった。

 予想通り、蒼司の機嫌がみるみる下降していく。

「まつり。あの怪しい喫茶店に行っていたのか」

「おかえりー、お姉ちゃん。寄り道? 私は温太兄からお使いを頼まれたんだけど、ちょうど蒼兄にばったり会ったから手伝わせてたとこ。あーあ、どうせならお姉ちゃんと最初に出会いたかったなぁ」

「瑞葉、うるさい。今は話がややこしくなる」

 末っ子の発言に色々言い返したいのをこらえて、蒼司はまつりを睨みつける。

「その道の先にはあの店しかない。言い逃れはできないぞ。えにし堂といい、怪しいところに出入りするなと何回言えば分かるんだ」

 まつりは溜め息をついてから、瑞葉に向き合う。

「ただいま、瑞葉。買いものはもう終わった? 荷物持つね」

「ありがとう、お姉ちゃん」

「おい、俺を無視するな」

 蒼司がすかさず視界に割り込んでくるから、まつりは溜め息をついて文句を返す。

「どこにも寄り道してないのに、そっちが言いがかりつけてくるからでしょ。大体、何で蒼司にそんなことを注意されなきゃいけないの。えにし堂が怪しいのは否定しないけど、喫茶店は危険区域じゃないよ」

「お前が、呪物があるかもしれないって言ったんだろうが」

 正論だった。

 劣勢を悟り、まつりはそそくさと歩き出す。

「……大丈夫。あれは危険のない呪物だと判明したし」

「呪物なら、危険かどうかは関係ないだろ」

「それって偏見。呪物だって、人を守る意図で作られたものもあるし……」

 とりあえず話を逸らしたくて、まつりは雑貨店のショーウィンドウに目を留めた。

「あ、ほら。瑞葉の好きな、全肯定うさぎグッズがあるよ」

「おい、瑞葉を盾にするな」

 可愛い妹を盾にするとは、人聞きが悪い。

 まつりは斜に構えて蒼司を睨み返した。

「違います。私は瑞葉の喜ぶ顔が見たかっただけ、瑞葉がいれば白河家は安泰なんです」

 これは白河家の共通認識だし、まつりにとっては昔からのすり込みのようなものだ。

 白河家に来た当初、母親を恋しがる瑞葉を宥めると、家族全員が笑ってくれた。

 そうやって、自分に役割があることはまつりの心のよりどころになったし、何より、瑞葉が泣き止んで笑ってくれると、こちらまで救われた心地になったのだ。

 幼い彼女が抱える寂しさは、突然両親がいなくなったまつりにとっても、他人事じゃなかったから。

 きっとまつりは瑞葉を慰めながら、自分の傷とも向き合っていた。

 だから瑞葉が泣けば暗い気持ちになるし、瑞葉が笑えばほっとする。

 彼女が幸せなら白河家はうまく回っていくと、まつりは本気で信じていた。

 すると蒼司は、苛立ったように吐き捨てる。

「お前は本当にいつもいつも……俺の心配を何だと思ってるんだ」

「……心配? 怒ってるだけじゃなかったの?」

 まつりは戸惑い、本音をこぼした。

 ――え? さっきの『呪物なら危険かどうかは関係ない』っていうのも……偏見じゃなくて、私を呪物に近付けないようにってこと……?

 そこまで心配しているなんて、いつも不機嫌そうだから気付かなかった。

 だとしたら、何度も彼を誤解していた。

 不用意な衝突をしてしまったこれまでを、今さら悔やむ。まつりは、もっと蒼司の気持ちを思い遣るべきだったかもしれない。

 咄嗟に言葉を出せずにいると、のんびりとした声が上がった。

「――お姉ちゃんって、分かってるようで分かってないよね」

 瑞葉だ。彼女はまつりを見上げ、穏やかに微笑んでいる。

「まぁ、基本的には蒼兄の伝え方が不器用すぎるのが原因なんだけど。不器用すぎちゃって、もはや下手だよね」

 人をからかうことの方が多い瑞葉だが、真面目な話をする時は雰囲気が変わる。

 凛と大人びて、不思議と耳を傾けずにいられない空気をまとうのだ。

 蒼司は何も言えなくなっている。

 まつりもまた、吸い込まれるように彼女の美しい瞳を見つめていた。

「『瑞葉がいればいい』じゃないよ。誰が欠けても駄目なの。――お姉ちゃんも、だよ」

 数年にわたって関係が悪かったので、蒼司の本心を知っても、正直気まずかった。

 まつりだって彼の嫌みに少なからず傷付いてきたから、すぐには態度を変えられない。

 けれど、そんなわだかまりが、瑞葉の柔らかな言葉によって洗い流されていく。今の彼女はいつもの無邪気さも鳴りを潜めており、ひどく達観して見えた。

 まつりは、今度こそ素直に蒼司と向き合う。

「蒼司……あの、ごめん。今までも、誤解して……」

 誤解の原因は蒼司の態度にもあるけれど、問題の大部分はまつりの頑なさだ。

 今はそれを捨て去り、真っ直ぐに彼を覗き込む。

「ずっと……心配、してくれてたの……?」

「お、俺はただ、何かあれば家族が困るだけだと思って……」

 いつもは顔を背けているから気付かなかった。

 蒼司の頰が、真っ赤になっている。

 まつりまで恥ずかしくなってきて、熱い顔を隠すようにマフラーの位置を直した。

再び、誰からともなく歩き出す。

 普段なら蒼司と瑞葉の言い合いでも起こりそうなものなのに、次兄の口数がぐっと減っているためひどく静かだ。

 まつりも熱さが落ち着いてきて、前を歩く瑞葉を改めて見つめた。

「瑞葉って、本当にしっかりしてるよね……」

 何となくそわそわしてしまうのは、先ほどの台詞が妙に意味深だったからだ。

 まつりと蒼司の間にある誤解を解くためであったのは確かだが、別の含みもあった気がしてならない。

【ほしいさま】のことは、瑞葉に詳しく説明していなかった。

 警察が来たから全ては隠し通せないけれど、まつりと翔の間に何があったのか、【ほしいさま】が何をしたのか、まだ小さな妹に聞かせるには刺激が強すぎるからと、温太達と話し合って黙っておくことを決めていた。

 それが、瑞葉の心を守ることに繋がっているはずだからと。

 ――私が危険な目に遭ったって……気付いてる、なんてことは、ないよね……?

 気付いていないと思うのに、何だろう。圧がすごい。ばれたらまずいことになるという予感が消えない。


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