人攫い

#zen(悠木全)

人攫い

「やあ」 


 黒いコートの男が、小さなテンに声をかけた。

 テンの父は三十路だが、男のほうが年上に見える。

 茶目っ気のある笑みが父親に似ていた。

 だけどテンは何も答えない。

 知らない人だからだ。


「誰かを待っているのか?」


 人でごったがえす駅に、男の声はかき消される。

 あと三十分もすれば母親が改札から出てくるだろう。

 テンは口元を引き結ぶ。


「なら、しばらく一緒に居てやろう」


 男には一刻も早く去って欲しかったが、テンのささやかな拒絶を無視して並んだ。

 大きな男だった。


「おじさんはね、この駅で攫われたことがあるんだよ」


 聞いてもいないのに、男は身の上話を始める。

 声が父親と似ているのもあって、聞かないふりをしても自然と耳に入った。


「君くらいの年頃だった。――ここはちっとも変わらないね」


 話しかけたら負けだ、と思うもの、小さなテンは我慢が苦手だった。


「……おじさん、ゆうかいされたの?」


「ああ、そうなんだ。ちょうどこの場所でね……詳しく知りたいかい?」


「うん」


 男は少し泣きそうな顔をして言った。


「今日みたいな雨の日だった。なかなか帰って来ない親をずっと待っていたんだ。何時間も待っていたら――知っているお姉さんに声をかけられた。『君のお母さんが来られない』って。近所で暮らしている人だった」


「しっているおねえさんだったの?」


「そうだ。だから君も、知っているお姉さんにも気をつけないとな。……おじさんみたいになってしまうから」


「それから、おじさんはどうしたの?」


「お姉さんは長い間、おじさんを閉じ込めたんだ。だけど、十年経って、警察が見つけてくれて……やっと家に帰ることができたよ」


「おまわりさんがたすけてくれたの? よかったね」


「そうだね。でもおじさんは……」


 男はどこか遠くを見ながら、言葉を濁す。

 いつの間にか、テンはすっかり男の言葉を真剣に聞くようになっていた。

 きっと悪い人ではないのだろうと、幼いながらに思う。


天人たかとは、お母さんが好きか?」


「うん、大好きだよ」


「だったら、おじさんと一緒にお母さんのところへ行くか? 実はね、おじさんはお母さんの居場所を知っているんだ」


「でも、知っている人にもついていっちゃいけないんでしょう?」


「そうだね。だったら、お父さんに電話しておこう。電話番号を知っているだろう? おじさんの携帯からかけてごらん」


「うん」


 男の携帯からテンは父に電話をする。

 仕事中の父は、相変らずの留守電だった。


「君のお父さんのことだから、留守番電話だろう? お母さんのところに行くと言っておけばいい」


「うん」


 テンは素直にうなずく。


「さあ、行こう。天人」


 男はテンの手を引いて、改札を出た。




 ***




「――あの、ここに、幼稚園くらいの男の子いませんでしたか?」


 テンが去った駅で、若い女が駅員に話しかける。


「……ああ、さっきまで居たね。もういないから、帰ったんじゃないかな?」


「……そう、ですか」


「ずっと一人で喋っていたけど……寂しかったのかな。保護者の方ですか?」


「え、ええ。母親が倒れたそうなので、代わりに迎えにきたんです……ありがとうございます」


 駅を出た女は、駅前にとめていた車にエンジンをかけながら舌打ちする。


 後部座席には、人が入りそうな布袋と、ガムテープが転がっていた。 



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