骨董扱処あんていく廻呪録

留龍隆

触れると死ぬ箱【壱】

かい-じゅ【解呪】

[羅甸](Dispellēre)呪いを解くこと。また、その方法。


かい-じゅ【廻呪】

[術] 呪いを解かずに廻らせること。また、その方法。



        #



 いわくつきの品を仕入れるたびに塩撒くのが面倒なので、舶来品の巨大な岩塩を買ってみた。

 それきり家鳴りも気配も視線もなくなった。単純なものである。


「邪魔なんだけど」


 つめたい声に、いやいやそんなこと言うものじゃないですよ。と私は言う。

 赤子くらいの大きさの岩塩の向こう、背の高い脚付き箪笥の上に英吉利イギリス伝来のウインザチェアとレジスタが積まれた部屋の隅から、反応は返ってきた。


「邪魔は邪魔だよ。そもそもコレいくらしたの」


 趣味に使った額を訊くのは礼を失していますよ美也子みやこさん。


「趣味じゃないでしょ。仕事でしょ、アナタ骨董屋さんなんだから。仕入れ額は帳簿につけといてもらわないと月末困るんですけど」


 箪笥の陰からはたきがにゅっと伸びてきて、次いでブスっとした顔の美也子さんが顔を出す。


 白磁の肌をした素敵な外見だ。

 流行のマガレイトに結った黒絹の髪の下で仏頂面をしており、白のブラウスに通した腕をぴんと伸ばし、手套に包まれた手ではたきを振っている。

 行燈袴を合わせた風貌だけなら女学校にでも通っていそうなものだ──実際、東京女子師範学校に居た時期もあるらしい──が、家もなくいまは無宿渡世人といった顔つきである。

 片目は玻璃はり、片目は黒曜こくようの双玉宿した目つきはとても鋭い。


「もし、仕入れ値がわかんないなら、コレ食費に入れるよ。少しずつ削って毎日お料理に使ってあげようかしら?」


 ついでに言動も鋭い。お願いだからやめてください二円二十銭したんだから。ギッと軋む安楽椅子から立ち上がりつつ、私はあわてて抗議した。

 美也子さんはめんどうくさそうに、はたきを持った腕を組む。


「そうは言うけどはいたかくん、このお店ぜんぜん商品が売れないんだもの。お買い物に行けずお塩を借りにお隣を毎度訪ねる、こちらの気持ちにもなってほしいもの」


 重々承知しております、申し訳ありません。私は頭を下げた。

 下げたものの、内心では仕事をしない言い訳ばかり考えていた。

 そもそも私は人間と接することが苦手なのだった。趣味と成り行きでこのように骨董屋の主となって、いわくつきの品々に囲まれたことに不服はない。むしろ感謝しかない。品々を仕入れ管理し、より良い状態で陳列するこの作業は私に特別向いていた。


 しかし、販売だけは別だ。

 人と直接に接して物を売りさばく、そういう作業が私はいっとう苦手だった。

 ……物は、いい。素晴らしい。物はひとつの目的のためにのみ存在し余分な働きをしない。

 ひるがえって人間という奴ばらはどうか。言うこと成すこと朝令暮改で余分なことしかしない。なにをしようとしているのか、なにを考えているのかがまるでわからない。

 だから様々な物、品を生み出すという技芸を持つ存在としての人間は好きだが、私は人間と接することは苦手だった。その時間で物をいじくっている方がよっぽど楽しい。

 物品ばんざい。人間はうざい。


「あのさ。いわくつきの品のなにがいいの」


 聞きたいですか。


「やっぱいい」


 いわくがあるとは、呪われているということ。すなわち強い思い入れにさらされた物品ということです。本来の使途を逸脱した物と化しているそれらには独特の魅力があります。飾った絵がどれも血に汚れ同じような絵と化す『額縁』。踏みつけにした者に周囲の悪縁が寄ってくる『矢じり』。幽霊が視える『双眼鏡』。持ち主を守るため手段を択ばない『身代わりのお守り』。開けた者に禍成す封蝋を捺せる『印章指輪』。人死にの近い家の前を通ると鳴る『お鈴』。物は切れないが縁を切る『妖刀』。どれもがだれかの定めた、強く不変の目的意識──念により、そのようにかたちづくられるのです。


「そこまで喋れと言ってない」


 私はそのようにひとつの目的のためにある物が、たまらなく愛おしいのです。


「聞いてない」


 できればずっと手元に留め置きたい。


「鷂くん。売る気がないって態度を全身で表してるね」


 …………めっそうもない。


「目が泳いでる」


 貴女の視線がまっすぐ固定されすぎてるだけです。物事は相対的に見なくては。


「まあそう思いたいなら思ってなさい。でも木島きじまさんから今日はお客が来るって、さっき連絡あったよ」


 なんということか。厄日だ。私は頭を抱えた。

 木島泰明という男はこの店舗『アンテイク』を私に提供した、いわば雇い主オーナーという奴である。くわえ煙管で派手な羽織が印象的な男で、あまり表の商売をしていた気配がない。

 普段は横浜の方で細君の夕季乃ゆきのとなにやら事業をしているらしく浅草こちらにはめったに来ないのだが、さてはこの三か月つづけてなにも売れていないことが彼に露見したのか。


「『少しは客の相手しろ、買い付けもいいけど売り込みもしろ』ってこぼしてたよ」


 さいですか。どうやら露見しているらしい。ああいやだ。木島とも話をしなくてはいけなくなる。だがそちらは木島の相手に慣れてる美也子さんが間に入ってくれるのでまだいい、問題はお客だ。

 見ず知らずのなに考えてるかわからない相手と、長時間接しなくてはならないのだ。考えただけで悪寒がする。

 美也子さん、代わりに話してくれませんか?


「前もソレ頼まれたけど、ろくに会話にならないから嫌よ」


 そこをなんとか。せめてこう私の前に立ってもらって。私が後ろから、お客と目を合わさず会話する助けをだね。


「ここに来る客は大半が普通の人で、『いわくつき』に困ってる人でしょう。いわくそのもの・・・・・・・の私がお相手はできないのよ」


 ああ……厄日だ。私は額を押さえて近くのキヤビネットに突っ伏した。

 と、ドアベルがちりんと鳴る。そちらを見ると、夏らしい沢瀉おもだか柄の付け下げが目に入る。上等な生地特有の滑らかな照り返しが感じられる。袋帯に色を合わせた帯留めも、目立ちすぎずよく考えられた着こなしだ。

 視線を上げると、髪を夜会巻やかいまきにした品の良い女性である。顔はおしろいで整えられており、ふっくらしていてなんとなく大福のような印象を受けた。瞳はセルロイドの質感に似ている。紅を引いてもったりとした唇は椿のようだった。

 女性は困った顔をして、壁に掛け台をつくってかけられている品──下から順に刀、捕り物棒、幟旗、薙刀ときて一番上にあるもの──『蹄鉄』を、指さした。


「ごめんください。その、あちらの品は、いただけますか?」


 ……売リ物ニ非ズ、と下に書いてます。私はぶっきらぼうに答えた。


「そこをなんとか」


 言いつつ女性は指を三本立てた。

 これは符号だった。単なるお客ではなく、『持ち込み』のあるお客の。

 私はため息をついてから、「どうぞ、お入りください」と奥に通した。美也子さんは奥で黙って立っていた。今回も手助けはしてくれないらしい。

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